ⅩⅩⅢー2 洞窟の月
■洞窟の月
洞窟の外に月が昇った。
マキとサアムは抱き合ったままだった。サアムの胸は温かかった。心臓が早く脈打ち、荒い呼吸がマキの首にかかる。
「一生、あんたの共犯者になる!」
マキはそう言って、サアムに口づけた。
「それはダメ……」という言葉をマキが塞いでしまった。
明け方目覚めると、サアムは数本の綱で洞窟の岩につながれていた。逃げないようにということらしい。洞窟の範囲でなら動けるような長さだった。ただ、特殊な綱らしく、切れないし、ほどけない。
マキがやることはいつもかなり暴力的だが、これで愛情表現のつもりだ。サアムはため息をついた。
――しばらくこのままでいるか……。
サアムには不思議な力があった。母方の祖父から受け継いだものらしい。母はサアムの力を父にも隠した。本香華に匹敵する力だったからだ。
母方祖父の出自はだれも知らない。祖母が住む鄙びた村に、ある日、美貌の青年がフラリとやってきて、居着いた。よそ者を徹底的に排除してきた村なのに、なぜか、村長は青年を受け容れた。そして、娘を差し出したのである。それがサアムの祖母だった。祖母は母を産み落とすと同時に亡くなった。それとともに祖父もまた所在不明になった。
サアムの母は、曾祖父たる村長に育てられた。母は、美貌と才能に優れた女性だった。まだカトマールが帝国だった頃、父のマウル・リエンスキーは、平民出身の若きエリート将校だった。軍で駐留しているときに母に一目惚れし、母を攫うように妻にして、ルキアに連れ去った。
父は母を愛し、一途に母に尽くした。だが、母は父を愛さなかった。父から漂う血の臭いや戦闘の影を嫌った。
サアムが不思議な力を持っていると知ったとき、母はサアムに言い聞かせた。
――ぜったいにこの力を知られてはならない。特におまえの父親に。おまえの命を縮めるから。父親がどれほどおまえを守ろうとしても、父親ではおまえを守り切れない。
母はできるだけ、サアムを父親に近づかせないようにした。全寮制学校に入れ、アカデメイアに留学させた。やがて、サアムは母の言葉の意味を理解した。
カトマール軍は、ひそかに異能者集めをしており、予知や念力などの異能を作戦に利用しようとしていた。本香華は皇室と貴族につながるため、リクルートから外さざるを得ない。本香華以外から候補者を選んだが、軍隊に役立たないとみなされたとたん、抹殺された。彼らが接した機密情報が漏れないようにするためである。
父は、決して悪い人間ではない。誠実な人間だ。だが、貧しく、身分が低いゆえに、軍隊以外に生きる道を選べなかった。軍隊では上下関係が厳しい。服従を強いられる。父もまた、直属の上司である大将軍に逆らうことはできなかった。
家柄が良く、鷹揚な大将軍は、有能な青年をかわいがった。マウルは、大将軍の息子と親しくなった。のちの大統領である。だが、それも厳然とした上下関係を乱さぬ限りで許された友情にすぎない。
サアムは母に似た美貌と天才的な頭脳を持っていた。アカデメイアでは自由だった。だが、内戦を経た軍事政権下のカトマールでは、精神の自由はない。
美貌は隠しようがないため、チャラ男を演じ、頭脳は研究で発揮した。政治と軍部には距離を置いた。なのに、大統領の娘がサアムに惚れ込んだ。たしかに幼馴染だ。だが、恋の対象ではない。きみにふさわいい相手を見つけてよ――そう言って逃げ続けた。
だが、父が罠に入れられた。だれが仕組んだのか――謀反の罪だ。実直な父は謀反を計画するほど狡猾な知恵を持たない。父の罪を晴らすためには、サアムが大統領に忠誠を示すことが求められた。娘との結婚だ。母は反対した。父など謀反罪で処刑されればいいとまで言い切った。だが、そうなれば、母にまで害が及ぶ。サアムは母を守るために取引に応じた。
そのとき胸をよぎったのはマキの姿だった。
マキはすぐれた研究者だった。強い意思を持ち、媚びず、直球の発言をする。マキのまっすぐな目を見たとき、サアムは恋に落ちた。
「好きな娘がいるんでしょ? なら、結婚はやめなさい。おまえが苦労するのは目に見えている」
母はそう言って、サアムを止めた。だが、サアムは選んだ。マキの心を得られないのなら、だれと結婚しても同じだ。権力があれば、いざというときマキを守れる。
父は、微妙な顔をした。大統領と縁続きになることは権力の拡大を意味する。だが、それは身売りに等しい。権力は人を変える。父はサアムが権力にまみれることを怖れた。
