ⅩⅫー4 別れ
■中央科学院
カトマール帝国大学が事実上崩壊したのち、カトマールの科学技術政策の中心は中央科学院に移った。
そこはエリート中のエリートが集まる研究機関だ。下っ端のマキにも個室が与えられた。新規採用の五名が所長室に呼ばれている。訓示があるらしい。
最上階の奥まった部屋に行くと、部屋の前にすでに三人が並んでいた。中年男性、三〇歳ほどの男性と女性がいる。中年男性は、カトマール人民大学の教授だったはずだ。引き抜かれたのか?
並んで待っていると、階段を駆け上ってきた青年がいた。
「サアム!」
思わず声を上げてしまい、マキは中年男性にジロリと睨まれた。サアムはあたふたとマキの隣に立ち、息を整えた。
「あんたもここに来たの?」
「そうだよ。同僚だね。よろしく、マキちゃん!」
今度は三人全員に睨まれた。科学院は、えらく権威主義的な研究所のようだ。
ドアが開いて、中に入った。
中央の大きなデスクに一人の老人が座って、五人をジロリと睨みつけた。そばに立つ秘書らしき女性が、五人に声をかけた。
「お座りなさい」
立派なソファだった。秘書女性が一人一人の名を読み上げた。五人がそろっていることを確認した上で老人に書類を渡した。老人の名と顔は、カトマールでは知らぬ者がない。科学は国家に奉仕すべきと唱え、カトマール帝国大学つぶしを率先して行った人物だ。国の科学技術大臣を兼ねる。
彼の訓示を聞きながら、マキは心の中でつぶやいていた。
――はっ! しょーもない! なんでこんな意味のないことをダラダラとしゃべるんだ? このじいさんは。
「……マ……マキ!」
隣のサアムに小突かれた。秘書女性に名を呼ばれたらしい。
「はっ、はい!」
「研究の概要と課題について話しなさい」
――ホントは来たくなかった。こんな窮屈なところなんか。
国に奉仕する気などさらさらない。マキにとって、新しい職場の将来は暗いことこの上ない。だが、この国では「断る」ことは「反逆」に等しい。異動は選択ではなく、命令だ。自由な選択権などない。これまでも本心を隠して過ごしてきた。これからもそうするしかない。もっと力をつけるまで。
――サアムはどうだ?
アカデメイアのように自由なところで学び、研究して、評価された者が、科学院の旧態依然のしきたりになじめるのか?
サアムの表情は読めなかった。喜んでいるふうでも、嘆いているふうでもない。ひたすら淡々と研究について語った。
やっと解放されて研究室に戻った直後、ドアをノックしながら、サアムが入ってきた。口に指をあてている。しゃべるなという合図だ。サアムはマキに荷物を持たせると、マキの手を引いて、研究室を出た。
「なにすんのよ!」
(しずかにしろ! 危険だ)
いつになくサアムの顔が真剣だ。その迫力に気おされ、マキはサアムに従った。
サアムの車はいつもの派手な外車ではない。目立たない大衆車だった。車は科学院を出て、ルキアから少し離れた丘に向かった。サアムは一言も発しない。
■カトマールの山脈
丘から見えるカトマールの山脈は静かに青くかすんでいる。火の山の荒々しさとは対照的だ。
山脈が見渡せる丘の一角で、サアムはマキに座るよう言った。
「どーいうこと?」
「研究室には盗聴器がしかけられている。新人の忠誠度をはかるためだ。科学院のあちこちにも盗聴器や監視カメラがある。気をつけろ」
「う……うそ!」
「ホントだ。この国は監視国家だ。国民を信じちゃいない。特に科学者は要注意人物とされる。優秀な科学者ほどな」
「……」
「まあ、キミは見込まれたってことだ。国にとって有用ならたんまりと研究資金が渡される。危険なら排除される」
「は……排除って?」
「なんらかの罪をでっちあげられて、最悪は処刑だな」
「わたし、なにもしてないのに?」
「言っただろう? 罪など簡単に作られる」
マキは黙り込んだ。サアムも黙って山を見ている。
「どーして、わたしにそんなこと言うわけ? わたしの何が目をつけられたの?」
「キミの研究だ。地質分析でいくつかの鉱脈を見つけたろ? あれで評価された。まあ、目をつけられたといったほうが正解かな」
「あんたは、大丈夫だってこと? 大臣の息子だから?」
サアムはニヤッとした。だが、目は凍り付いたような悲しさを帯びている。
「そう簡単なもんじゃない。外務大臣なんて、一番目をつけられる。しかも、ボクはアカデメイア留学帰りだ。危険人物の筆頭だね。何をしてもスパイ行為を疑われる」
「え?」
「ボクが戻らなければ、家族は拘束される。父が国家に従順でなければ、ボクが逮捕される」
「……」
「あーあ。あれだけおバカな人間を演じてたのに、だれかがボクをチクったんだろうな。まあ、見当はついてるけどさ」
例の無能なおじさん研究者だろう。体よく、サアムとマキを追い出したに違いない。
「だから、もうキミに絡むのはやめるよ。キミまで危なくなるから」
「……」
「あれ? うれしくないの? もうボクを見なくてすむんだよ」
