32話 誘拐、罠にかかったのは敵の方
フェイランに導かれ、私たちは太陽の光が途絶えた裏路地へと踏み込んだ。
肌にまとわりつくような淀んだ空気が周囲を支配し、暗がりの物陰からは蠢くような殺気が押し寄せてくる。
「くるよ、ジゼル」
「ええ、分かっているわ!」
私とフェイランの抜刀音が、同時に甲強く響き渡る。
それと同時に、物陰の暗がりから複数の黒い影が躍り出てきた。
「遅いっ……!」
私は深く一歩を踏み込み、先手を取って迫り来る刺客の剣を弾き飛ばす。
ガラ空きになった相手の無防備な胸元へ、魔力を纏わせた全力の蹴りをお見舞いした。
「ぐあ……!?」
「女だからって舐めないでよね……!」
私は純粋な筋力こそ男性には及ばないものの、緻密な魔力で肉体を覆い限界まで強化している。
見た目からは想像もつかない、破格の威力を引き出すのが私の真骨頂だ。
(大丈夫……! この程度の相手なら、私一人でも十分に渡り合えるわ!)
背後からは、フェイランが振るう冷絶な刃の音が絶え間なく鳴り響いている。
容赦のない一閃と、刺客たちの悲痛な断末魔の叫びが連続するが、今は後ろを振り返って気にしている余裕はない。
「そこにも隠れているわね!」
気配を察知し、私は高く積み上げられた木箱を蹴り砕く。
直後、弾け飛んだ破片の影から、外套を被った男が飛び出してきた。
間髪入れずに追撃を叩き込むため、私は石畳を鋭く踏み鳴らして一直線に肉薄する。
――けれど。
「……っえ!?」
男は単身ではなかった。
その腕の中には、怯えたように体を小さく震わせる一人の幼い子どもが抱えられていたのだ。
(人質……!?)
このまま勢いに任せて剣を振り下ろせば、男と一緒に無抵抗な子どもまで斬り伏せてしまう。
ほんのわずかな躊躇と迷いが、私の剣筋をほんの少し鈍らせてしまった。
次の瞬間。
抱えられていた子どもが、口元を悪意に満ちた笑みでニタリと歪めた。
可愛らしかった姿が、一瞬にしてドロドロとした不気味な黒い影へと溶け落ちていく。
「子ども……生き物じゃない……!?」
視界の全てを塗りつぶすように膨れ上がった黒い影が、一瞬で私の手足に触手のように巻きついた。
「な、なにこれ……魔法道具……!?」
「ジゼルっ!!」
フェイランの焦燥に満ちた叫びが路地に木霊する。
必死に解こうと抗う私の体ごと、黒い影は底なしの暗黒へと強力に引きずり込んでいったのだった。
◇
ドサ――ッ!
「っう……!」
落ちながらもとっさに受け身を取り、全身に走る衝撃をどうにか和らげる。
即座に体を起こして周囲を警戒するように見回すと、そこは先ほどまでの裏路地とは打って変わり、見覚えのない室内だった。
部屋を飾る豪華絢爛な調度品に、見るからに最高級の素材が使われたベッド。
窓は厚いカーテンが固く閉ざされており、外の景色や夕陽を遮断していた。
「ここは……」
「ふん、こいつがフェイランの女か」
頭上から投げかけられた蔑むような声に振り返ると、そこには一人の青年が立っていた。
過剰なまでにきらびやかな意匠と、派手な宝石の装飾が施された衣装に身を包み、こちらを品定めするように見下ろしている。
「……その高貴な佇まい……。あなたがフェイランの異母兄弟……リウェイね」
「なんだ、名乗る手間が省けたな」
歪んだ薄笑いを浮かべる男。その邪悪さに満ちた表情には、フェイランと同じ血が流れているとは到底思えなかった。
私は警戒を解かないままゆっくりと立ち上がり、逃げ道を探すように密かに視線を走らせる。
「無駄な悪あがきはやめておけ。この部屋全体に強力な結界と魔封じの仕掛けが施されている。貴様のような女一人では、何をすることもできん」
「……私をどうするつもり?」
「そうだな……やはり毒がいい。フェイランの母親を絶命させた時と同じ手法を使えば、あいつがどんな絶望に満ちた顔を浮かべるか……今から楽しみでならん」
突きつけられた残酷な事実に、私は衝撃のあまり大きく目を見開いた。
「あなたが……フェイランのお母様を殺したの!?」
「正確には我が母の指示だがな。だが、あの時の幼いフェイランの顔は、実に最高だったぞ。ただ先に生まれたというそれだけの理由で私の上に立っていたあの男が、目の前で母親を奪われて壊れかけた表情は……まさに傑作だった!」
フェイランの母親が彼が幼い頃に亡くなったことは聞いていた。
けれど、それが血を分けた親族による凄惨な毒殺だったなんて。
湧き上がる怒りに、私の拳は白く血が滲むほど握りしめられた。
「そんなに権力や地位が大事なの……!? フェイランの心を踏みにじってまで、名誉が欲しいというの……!?」
「まったく、うるさい女だな。あんな化け物がいなければ、我が国の栄光と王座は元より私のものだったのだ。私はそれを正当に取り戻すに過ぎん」
「最低な男……あなたなんかに王座は似合わないわ!」
目の前で嘲笑う男を、一発殴らなければ。
いや、二度と立ち上がれないほど叩きのめさなければ気がすまない。
私が地面を蹴り、駆け出そうとしたその一瞬。
「おっと動くなよ」
リウェイが指をパチンと鳴らすのと同時。
何も存在しなかったはずの空間の歪みから、何人もの影の刺客たちが飛び出してきた。
「っく……!」
魔力を封じられた状態では反撃も叶わない。
私は刺客たちによって床へ叩きつけられ、指一本動かせないほど強く拘束された。
「さて……どの毒から試してやろうか。じわじわと痛みが蝕む毒か、それとも絶叫をあげるほどの激痛が走る毒か……」
這いつくばらされた私の元へ、リウェイが歪んだ快楽に浸りながら歩み寄ってくる。
体は動かずとも、私は目だけで彼を射殺さんばかりに睨みつけた。
「……あなたの思い通りになんて、絶対にならない。あなたはここで必ず捕獲されるわ……!」
「ほう? 命を乞うべき場面で、よくもそんな強がりが言えたものだ」
「……強がりだと思う?」
私が挑発的な笑みを浮かべると、リウェイは不快そうに顔を歪めた。
「何だと……? どういう意味だ」
「言葉通りの意味よ。私がただ無様に罠にかかって、人質にされたとでも思っていたの?」
私は脳裏で、数時間前に賑やかな市場でフェイランと交わしたあの会話を反芻していた。
『ペアのアクセサリーが欲しかったのは、もうひとつ理由がある。あいつらはジゼルと俺を、何が何でも分断しようとしてくるはずだ。……だからこの腕輪に、俺特製の追跡と探知魔法を仕込んでおこう』
『いい考えね。それに……もし私が敵の本拠地に連れ去られれば、潜伏している第二王子の居場所も特定できるかもしれないわ』
『俺としては、なるべくそんな危険な真似は避けたいけれどね。万が一にも君が奪われれば、俺が正気を保っていられる保証がないからさ』
「あなた如きに……フェイランが、そしてこの私が負けるわけないでしょう!」
私が力の限り叫んだ、その直後。
――ドォォォンッ!!
窓と壁が存在していた場所が、爆音と共に木端微塵に吹き飛ぶ。
呼吸を遮るほどの粉塵と爆風が、部屋全体を一気に包み込んだ。





