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月下の神殿――銀麗月と聖香華  作者: 藍 游
第二十二章 五里霧の谷
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ⅩⅫー6 エピローグ――消された研究者

■レッティーナ・ヒックスへのインタビュー

 ラウ伯爵やカトマール第二副大統領シャオ・レンへの表敬訪問を機に、カトマール国費留学生を中心とするルナ研究会が結成された。ルナ大祭典では、国家と学術に関するオリジナル企画を展開する予定だ。

 一種の学内サークルの扱いながら、扱う資料と予算が桁違いだ。本部棟別館の一室が活動拠点としてあてがわれた。リーダーは、法学部四年の女子学生ビンビン。メンバーは、昆虫オタクの医学部学生ヨハン、宇宙工学院生ダーハ、そして優等生ディーン。彼ら四人のカトマール国費留学生を核に、向こう意気だけは強い天月士ジュンギ、孤独感満載のシャンラのクレア、誇り高い舎村のツナ、そしてリトが参加している。


 最初のインタビュー相手として、一行は、アカデメイア大学附属宇宙工学研究センターを訪れた。

 ダーハが大活躍した。憧れの世界的研究者へのインタビューだ。宇宙工学研究センター長レッティーナはとても協力的だった。


「先生は、学生時代にカトマール帝国大学に留学なさって学ばれたと伺っています。三十年前のカトマール内戦の時、アカデメイアやカトマールでどんなことが起こったのか、お話いただけますか?」

 レッティーナは、にこやかな表情を一転して曇らせた。

「虐殺よ。理不尽に多くの命が奪われたわ。でも、あまりにも突然で、そのときは実感がわかなかったの」

「突然とは? 前兆はなかったのですか?」と、ダーハが不思議そうに尋ねた。

「前兆はなかったわね。当時のカトマールではたしかに不穏な動きはあったけれど、皇帝家は国民に慕われていて、贅沢もせず、政治にも干渉していなかった。むしろ積極的に文化保護や貧民救済に貢献していたのよ。スキャンダルもなかった。その意味では模範的な王家の一つだったと言えるわ」


 天月士ジュンギが目をキラキラさせて質問した。

(この深刻な場面でよくそんな顔ができるな)とリトは思った。

「ボクはカトマール出身ではありません。ですから教えてください。香華族が国を混乱させたと聞いたことがあるのですが、それはどういうことなのでしょうか?」

「でっちあげよ。香華族は皇室や高位の貴族と姻戚関係を結んでいたけれど、香華族の力を自分のためには使わなかった。天候不順から農民を守ったり、天候を読んで作物の実りを上げたり。決して魔女集団などじゃなかったわ」

「では、だれが皇室を処刑し、香華族を根絶やしにしようとしたのでしょうか?」

「直接的には軍部であり、軍部と結びついた極右勢力でしょうね」

「どうして軍部が?」


「皇室と香華族が平和主義路線を採っていたからよ。当時、西方のバルジャでは大統領の独裁が極まって、周囲を侵略していたの。カトマールにもバルジャ軍が攻め入ろうとしていた。皇室と香華族は外交でその危機を乗り越えようとしたのよ。けれども、バルジャが核爆弾を使うという情報が駆け巡り、カトマールはパニックに陥ったの。実際には核爆弾は使われなかったけれど、別の新型爆弾が使われて西方の町一つが廃墟になってしまった。極右が政府の弱腰を批判し、軍部を煽った。軍部がクーデターを起こして、臨時政府を打ち立てたの。皇室は一時的に軟禁されたわ」

「軍部のクーデターですか……?」


「ええ。その頃、香華族がバルジャとつながっているとのうわさも駆け巡った。これもデマよ。でも、デマは飛ぶように広まる。人々の不安を煽るようなデマは特にね。有力な香華族の青年が逮捕された。いわゆる〈本香華〉よ。彼にはパニック障害があり、大勢の兵士に囲まれてパニックに陥ったみたい。無自覚に異能を発揮してしまったの。多くの兵士が倒れたらしい。命には別条なかったのよ。でも、この事件に尾ひれがついた……一般国民にとって、高位貴族の〈本香華〉など無縁な存在。異能のことなんて物語でしか知らない。でも、現実の異能を見てしまった。大騒ぎになったわ」

「〈魔女〉としてですか?」

「そう。集団ヒステリーのような状態になったの。これを軍部からなる臨時政府が利用した。皇室と貴族を廃位し、その財産を全部取り上げたのよ。そして〈魔女裁判〉を始めてしまった」


