ⅩⅩⅢー3 木兎
■木兎
アイリの部屋には小さな木兎が飾られている。
アイリはその木兎のことを風子にも話したことはない。
物心がついたときには木兎を持っていた。しょっちゅう舐めてかじったせいか、木兎は薄汚れている。だが、その汚れも含めて、アイリの一番大事な宝物だ。
ばあちゃん――ひいばあちゃん――が教えてくれたのはいつだったろう。
――それはおまえのお父さんが作って、お母さんに贈ったもので、お母さんがおまえに持たせたものなんだ。大事にするんだよ。
アイリは、父も母も知らない。写真も残っていない。けれど、アイリは母に似ているとばあちゃんがよく言っていた。父親のことは、その名もその姿も、ばあちゃんですら知らないとか。村人ではない。確かなのは、両親が深く愛し合って、アイリが生まれたこと。母は、行方不明になった父を探して旅にでたまま帰らないという。
「じゃから、母と父に捨てられたと思ってはいかんぞ。おまえは二人の宝物じゃ。そして、この村の宝物じゃ」
ばあちゃんはいつもそう言ってくれた。村にはアイリ以外の子どもがいなかった。村人のみんなが母であり、父だった。だから、寂しいと思ったことはない。
山には友だちがいた。母オオカミとその子どもたちだ。母子オオカミに誘われて、小さな洞窟を見つけた。一家のねぐららしい。そこには、見たこともないものが残されていた。本やノートや実験道具。
――オオカミは山神の使い。じゃが、怖ろしい牙をもつ。
ばあちゃんはそう言って、アイリと子オオカミの交流を禁じた。だから、洞窟のことも秘密にした。でも、しょっちゅう、アイリは洞窟で過ごした。多くの本を読むのは楽しみだった。それ以上に、ノートをもとに実験を工夫したり、岩石や植物を採取したりするのはもっと楽しみだった。
洞窟の奥には、小さなナイフと木くずが残っていた。木兎と同じ材質の木だった。横には椅子代わりだろうか。平たい石が置かれていた。
土砂降りが続いて谷の渓流が溢れた後、オオカミ母子は姿を消した。アイリは寂しがった。向かいのおじさんの家にいる白いイヌが子を産んだ。アイリはその子をかわいがった。
しかし、それもあの悪夢のような火事までだった。
■村の火事
いつものように洞窟で遊んでいたとき、アイリは胸騒ぎを感じた。
小高い丘に登ると、火の谷の村に、見知らぬ大人たちがやってきた。アイリは走って村に戻った。
大人たちは、「悪い人」を探しているという。「悪い人」を匿ったと言って、向かいのおじさんが捕らえられた。「悪い人」の協力者だと言って、数軒向こうのおじさんも捕らえられた。村長であるばあちゃんが、必死で弁明した。大人たちは、ばあちゃんを蹴り上げた。
アイリはカッとなった。年よりを蹴るなんて! おまけに、やさしいおじさんたちを縛り上げるなんて!
アイリは、大人たちの前に飛び出した。
突然現れた小さな女の子を、見知らぬ大人たちはあざ笑った。
「なんだ? このチビ。邪魔だ。どけ!」
比較的若い大男が、アイリを払いのけた。アイリの小さな身体が吹っ飛んだ。ばあちゃんが駆け寄って、痩せた自分の身体で曾孫をかばった。
「ばあさん! あんたも邪魔なんだよ。ほら、行くぞ」
隊長らしき男が命じ、部下たちが二人の男を引っ立てていく。アイリの目が光った。
「あ……あれ! 隊長。たいへんです!」
隊長をはじめ、よそ者一行に驚愕が走った。村までやってきた車が燃え上がっていた。バンバンと爆発音がする。
「火を消せっ! 早くしろ!」
捕まえた二人をそっちのけで、よそ者たちは火消しに走った。アイリはふたりに駆け寄って。縄をほどいた。
「アイリ、ありがとよ」
「逃げようよ!」
二人は顔を見合わせて、首を横に振った。
「いや……わしらに逃げる場所はない。逃げたら最後。村全体がひどい目にあわされる」
アイリがばあちゃんを見ると、ばあちゃんが言った。
「アイリ、おまえは逃げろ。いつもの丘に逃げるんじゃ。わしもあとで行く」
「きっとだよ!」
アイリは、木兎をポケットに入れて飛び出した。村を見下ろせる丘へ――。
走りに走って、振り返った。だれもついてこない。丘の先に出た。
車の火は消えたようだった。ブスブスと真っ黒な煙があがっている。村の広場には村人のみんなが集められていた。子イヌは母イヌのそばにいる。
ばあちゃんがチラッとこっちを見た。アイリはもう一度村に戻ろうとしたが、なぜか身体が動かなかった。
アイリの胸に怒りが満ちあふれた。怒っているのに、身体の自由が利かない。アイリはせめて見届けようと必死で村を見続けた。アイリの記憶はそこで途切れた。
気がつくと、ばあちゃんの腕の中だった。
「アイリ! 大丈夫か?」
小さな小屋の中だった。小屋の外には、村人がみんな集まっている。山仕事のために村人が共同で使う小屋だった。
「ば……ばあちゃん。おじさんもおばさんも、みんな、どうしたの?」
全員が沈痛な面持ちでうつむいた。ばあちゃんが言った。
「村が焼けたんじゃ。じゃが、みんな無事じゃぞ。ほれ、シロもコシロも無事じゃ」
子イヌのコシロがアイリに近寄った。
「よそ者もみんな逃げ出した。しばらくこの村には来るまいて」
「でも、みんなの家がなくなっちゃったの?」
「家はまた建てればええ。幸い基礎の束石は残っておる。山の木を組み合わせりゃ、すぐに家は建つ。どうせ、みな財産はもっとらん。家が焼けてもたいした苦労はない」
「そうじゃ。食べ物はこの小屋にも備蓄してあるでな」
「ピョクじいさんたちが連れて行かれんかっただけでもよかったのう」
「ほんにそうじゃ」
「火の神さまがわしらを助けてくださったんじゃな」
ばあちゃんが頭を撫でてくれた。アイリは安心して眠りについた。コシロがアイリのそばで寝そべった。ばあちゃんは小屋の外に出た。