子が産まれてまもなく母が亡くなった。サアムの心にぽっかりと穴が開いた。母はサアムに一冊の書物を遺した。サアムの不思議な力の由来が書かれていた。ひそかにサアムは鍛錬を始めた。力を伸ばし、そして、制御する鍛錬だ。
サアムの力は、香華族とは異なる力だった。母の書によれば、〈月読族〉の力らしい。
香華族の男の血は一般女性にとって毒となりうるが、月読族の男の血は毒にはならず、むしろ、相手女性に潜在的な力があるとそれを呼び覚ますという。大統領の娘は何も変わらなかった。息子にも異能は伝わらなかったようだ。サアムはホッとした。普通の子であるほうが幸せだ。
マキにどのような影響が出るかはわからない。だが、それは二の次だ。自分があれほどまでマキに惹かれたこと自体に何かの意味があるのかもしれない。
サアムはマキが自分をつなぎ止めた綱をもう一度見た。しなやかだが、簡単には切れない綱だ。まるでマキのようだ。だが、サアムにはこの綱から抜ける力がある。でも、綱から抜けることはマキを失うことを意味した。それはできそうもない。
昼下がりに、マキが姿を現した。粗末だが、いくつかの食べ物が風呂敷に包まれていた。
「綱をはずしてよ。食べられないよ~」
「ダメッ! あんたは、きっとスキを見て逃げようとするから」
「じゃ、食べさせて! ほら、あ~ん」
マキは、皮を剥いたミカンを半分に割って、そのままサアムの口に押し込んだ。サアムが目を白黒している。
「なんだよ。ボクが死んでもいいの? 喉に詰まりそうだったよ」
「甘えるな! 手は使えるだろうが!」
「ううん。甘えたい! ほら、食べさせてよう!」
マキは、手にしたミカンを小房に分けて、一粒ずつ口に放り込んでやった。サアムがうれしそうに口をモグモグさせている。全部食べ終わると、サアムがサッとマキにキスした。
「ウン、マキちゃんがいちばんおいしい!」
「このうっ」と言いかけたマキをサアムが両手でギュッと抱きしめた。
「このまま……」サアムが震えているような気がする。
マキはイヤな予感を振り払うように、サアムを抱きしめ返した。
「これが最後だなんて言ったら殺す!」
マキはサアムを押し倒した。
「あんたのことが好きだと言ったろ? あんたもわたしを好きだと言ったろ? わたしを捨てたら許さない!」
■決意
サアムとマキは洞窟で一月ほど過ごした。出会ってから十年近く――。ほとんど一緒にいられなかった時間を取り戻すかのように、くっついて抱き合って過ごした。
だが、ついにサアムは遠くに聞き慣れた音を聞いた。ルキアでいつも耳にしたイヤな音――軍靴の音だった。元妻が上げた女性リストにしたがって、順番に調べているのだろう。マキに累が及ぶことだけは避けたい。だが、聞いて納得するマキではない。きっと、一緒に逃げる、共に闘うというはずだ。マキはとても心が強い。
サアムはマキを眠らせた。そして、洞窟の入り口に結界を張り、軍靴が響く方向に飛んだ。
突然姿を現した指名手配犯を軍人たちが追いかけた。サアムはわざとつかまり、連行された。
その後のサアムの行方はわからない。
夜、マキが目覚めたとき、すべてが終わっていた。サアムが短い手紙と小さな木兎を残していた。
「元気ですごして。愛するマキへ」
マキは木兎をつかんで、月を見上げた。泣かなかった。いつかこうなると予感していた。
「きっと見つける! サアム、あんたこそ死ぬな!」
マキは村の祖母の家と洞窟を往復しながら過ごした。ふと気づくと、月のものが止まっていた。
――よし!
願い通り、腹にサアムの子を宿した。大事にせねば……。
祖母は、相手が誰かを聞かなかった。ただ、マキが安心して子を産めるよう、気を配って準備した。この村の最後の赤子は、マキの弟。それから二十余年。村中がマキの子を待ち望んだ。
数ヶ月後、マキは子を産み落とした。元気な女の子だった。かわいいほっぺと大きなくりくりとした目とかわいらしい口のこの上なく愛らしい女児だった。
マキは娘をアイリと名付けた。
村中の者がかわるがわる天使のような赤子をあやしにやってきた。一年間、母乳で育て、はじめてアイリが一人で立った日、マキはアイリを祖母に託した。アイリの小さな手には木兎をつかませた。アイリはそれを舐め、よだれでビショビショにした。
アイリを出産してから、マキは何か不思議な力を得たような気がしていた。強く念ずれば、モノが動く。意識の深いところでだれかが自分を呼んでいるようだ。きっとサアムだ。サアムがわたしを呼んでいる。
――必ず戻ってくるから。
そう言って、晴れ渡った朝早く、マキは村を出た。それから十四年――ときどき手紙は届くが、マキはいまも村に戻っていない。




