ⅩⅫー3 パーティ
■出会い
大学内の国際会議場に併設されたパーティルームでは、すでに学会の懇親会が始まっていた。
着たこともないセミロングのワンピースを着こんで、マキは入り口付近でなおも逡巡していた。化粧は同僚女性がしてくれた。髪もセットしてくれた。
研究室の仲間が「おおっ!」と感嘆の声を上げ、「頑張って来いよ!」と送り出してくれた。このまま帰るわけにもいかない。
ドアの向こうでは、雑誌で見たことがある人物も含め、大勢がにぎやかに歓談している。心地よい音楽、おしゃれな軽食、色とりどりの果物、そして赤ワイン――。
――だめだ。あんなところに行っても、居場所がない。やっぱり帰ろう……。
踵を返したとたん。襟首をつかまれた。
「だめだよ。マキちゃん! ほら、ボクについてきて!」
サアムだ。見たこともないような蝶ネクタイ姿で、髪もセットしている。
――あれ? コイツ、こんなに背が高かったっけ?
サアムは、マキの手を引きながら、順番に彼女を紹介していった。まずは、ノーベル賞学者として名高いおじいちゃん学者から。
「いやああ。はっはっは。この女性が、キミが自慢するカトマールの秘蔵っ子だね?」
学者は、マキに笑顔を向けた。
「キミの論文は読んだよ。とてもいい論文だった」
このまえ、権威ある科学ジャーナルに掲載された論文のことだろうか?
「どうぞお見知りおきください。まもなく、もっといい論文を発表しますので。ボクと共著です」
――え? そんなこと聞いてないぞ。
何人かをめぐったあと、例の美女のところにやってきた。
「あら、サアム。その女性なの? 例の論文を書いたっていう人は」
観察するような彼女の鋭いまなざしに、一瞬、マキは震えあがった。
「そうだよ。マキだ。覚えておいてね。彼女は、キミに憧れているみたいだから、ちょっと相手をしてやってくれないかな?」
「いいわよ。わたしもぜひ話がしたかったから」
美女が優雅に微笑んだ。
■興奮
マキは何度も寝返りを打った。いままでの人生でこれほど強く幸福を感じたことはない。レッティーナとの会話だ。彼女はマキが何を言ってもきちんと対応してくれた。
悩んでいた霧が晴れ渡るような爽快感があった。やや低めの声も、きれいな横顔も、濃い葡萄色のドレスも、すべてが好ましかった。何をしても彼女の姿が思い浮かぶ。
翌日、マキはサアムが来るのを心待ちにした。こんなことははじめてだ。
――レッティーナのことを聞きたい! 彼女のことをもっと知りたい!
サアムは二日酔いのような顔で現れた。マキがサアムのそばに駆け寄った。
ポワンとした顔でサアムが軽く首をかしげた。
「あれれ? マキちゃんがそばにいる? なんで?」
「ねえ。彼女のことを教えて!」
「彼女?」
「レッティーナのこと! いつまでカトマールにいるの? もう一度会える?」
矢継ぎ早のマキの質問に、サアムは額を押さえた。
「頭が痛むから、もうすこし小さな声にして……」
「ウン」
マキがめずらしく素直に従った。
「水がほしい」
マキがいそいそと水をコップに注いで持ってくる。
「座りたい」
マキがそこらへんの椅子を引っ張って、サアムを座らせた。
「頭を撫でてよ」
マキがムッとした。そこまではやりたくないが、やむをえない。サッと撫でて、手をシャツの裾で拭いた。
「じゃあ。キスして! ほらここ、頬っぺたでいいからさ」
マキがサアムの横っ面を張り飛ばした。
「いてて……てて! ねえ、いいの? 彼女のことを教えてあげないよ」
とたんに、マキが哀願するような顔に変わった。猫なで声で、サアムに「お願い」している。
「ねえ。お願い! 教えて!」
マキの手をぐっと握って、サアムが勝ち誇ったように言った。
「ちょっとだけ握らせてよ!」
マキは我慢した。しばらくして満足したように、サアムが言った。
「彼女はもう帰ったよ。今朝一番の飛行機だったんだ」
「え……?」
「キミによろしくってさ」
「ホント!?」
サアムががっかりしたように言った。
「その喜び方はどうよ。ボクのことはそっちのけで、レッティーナのことばっかりじゃん」
「そりゃそうよ。憧れのひとだもの」
サアムがマキの耳に口を寄せた。避けようとすると、強く引っ張る。そして、小声でささやいた。
「気をつけないとね、無防備な小鹿ちゃん。憧れの彼女に、研究のアイデアを盗まれるよ」
■盗まれたアイデア
マキは、真っ青になって、雑誌を手に震えていた。レッティーナの最新論文が掲載され、賞をとっている。
「わたしのアイデアだ……」
だが、言ってみたところで証拠はない。彼女が自分でマキと同じ結論に達したのかもしれない。落ち込んでいると、サアムがやってきた。マキの手の雑誌を見ると、サアムはそれを奪い去った。
「……サアム」
「悔やんでも遅いさ。キミがうれしそうにアイデアをしゃべったんだ。公式の場での発表じゃない。それをヒントに彼女が理論を組み立てても、文句は言えない。彼女なりの発想も入ってるだろ?」
「うん……でも、まさか、彼女がこんなことするなんて……」
サアムはのんびりした顔で言った。
「現実を見るんだな。キミが考えていたレベルと彼女のこの論文とを比べてみろよ。いまのキミにこれを上回る論文が書けた?」
マキは首を横に振った。悔しいが、レッティーナの論文ははるか上だ。
「競争が厳しい世界だ。キミものんびりしてると喰われるだけだよ」
「うん……」
サアムはニコッとした。
「素直だな」
サアムは手にした雑誌を開いて、ページの隅っこを指さした。
「ほら、見てみろ。ここにキミの名が出ている」
「え?」
――本論文のもととなるアイデアは、マキ・ロウに示唆を受けた。記して感謝する。
マキは絶句してサアムを見上げた。
「彼女もキミに礼儀は尽くしているよ。さて、これからキミもいそがしくなるぞ。共同研究の依頼も殺到するだろうしな。でもね、キミはすでにボクのもの。共同研究を引き受けてもいいけど、ボクに相談したほうがいいよ」
マキはサアムを蹴り上げようとして、すんでのところでやめた。サアムが言っていることはすべて正しい。まだまだ、自分は世間知らずだ。独り立ちするのはまだ無理だ。
「うーん。困った顔のマキちゃんはものすごくかわいいなああ。守ってあげたい!」
「いらん!」
「そおお? あ、そうだ。これあげる。懇親会のときの写真だよ。ボクが贈ったドレス、とっても似合ってたよ。また、贈るね! 次は、ボクとの初デート用のドレスだよ!」
「知るか!」
「わーお、いつものマキちゃんに戻ったね!」
それからほどなくマキは、常勤の研究員としてカトマール中央科学院への異動を命じられた。




