ⅩⅪー4 毒に転じた月香草
■王太子の決意
十歳の時、ロアンは父国王・母女王とともにカトマール皇宮を訪問したことがある。カトマール皇室とシャンラ王室は、かねてより親交が深く、シャンラ王家の男子は、カトマール帝国大学で学ぶしきたりだったからだ。十二歳になれば、父王や叔父と同じように、ロアンもまたカトマールで学ぶ予定だった。その下見も兼ねていた。
父王はカトマール皇帝の夫君と親友であった。父王は数年ぶりに訪れたカトマールを懐かしんだ。カトマール皇帝夫妻のそばには、見たこともないほど美麗な少女がいた。長子リリアンヌだ。第一子主義をとるカトマール帝国では、性別にかかわらず、長子が皇帝位を継ぐ。リリアンヌは次期皇帝の定めだ。
だが、そんなことは子どもには関係がない。快活で聡明な美少女を前にロアンは胸を高鳴らせた。
一つ違いの二人は、すぐに打ち解けた。女官の監視の下ではあったが、仲良くおしゃべりし、楽しく遊んだ。ほんのひとときだった。だが、この出会いは二人の心に得難い思い出を残した。ロアンは、二年後にこのカトマールに来て学ぶことを楽しみにした。また、この少女と会えるはずだ!
リリアンヌは、薬草に興味があるようだった。皇宮の一角には皇帝家のための薬草栽培所がある。皇帝の許しを得て、リリアンヌはロアンを月夜の薬草栽培所に案内した。そこで初めて、ロアンは月香草を見た。
月夜に可憐な花が咲く小さな植物だった。「月香」と名がつくように、えも言われぬ芳香を放っていた。そのとき、リリアンヌは、天月草のことを教えてくれた。天月にのみ自生する天月草は、万能薬にもなるが、毒にもなると。生来の身体の弱点を解消する力ももつが、それを攻撃して暴走させることもできるらしい。処方はたいへんむずかしいという。それにくらべたら、カトマールが大事にする月香草は、毒の作用を持たないため、安全だ。ただし、薬効は天月草には遠く及ばない。
リリアンヌは、目をキラキラさせながらロアンに言った。
「『香華薬草全書』によると、天月草と月香草はすごく近い近縁種なんですって。どうしてこんなに違ってしまったのか不思議じゃない? わたし、いつかこのことについて調べたいの!」
「でも、天月草って、天月のどこにあるかもわからないんだろ?」
ロアンは首を傾げながら尋ねた。以前に、ギアムからそう聞いたことがある。
「ええ、そうみたい。でも、近縁種ということは、群生する場所も似通っているわけでしょ? 月香草が生えるところと似た場所を探せばきっと見つかると思うわ。ひょっとしたら、月香草を品種改良すれば、天月草に近いものを作り出せるかもしれない!」
ロアンは、リリアンヌを尊敬のまなざしで見つめた。自分はそんなこと考えたこともない。
彼女の瞳は黒だと思っていたが、月光を受けてきらめくリリアの瞳は、深い紫色をしていた。
〈王の森〉の小さな城館にある部屋――二十歳の誕生日を迎えたロアンは、窓から月を見上げた。銀月が丸く天空にかかっている。十年前のたわいない会話が呼び戻された。
――天月で、天月草が新たに採取されたのだろうか?
天月草は、天月本山にすらもはや保管されていないと聞いていた。群生の場所はわかっておらず、歴代銀麗月のみがこれを知るという。天月にはもう何百年も銀麗月は現れていない。それ以上のことは、うかがい知れない。天月内部のことは確かめようがない。
――それとも、まさか、月香草が改良された……?
月香草は天月に献上され、栽培も成功したらしい。その月香草を天月草の力を持つように品種改良する研究が極秘に進められていたとしたら? 天月は他国に介入しない定めだし、その関心も持たない。けれども、研究成果をだれかが不法に持ち出し、何らかの目的でつかうことは不可能ではない。
――毒に転じた月香草……?
そのような品種改良の研究技術は、シャンラには存在しない。帝国大学と香華族を失ってしまったカトマールとて、無理だろう。可能性があるのは、月香草をもつ天月だ。天月は、さまざまの毒も保管し、毒の研究も優れているとか。だが、毒は厳重に管理され、安易に外には出ないはずだ。
もう一つ可能性がある。バイオ研究に優れるウル舎村だ。カトマールあるいは天月から月香草を採取し、自前で育て、品種改良を研究している可能性は高い。天月草には手が届かなくても、カトマールの月香草は採取禁止にはなっていない。ただ、群生場所がわからないだけだ。もし、群生場所を見つけ、採取したならば……? あのウル舎村ならば、十分にありうる。
月香草は、本来、身体に悪い影響は出ない。いま、シャンラで用いられている月香草は、カトマールの薬師長セイが発見して、その効用が確かめられてから後に、友好記念にカトマール皇室から提供された原種の月香草を王室薬草園で栽培している。
カトマールとは気象条件が異なるせいか、シャンラでは花は咲かない。だから、カトマールで、一面の月香草が咲き誇る姿を見たときは感動した。
シャンラ王室の薬剤は、王室薬草園で栽培されている月香草を精製したものだ。安全を最優先して、それ以外の月香草は使わないはずだ。
――だが、もし、どこかで改良品種が意図的に紛れ込まされていたとしたら……だれも気付くまい。ゲンですらも。父王や自分のように、特定遺伝子を持つ者には致命的に作用するようだ。しかも、プラスにもマイナスにも作用する。
父王の発症は、老いと共に遺伝病が発祥したケースだろう。王家には何度か起こっている現象だ。父王の病は緩やかに進行するが、すぐに命に直結するわけではなかろう。けれども、自分のケースは、父王とは違う。明らかに意図的に毒になる薬が盛られた。
王太子暗殺は、陰謀だ。王太子に対してそのような企てをすることができる者は限られる。陰謀が発覚すれば、シャンラ王国は崩壊するだろう。内戦状態になり、カトマール軍事政権や天志教団が介入してくるのは目に見えている。カトマールの二の舞になる。それは、絶対に避けねばならぬ。
ロアンは、愛する女人を想った。アカデメイアの離宮に姿を現したその女人は、月光の下に静かにたたずんでいた。月光を浴びる彼女の瞳は深い紫色を帯びていた。ロアンは悟った。この人はリリアンヌ。忘れられぬ初恋の少女だ。
ロアンは、愛する女人を妻に迎えることができない運命を嘆くばかりの自分を恥じた。
アメリアがリリアンヌである以上、きっと彼女はカトマール復興のために命をかけているはず。シャンラが同じ目に遭ったならば、ロアンもまたすべてを棄ててでもそうするように……。だからこそ、アメリア=リリアンヌは、ロアンに距離を置いたのだ。
シャンラ王太子であるロアンを巻き込むと、シャンラが大揺れする。リリアンヌは強い女性だ。その邪魔はできない。けれども、リリアンヌを助けるための時間もまた、自分にはもはや残されていない。
ロアンは考え抜いた。
――自分の死を最も有効に使う方法は何だろうか?
