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二人で描く、まだ白い未来

 その日の朝、エレナ・ヴァレンティアは机の上に一枚の絵を広げていた。


 子供からもらった、小さな贈り物。


 銀色の髪の少女と、黒みがかった青い髪の青年が手をつなぎ、花の咲く道を歩いている。


 少し不揃いな線で描かれた二人の姿は、どこか微笑ましかった。


「……この絵から、物語を始めるのね」


 昨日、ルシアンと交わした約束を思い出し、エレナは青い帳面を開いた。


 二人で、この絵から始まる物語を考える。


 そう約束したものの、いざ書こうとすると、なかなか最初の一文が浮かんでこなかった。


 少女は何を探しているのだろう。


 青年は、どうして彼女と一緒に歩いているのだろう。


 その道の先には、どんな景色が広がっているのだろう。


 考え始めると、いくらでも想像できる。


 けれど、どれも自分一人で決めてしまうには、少し惜しい気がした。


「……やっぱり、二人で考えたほうが楽しそうね」


 エレナは帳面を閉じた。


 今日、ルシアンに会ったら、最初に何を尋ねよう。


 そう考えるだけで、朝から心が弾んでいた。


 昼過ぎ、読書室での仕事を終えたエレナは、約束していた場所へ向かった。


 王都の中心から少し離れた、小さな庭園。


 以前、ルシアンと二人で訪れたことのある場所だった。


 噴水の周囲には白い花が咲き、木陰にはいくつものベンチが置かれている。


 ルシアン・アストレアは、そのうちの一つに座って待っていた。


「待たせてしまったかしら?」


「いや。俺も今来たところだよ」


 彼は立ち上がり、エレナに手を差し出した。


「今日は、例の物語を考えるんだろう?」


「ええ。ちゃんと絵も持ってきたわ」


 エレナは鞄から小さな絵を取り出した。


 ルシアンはそれを受け取り、しばらく眺めていた。


「この二人は、どこへ向かっているんだろうね」


「それを、あなたと考えたかったの」


「なら、まずは少女が何を望んでいるのか、考えてみようか」


 エレナは隣に座り、少しだけ考えた。


「……少女は、まだ見たことのない景色を探しているのかもしれないわ」


「どうして、景色を探しているんだろう?」


「自分の知らない世界を知りたいから。今まで暮らしていた場所の外に、どんなものがあるのか、自分の目で確かめたいの」


 言いながら、エレナは少し照れくさくなった。


 それは、まるで自分自身の願いのようだった。


 ルシアンも、そんな彼女の気持ちに気づいたのかもしれない。


 けれど、何も指摘せず、穏やかに頷いた。


「いいね。では、青年はどうして一緒にいるんだろう?」


「少女を守るため……かしら?」


「それだけかな?」


 エレナは彼を見上げた。


「ほかにも理由があるの?」


「例えば、青年自身も、まだ見たことのない景色を探しているのかもしれない」


 ルシアンは絵に目を落とした。


「少女と出会う前は、一人で旅をするつもりだった。でも、彼女と出会って、一緒に歩いてみたいと思ったんだ」


 エレナは静かにその言葉を聞いていた。


 少女だけではなく、青年にも自分の望みがある。


 誰かを守るためだけに生きるのではなく、自分自身も何かを見つけたいと願っている。


 それは、とても素敵なことだと思った。


「……その設定、好きだわ」


「本当?」


「ええ。二人とも、自分の望みを持っているの。それでも、一緒に歩きたいと思ったのね」


 ルシアンは、エレナを見つめた。


「そうだね。どちらか一方が、もう一方に合わせ続ける必要はないんだ」


「それぞれが違うものを見つけても、いいのよね」


「ああ。違うものを見つけたからこそ、相手に話したいことも増えるだろう?」


 エレナは微笑んだ。


「それなら、旅の途中で、二人が別々のものに夢中になる場面も入れたいわ」


「少女は珍しい花を見つけて、青年は古い建物に興味を持つ、とか?」


「そう! 最初はお互いに気づかないの。でも、あとで自分が見つけたものを話し合うのよ」


「それは楽しそうだね」


 二人は顔を見合わせて笑った。


 やがて、エレナは青い帳面を開いた。


 ルシアンが考えたことも、自分が思いついたことも、一つずつ書き留めていく。


 最初の一文は、まだ決まっていない。


 けれど、物語の輪郭は少しずつ見えてきていた。


 少女は新しい景色を探している。


 青年もまた、自分の望みを胸に秘めている。


 二人は同じ道を歩きながら、それぞれの目で世界を見つめていく。


 その旅の先で、何を見つけるのか。


 それは、まだ誰にも分からない。


「……ねえ、ルシアン」


「うん?」


「この物語の最後は、どうしたらいいと思う?」


 ルシアンは少し考えた。


「最後まで決めてしまう必要はないんじゃないかな」


「え?」


「今、二人が考えているのは、旅の始まりだろう? なら、まずは二人がどこへ向かうのかを書いてみればいい。結末は、旅を続けながら考えてもいいと思うよ」


 エレナは目を瞬かせた。


 自分はまた、先のことを決めようとしていたのかもしれない。


