33話 真に倒されるべき敵
轟音が激しく耳を突き、崩れ落ちた壁から滑り込んできた風とともに煙が薄れていく。
そこに佇んでいたのは、紺色の髪を爆風にはためかせた青年。
粉塵が舞う空間の中でも光を放つ紅玉の瞳を、今は殺意に揺らめかせていた。
「フェイラン……!」
「ジゼル……!」
床に組み伏せられた私の姿を捉え、フェイランの口から焦燥に満ちた叫びが漏れる。
彼が身に纏う黒い魔力を弾けさせ、手に握り締めた剣を閃かせて刺客たちへ肉薄しようとした瞬間。
「動くな、フェイラン! 少しでも動いてみろ……この女の口に毒を注ぎ込んで命を奪ってやる!」
「っく……!?」
私のあごを強引に掴み上げ、リウェイが叫び声を上げながら手にした小瓶を掲げた。
その卑劣な声に応じるように、フェイランの踏み込みが瞬時に制止される。
「……ジゼルから手を離せ。そうすれば、苦しまないように捕縛だけですませてやる」
「立場を弁えていないのはお前の方だ! その手に持った剣で、今すぐ自分の首を跳ねろ! さもなければこの女の命はないぞ!」
「理解していないのはお前の方だ、リウェイ。……もう一度だけ言う。今すぐに、ジゼルからその薄汚い手を離せ」
フェイランが剣の柄を握り締める指先が震え、ぎりぎりで理性を繋ぎ止めるように、彼は必死に耐えていた。
彼の実力をもってすれば、リウェイなど一瞬で死に至らしめることなど造作もないだろう。
けれど、私たちの真の目的はあくまでリウェイの『生捕り』だ。
一国の賓客としてこの国に招かれている彼をここで殺害してしまえば、この国でも本国でも、フェイランの立場は失墜してしまう。
「私の言うことが聞けないのか!? なら今すぐこの女を殺してやる! お前のみじめな母親を死に追いやった時と同じ毒でな!」
その言葉に、フェイランの肩がピクリと揺れた。
「お前の目の前で死んでいったから、よく覚えているだろう!? もがき苦しみ、なすすべもなく息絶えていったあの様を! 母親と同じ地獄をこの女に味わわせたくないのなら――」
「……黙れ」
黄昏に染まった空気の中で、フェイランが静かに目を細めた。
その瞳の奥には、氷よりも凍てついた漆黒の炎が宿っている。
あふれ出す殺意、憎悪、そして胸を締め付けるかのような悲痛。
あらゆる感情が混ざり合い、淀んだ光が、彼の紅玉の瞳を染め上げていた。
「っひ……!?」
隠すことすらない死の気配を真っ向から浴び、リウェイは体を硬直させ、恐怖のあまりガタガタとすくみ上がる。
「……もういいよ。全員……この世から消えてしまえ」
フェイランの瞳から光が消えると同時に、絶大な闇の魔力が空間全体を物理的に押し潰した。
悲鳴を上げる隙すら与えられない。
私が瞬きをしたほんの少しの間に、私を押さえつけていた刺客たちの姿は、存在そのものを消し去られたように霧散していた。
「な、何が起こった……!?」
「最初からこうすれば良かったんだ。……俺の大事なものを奪おうとする不要物なんて、この世からすべて滅却してしまえばいい」
フェイランが踏み出す一歩ごとに、空間が歪む。
彼の足取りには、狂気と殺意が苛烈に入り乱れていた。
「ああ、でも……何がどうジゼルを傷つけるのか判別がつかないな。……はは、なら、すべてを壊してしまおうか。この世界そのものを……!」
「ち、近寄るな……! 来るな、化け物……!」
リウェイは私から手を離し、尻餅をついたまま腰を擦り付けて後退りしていく。
「まずはお前からだ。毒殺が好きなら、じっくりとなぶり殺しにする方がお好みかな? せいぜい見苦しく命乞いをして、悲鳴を上げながら死んでくれよ」
「フェイラン……! やめて! 殺しちゃダメ……!」
けれど、私の痛切な叫びは今の彼の耳には届かない。
狂気に呑まれたフェイランは迷いなく歩みを進め、闇の魔力を宿した手を高々と掲げた。
「フェイラン――っ!」
彼がこの先、日陰ではなく陽の当たる場所で生きていくために。
リウェイをここで殺させるわけにはいかない。
私は体に力を行き渡らせ、フェイランとリウェイの間に遮るようにして躍り出た。
「ジゼ――ッ!?」
フェイランが魔力を解き放つのと、完全に同時だった。
リウェイへ届くはずだった漆黒の斬撃が、私の肩から背中を深く切り裂いた。
「っうぐ……あ……っ!」
肉体強化の魔力を一瞬で貫通する桁違いの刃。
あまりの激痛と、闇の魔力により、私はその場に崩れ落ちた。
「ジゼル!? なんで……どうして君が……っ!?」
「落ち……ついた……? フェイ……ラン……」
焼けるような痛みと、全身を蝕んでいく闇の侵食で、視界が霞んでいく。
フェイランは一瞬で私の元まで駆け寄り、倒れそうになる私を抱き寄せた。
「そんな……ジゼル……! 俺は……俺はただ、君を……っ」
フェイランが喉を喉詰まらせ、見たこともないほど焦慮しながらも、言葉を紡ごうとしている。
「君を守りたかっただけなのに……! それなのに俺は……この手で、君を……傷つけた……っ!」
「フェイランは、悪くないわ……。私が、いつものように……勝手に飛び出しただけ……。だから気に、しないで……」
「それだけじゃない……! 俺は君の愛するこの世界を、すべて壊そうとした……! どこまでいっても、やっぱり俺は世界にとっての邪魔者でしかないんだ。誰にとっても……何より、君にとっても……!」
「フェ、イ、ラン……?」
彼の腕の中から、残された最後の力を振り絞ってその顔を見上げる。
霞んでいく視界の中で、フェイランは今にも泣き崩れそうなほどに。
絶望に苛まれるように顔を歪ませていた。
「ジゼル、すまない。……俺はやっぱり、討たれるべき『災厄』だ」
そんなことない。
あなたは私の、誰よりも大切な人。
そう言葉を返そうとしたが、心ごと冷たい闇へと溶け落ちていく。
私は底なしの泥の中に引きずり込まれるように、意識を失った。