その瞬間、ロアンの身体がフッと消えた。
■二つの月香草
銀麗月カイから極秘命令を受けて、天月医師ヨヌは月香草について調べ始めた。
月香草が、かつてカトマールからもたらされたものだという記録はあるが、天月ではもはやだれもほとんど覚えていない。
天月の土に合ったのか、月香草は、天月の山奥に自生するようになった。山奥とはいえ、天月草のような断崖絶壁ではなく、ヨヌでも採取できるような場所だった。たいした薬効はないが、痛みを緩和したり、気分を改善したりするセラピー薬として位置付けられ、天月ではよく使われる生薬の一つになっていた。これゆえ、月香草と天月草との関係について、だれも関心をもつ者はいなかった。
ヨヌは、天月の月香草を櫻館に持参した。セイもまた、カトマールの本来の月香草を持ってきた。
ヨヌとセイは顔を見合わせた。二つは明らかに異なっていた。天月の月香草は、もはや香りをほとんど持たない。カトマールで使われていたような薬効の多くも失っていた。天月で顧みられなくなったはずだ。
「セイさま、これはどのように理解したらよいのでしょうか?」
「天月の土に合わせて突然変異したのかもしれぬな」
セイは考え込んだ。カトマールでは、変異など起こらなかった。シャンラの薬草園でも変異は起こっていないはずだ。天月の土に秘密があるのか?
カイは、カムイに命じて、天月草を土付きで採取するよう指示した。ヨヌは月香草が自生する天月の山間の土を持参した。三つの草とそれぞれが自生する土が集まった。
アイリが分析した。
「三つはどれも土の成分が違うようだ。カトマールの月香草は、痩せた土から香り成分を摂取している。天月の月香草は、豊富な養分が含まれた土からまんべんなく栄養分を摂取しているようだ。天月草は、ほとんど栄養分のない土に生えているが、土に含まれるごく微量のマムシに似た毒成分を摂取しているんじゃないかな」
「蛇毒じゃと?」と、セイが唸った。
ヨヌが言った。
「天月山系は長く原生林として保護されてきたため、植生も独特なのですが、動物も独特です。天月には天月蛇と呼ばれる独自の進化を遂げたヘビが生息します」
「天月蛇?」
「蝮のように、神経毒をもつ毒蛇です。個体が小さいので、一体一体の毒はたいしたことはないのですが、巣をつくって集団で生息するようです。高い山に生息するので、見つけるのは至難だそうです。あ、そういえば、一体だけ、天月自然資料館に標本がありますよ。見てみますか?」
「いや……ヘビの標本なんて見たくないよ」とアイリがゲッとしながら言った。
「天月蛇が巣をつくるところに、天月草が生えるということでしょうか?」とカイが言うと、
「そうでしょうな。蛇の死体や排せつ物が、月香草を独自の天月草に育てたということかもしれませんな」とセイが答えた。
「ということは、特殊な毒を混ぜた土で月香草を育てれば、品種改良が簡単にできるということですか?」
「品種改良とまでは言えんかもしれんが、月香草が土の影響を受けやすいという性質に気づけば、特殊なタイプを育てることは不可能ではないかもしれませんな。ただ、月香草は、光や風、温度などに敏感で、非常に繊細な植物と言われておりましてな。どんな土でも育つというわけではございませぬ。わしも若い頃、月香草がどのような条件で育つか、いろいろと試してみたんじゃが、どれもうまくいきませんでした」
「天月草と月香草とでは、まるで生息条件が違います。土だけではないのかもしれません。月香草の生育環境をもう少し調べてみます」
ヨヌは楽しそうに櫻館を去っていった。足取りからルンルン気分が伝わってくる。
「新しい理科の宿題をもらって喜ぶ優等生の子どものようじゃな」と、ばあちゃんがつぶやいた。
「まことに」と、セイが頷いた。
二人の老女の横で風子が座り込み、虚ろな目でモモの頭を撫でながらつぶやいた。
「ねえ、モモ。わかった? 突然変異だの、神経毒だの、わたしにはさっぱりわかんなかったよ……」