「反対した人たちはいなかったのですか?」

「もちろんいたわ。その筆頭が、カトマール帝国大学の教授たちだったのよ。自分たちの国際的影響力も使いながら、公然と政府と裁判を批判したの。これを脅威に感じた政府は、大学をつぶそうとした。軍事政権にとっては、理念と正義と理屈を語るインテリ集団は邪魔でしかなかったんでしょうね。わたしはその直前にアカデメイアに呼び戻された。まだ学生だったから難を逃れることができたのよ」

「この時、多くの世界的学者が命を奪われたのですか?」

「いいえ、その一年後よ。心ある教授たちはカトマールの正常化を図ろうとしたの。軍事政権を排除して、民主化を図ったのよ。でも、結局、失敗した。大逆罪とみなされ、ことごとく処刑されたわ。家族もろともね……」


 居並ぶ者みなが絶句した。民主化を求めて大逆罪? しかも、家族もろとも処刑? 

 空気を読まないジュンギですら青ざめていたが、なんとか質問を発した。


「……カトマール帝国大学はどうなったのですか?」

「つぶされたわ。カトマール人民大学に改組されたけれど、政権に抗議した学者たちはすべて処刑されてしまったから、カトマールの文化水準は地に落ちた。その後、カトマールでは、科学は国に奉仕すべきという方針が示されたの。創造豊かな研究は息を止められてしまった」

 みなが黙り込んだ。事実はあまりにも重かった。


■サアム・リエンスキー

 レッティーナは、遠い目をしながら言った。

「当時のカトマールでただ一人世界レベルの研究を行っていたのが、サアム・リエンスキーだったわね」

 一同がピクッとした。この研究会が組織されるようになったきっかけは、ラウ伯爵やシャオ・レンとの会談でサアム・リエンスキーが話題になったからだった。


 ダーハは勢い込んで尋ねた。

「あの画期的な論文を書いたサアム・リエンスキーですか?」

「そうよ。よく知ってるわね。ちょうどカトマール内戦が勃発した頃だったわ。サアムの論文は学界に衝撃を与えた。まだ十八歳の若者だったのよ。サアムは母親の方針で十歳くらいからアカデメイアで学んでいた。アカデメイアは彼にあっていたみたい。生き生きと研究に励んでいたもの。でも、内戦が起こって、国内には戒厳令が敷かれた。当時、アカデメイアにはカトマールからも多くの留学生がきていたけれど、ほとんどは強制的に帰国させられた。何人かは亡命した。いまのカトマール副大統領シャオ・レンも亡命組よ。彼の家族はすべて処刑された……。でも、サアムはこのアカデメイアで研究を続けたわ。なぜそれができるか不思議だったけれど、彼は何も言わなかった。あとでわかったの」


 ダーハは怪訝そうに首をかしげた。

「なにがですか?」

「彼が軍事政権の幹部の息子だってこと。リエンスキー将軍の一人息子だったのよ。内戦を機に、サアムはほとんど笑わなくなった。誰ともほとんどしゃべらなくなって、ひたすら研究に没頭した。そしてまとめたのが、あの一番有名な第二論文よ」


 カトマール出身の者であれば、リエンスキー将軍の名を知らない者はいない。かつては「救国の英雄」と謳われたが、その後「天下の裏切り者」となった悪名高き人物だ。しかし、その息子のことまでは知らなかった。リエンスキーは、カトマールではごくありふれた姓だったからだ。


 ダーハは相当のショックを受けたようだ。沈痛な面持ちでつぶやくように言った。

「そうだったんですか……」

「香華族処刑から三年たって、亡命者狩りも終わったころ、サアムはますます暗くなっていたわね。研究に逃げ込むみたいに。論文をどんどん発表して、どれも高く評価された。そんなある日、サアムはカトマールに呼び戻されたの。お父さんの命令だったみたい」


 言葉を失ってしまったダーハに代わり、ビンビンが質問を始めた。

「カトマールに戻ってからの彼はどんなふうだったんですか?」

「研究を半分放棄したわね。論文は発表していたけれど、キレがなくなった。サアム・リエンスキーもここまでかって、多くの人が言ったわ。でも、わたしはそうは思わなかった。サアムはカトマールで研究が国家に利用されないように、そして自分が無能だとして処刑されないように、ギリギリのレベルの論文を発表していたのよ。本当のアイデアを隠してね」