「あんた、どーするつもり? 科学院で何をするの?」
「まあ、おとなしく研究に励むさ。だけど、最高レベルの成果は出さないよ。国に利用されるだけだ。利用価値がないと判断されるとヤバいから、まあ、てきとーにね」
「やっぱり、てきとーだったんだ。それなのに、あんだけの業績をあげてきたってことか……」
「あっは。やっぱりキミにはわかるんだ。だから、大好きなんだよ。マキちゃん! このカトマールでボクの力を理解できるのはキミだけだもんな」
サアムがマキの肩を抱こうとするのを、マキは払いのけた。
「図にのるなって!」
サアムは肩をそびやかした。マキは眉をひそめながら毒づいた。
「おバカを演じるのをやめて、フツーの国家公務員で、御用学者になるってことだよね?」
「まあ、そーだよ。命は大事だし、家族も大事だし、キミも大事だしね」
「どーして、そこにわたしが出てくる?」
「キミにはできるだけ自由な研究をしてもらいたいからね。でも、そのためには、この国じゃ、保護者が必要だ」
「保護者?」
「ウン、ボク!」
「あんたになんか頼りたくない!」
「頼らなくていいよ。もうキミに会うことはないから」
「え?」
「今日が最後だよ」
「科学院をでてくってこと?」
「いや、科学院には残るよ。キミに会わなくなるだけ」
「ま、そりゃうれしいけど」
「最後までそう言うんだね。ま、いいけどさ。キミらしくて」
「ちゃんと説明してよね。わたしに会わないあんたが、なんでわたしの保護者になるっての?」
「ボクが結婚するからさ。キミ以外のひとと。だから、もう会えない。で、その相手は大統領の娘さ。だから、キミを守れる。まあ、ボクもボクの家族も守れるんだけどね」
マキは絶句した。
「け……結婚を道具にするの?」
「あたりまえじゃん! この国じゃ、ボクなんて大統領の娘婿レベルの価値しかないんだよ。その役割を引き受けたら、もっといろいろなことができる。情けないけど、それが現実だ」
「そのひとを好きなの?」
「嫌いじゃないよ。幼馴染だし、美人で優秀で人柄もいい。キミと違って、おしゃれだしね」
「……」
「だけど、ちょっと嫉妬深いな。ボクがキミを好きだと知れば、キミに報復する」
「す……好きって?」
「ウン。何度も言ってるだろ? キミが好きだって」
「あれは、おバカな演技でしょ?」
「最初はね。でも、今は本気だよ。キミが気づいていなかっただけ」
「いまそんなことを言って、何か魂胆があるの?」
「ないよ。言ったじゃない。今日が最後だって、だから、本心を伝えておこうと思ってさ。どーせ、キミはボクのことなんかなんとも思ってないだろうから、ボクが告白したって平気の平左だろ?」
「……」
「だからさ。せめてボクの初恋の思い出に、キミにキスしてもらいたいんだ。それですっぱりあきらめるから! ほら、ここ! 頬でいいよ」
サアムは自分の頬を指した。
――この顔も見納めか……。この軽い声も聞き納めか……。
マキは動けなくなった。鼻の奥がツーンとする。なんだかサアムがぼやける。なんで?
サアムの指がマキの目元を拭った。どうやら、自分は泣いているらしい。
サアムの指がマキの頬をとらえ、ぼんやりとした目の中で、サアムの顔が近づいてきた。なんだか、口に生あたたかいものが触れている。
――ゲッ! アイツの唇だ!
だが、マキの腕はサアムを押し返さなかった。サアムが強く抱きしめてくる。マキもサアムを抱きしめ返した。なんで?
唐突にサアムがマキから離れた。
「ヤバイ! キミを押し倒しちゃいそうだ」
サアムが切なそうにマキを見た。そして、のろのろと立ち上がった。
「さあ、帰ろう。家まで送るよ。明日からはもう会いに行かないよ。廊下で出会っても無視して」
家に着いたときには、すでに月が昇っていた。
「今日はありがとう。これでボクは初恋を胸に閉じ込めることができるよ。キミのことは任せて。安全に研究ができるように全力を尽くす。いつかアカデメイアにも行けるように取り計らうよ」
「……わたしがアカデメイアから戻ってこなかったら、あんた、どーするわけ?」
「かまわないよ。キミがそれを望むなら。キミの研究は、ボクのためのものじゃない。カトマールのためでもない。すべての人のためのものだから。それを縛るなんてできないもんね」
「サアム……」
「バイバイ! マキ! ボクの初恋の人! ボクの永遠の恋人!」
マキはサアムの車を見送った。そして、古ぼけたアパートの階段を昇った。ドアを開け、部屋に入り、ドアを背にして、マキは座り込んだ。なぜか、涙が止まらない。サアムを失ってしまった。二度とサアムとあのように軽口を戦わすことはあるまい。サアムに触れ、サアムに口づけすることもない。
数日後、サアムの婚約が発表された。サアムの隣にはきれいな女性がいた。マキは言葉を飲み込んだ。
――わたしもあんたが好き……。
これからも決して口にすることのない思いだ。