 物語の始まりを書こうとしているのに、結末まできちんと考えなければいけないと思い込んでいた。


「……そうね。最初から全部決めなくてもいいのね」


「君が書きたいと思うところから始めればいいんだよ」


 ルシアンは優しく微笑んだ。


「君の物語なんだから」


 その言葉に、エレナの胸が温かくなった。


 彼は一緒に考えてくれる。


 けれど、代わりに答えを決めることはしない。


 自分が迷ったときには、考えるための言葉をくれる。


 それが、どれほど心強いことなのか。


 エレナは、今なら少し分かる気がした。


「ありがとう。私、最初の一文を書いてみるわ」


 彼女は帳面に向き直った。


 そして、ゆっくりとペンを動かした。


『少女は、見たことのない景色を探すために、故郷の門をくぐった』


 書き終えたエレナは、息を止めたように、その一文を見つめた。


 たった一行。


 それだけなのに、胸の奥が少し熱くなった。


 自分で考え、自分で選び、自分の手で書いた言葉。


 まだ何も完成していない。


 けれど、確かに物語が始まったのだ。


「……書けたわ」


 エレナが顔を上げると、ルシアンは嬉しそうに笑っていた。


「うん。いい始まりだと思うよ」


「本当に?」


「もちろん。俺は、続きを読みたいと思った」


 その言葉を聞いて、エレナの頬が赤くなった。


「……あなた、いつもそう言うのね」


「本当にそう思っているからね」


「もう……」


 恥ずかしさを隠すように帳面を閉じる。


 けれど、口元に浮かぶ笑みまでは隠せなかった。


 しばらく二人で庭園を歩いたあと、ルシアンがふと足を止めた。


「エレナ。俺からも、一つ話したいことがあるんだ」


「何?」


「王宮で、近いうちに少しまとまった休みを取れないか、調整している」


 エレナは驚いて彼を見た。


「お休み?」


「ああ。もちろん、すぐに決められるわけではないけれどね」


 ルシアンは庭園の向こうに目を向けた。


「以前、君は知らない土地を旅してみたいと言っていただろう?」


「ええ」


「俺も、君と一緒に行きたいと思っているんだ。だから、実現できるように考えてみたい」


 エレナは、しばらく言葉を失った。


 彼は自分の夢を覚えていてくれた。


 ただ、その場で頷くだけではなく、どうすれば実現できるのかを考えてくれていた。


「……本当に、私と一緒に?」


「君が望むなら」


 ルシアンは、いつものように彼女の答えを待った。


 エレナは胸の前で手を重ねた。


 嬉しかった。


 まだ具体的な行き先も、出発の日も決まっていない。


 それでも、未来の話が少しずつ現実に近づいていることが、何よりも嬉しかった。


「行きたいわ」


 彼女は、はっきりと答えた。


「あなたと一緒に、まだ知らない場所を見てみたい」


 ルシアンの表情が柔らかくなった。


「分かった。では、二人で考えていこう」


「ええ!」


 エレナは笑顔で頷いた。


 そのあと二人は、どこへ行ってみたいか、どんな景色を見たいか、思いつくままに話し合った。


 遠くの海。

 山あいにある古い街。

 珍しい花が咲く庭園。

 大きな図書館があるという隣国の都市。


 話しているうちに、行きたい場所はどんどん増えていった。


「……全部回ろうとしたら、ずいぶん時間がかかりそうね」


 エレナが笑う。


「一度に全部行く必要はないよ」


 ルシアンは答えた。


「次の休みには一つ目。その次には二つ目。そうやって、少しずつ増やしていけばいい」


「まるで、物語みたいね」


「そうだね。旅をしながら、続きを考えていこう」


 エレナは帳面を胸に抱いた。


 まだ白いページはたくさん残っている。


 彼女が書く物語も、二人が歩いていく未来も、始まったばかりだった。


 すべてを今、決める必要はない。


 一歩ずつ進み、そのたびに何かを見つけていけばいいのだ。


 帰り道、エレナは隣を歩くルシアンの手を取った。


「ねえ、ルシアン」


「どうしたの?」


「旅に出たら、あなたが見つけたものも、たくさん教えてね」


「もちろん。君が見つけたものも、全部聞かせてほしい」


「全部?」


「全部だよ」


 ルシアンは微笑んだ。


「君が何を美しいと思い、何に驚いて、どんなことを面白いと感じるのか。俺は、そういうことをもっと知りたいんだ」


 エレナは、彼の手をそっと握り直した。


「……私も、あなたのことをもっと知りたいわ」


 二人の歩く道の先には、夕暮れの街が広がっていた。


 今日、エレナは物語の最初の一文を書いた。


 そして、二人の未来にも、新しい一歩が生まれた。


 まだ知らない景色を探す旅。


 自分の言葉で紡ぐ物語。


 どちらも、これから少しずつ形になっていく。


 エレナは空を見上げ、静かに微笑んだ。


 いつか、この日のことも書き残そう。


 まだ始まったばかりの物語と、隣にいてくれる人のことを。


 そして、その続きを自分たちで選んでいく喜びを。

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