「まさか、わざと論文のレベルを下げたと?」と、ウル舎村のツナが思わず声を出した。

「ええ。彼はそれができる人だったから。キャラも変えたわよ。アカデメイアの時は真面目一方だったけれど、カトマールに戻ってからは学会で会ってもみごとなチャラ男に変身していたわね」

「チャ、チャラ男?」と目を剥いたのは、ダーハだ。ダーハにとって、サアム・リエンスキーは最も憧れる研究者だったからだ。

「そうよ。もともと彼はすごい美男子でね。アカデメイアでもものすごく女性にもてたのよ。でも、だれのことも相手にしなかった。それが、カトマールでは、おしゃれして、女性を口説きまくって、妙に明るいんだもの。その豹変ぶりにビックリしたわよ」


 ふたたび絶句したダーハに代わり、ビンビンが尋ねた。

「その理由はわかりますか?」

「さあ、ホントのところはわからない。でも、カトマールでの彼の人生は、彼が望んだ人生でなかったのは確かね。やがて、彼は研究をすてて、政治家になったもの」

「政治家?」と、ヨハンが口を出した。

「大統領の娘と結婚してね。若くして副大臣に出世したと聞くわ。でも、もうその頃にはわたしとは会うこともなくなっていたから、詳しくはわからないの。世界にとって損失よね。ただ、彼なりに頑張ったみたいで、アカデメイアへの留学生は増えたわ。だから、新しい世代が伸びてくると期待したんだけれど……」


 あのサアム・リエンスキーが研究を棄てて政治家に転身したなど……ダーハはまだ面食らっている。サアムは国家に研究が利用されるのに抗議して研究を棄てざるを得なくなった犠牲者だと思ってきたからだ。なのに、軍事政権の一員だったのか? しかも幹部だったなんて……。


 青ざめたダーハをちょっと見やってから、ビンビンはレッティーナに尋ねた。

「先生の期待なさったようにはならなかったのですか?」

「ええ。大統領暗殺事件が起こったの。サアムはその容疑者の一人とされて、いまも行方がわからないまま……世界はすぐれた科学者を失ってしまったわ」


 大統領暗殺事件のことは知っている。だが、軍事政権そのものが「歴史の汚点」とされているので、暗殺事件の詳細については学校でも教えられず、若い世代はこの件についてほとんど知らない。


 医学生ヨハンが尋ねた。

「サアム・リエンスキーに関わるものはなにか残っていますか?」

「そうね……たしか、若い頃の写真があったはず」

 レッティーナは、引き出しから大事そうに一枚の旧い写真を取り出した。

「これは、カトマールで国際学会が開かれたときの写真よ。わたしが彼に最後に会ったときの写真なの」


 みんながざわめいた。二十歳代半ばの美男子がにこやかに立っていた。両脇には、レッティーナともう一人の若い美女。美女は身をよじりながら、そっぽを向いている。


 天月士ジュンギが興味深そうに質問した。

「この女性はどなたですか?」

「マキ・ロウという研究者よ。彼女は非常に優秀で、わたしの親しい友人でもあるわ。こののちしばらくしてアカデメイアに留学してきたのよ。でも、大統領暗殺事件が起こった時に、アカデメイアにいた留学生は全員強制帰国させられて、マキの消息もわからなくなった。国家というのは残酷よ。ひと一人の命なんて簡単に握りつぶせるもの」


 マキ・ロウという名はだれも知らなかった。好奇心旺盛なジュンギが無邪気に続けた。

「彼女の専門は何ですか?」

「地質学と鉱物学よ。宇宙鉱物の研究もしていたわ。すぐれた論文も発表している」


 それまで沈黙していたディーンが口を開いた。

「彼女とサアム・リエンスキーとの関係について、なにかご存知ですか?」

「二人の関係? 犬猿の仲よ。サアムがマキをからかってマキが怒り、マキがいつもサアムを蹴り上げていたってのは有名だったしね。ほら、この写真を撮ったときも、サアムがマキの肩を抱こうとしたんだけど、マキがものすごく嫌がって逃げていたわ。あとにもさきにも、サアムをあそこまで嫌ったのはマキだけだったわね」


(蹴り上げる……か。アイリはそこまでしないけど、この無愛想ぶりはなんか似てるな)

 リトは写真の中の無愛想な横顔の美女を見ながらそう思った。

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