↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月下の神殿――銀麗月と聖香華  作者: 藍 游
第二十一章 大神官の憂鬱
PR
108/333

ⅩⅪー1 大神官への挑戦状

■疑念

「そうか……下がって良い」

 王宮内の一つの宮で、王母ランは軽いため息を漏らした。


――前王太子ロアンさまの墳墓を王父さまと前女王陛下がお訪ねになり、王父さまは二人の客人を伴っておられました。その一人は元王太子親衛隊長のキュロスどの、もう一人はわかりません。

 報告は、王父の動向を探らせるために置いた密偵からだった。


 ヨミ大神官から、ダム王子との縁談が決まったと聞かされたとき、わたしは天にも昇る気持ちだった。ヨミ族の中で最も優れていると評判の従姉妹キハは、いまや女王となっていた。わたしはキハより劣るが、わたしの夫はキハの夫よりも優れていた。


 王父たる夫と王母たるわたしの間の愛情は、もともと一方通行だった。わたしはひたすら夫を恋した。秀でた美貌と才智にあふれた青年の妻になれることを人生最大の幸運と喜んだ。だが、夫はわたしを見たことはない。

 別の女性がいるのか? 密偵に探らせたが、愛人の影は皆無だった。過去の恋に囚われているのか? しかし、その事実も確認できなかった。ダム王子には、女性の影はなく、浮いた噂もなかった。男性が好きなのかとも調べさせたが、それもない。誰にも愛情をもたぬ者がいるという。ダム王子はそれにあたるのかもしれぬ。それならば仕方がない。子をもうける義務を果たしてくれれば、それで良い。


 ほどなく王子が生まれた。この子は、ロアン王太子のスペアだ。それでも良い。わたしには玉のように大切な子だった。だが、父親のダム王子は、子にさほどの関心を向けなかった。彼は、わたしや子を無視したわけではない。つねに丁寧に扱い、わたしや子があらぬ中傷に晒されないように、細心の注意を払ってくれた。だれもがわたしを羨んだ。あれほど秀でた夫君を得たわたしを羨んだ。

 けれども、わたしにはわかっていた。夫の心にわたしはいない。わたしの子もいない。


 だが、そんな生活も長年続けば、慣れてくる。夫が二度とわたしを抱かずとも、夫はきちんとわたしの手を取り、妻として最大限尊重してくれる。微笑みも交わしてくれる。これ以上望んではいけない。そう自分を慰めてきた。


 夫は、ロアン王太子に深い慈愛を示した。あの王太子ならば仕方ない。わたしとて、ロアン王太子を愛しく思っていた。王太子には周りにいる者すべてを魅了する生来の力があったのだから。我が息子のためにも、王太子との関係は緊密な方が良かった。


 だが、あるとき疑念が生じた。ほんのささやかなできごとだった。


 王族が集まった宴で、突然雨が降り始めた。みなが慌てる中、ダム王子はわたしたちの子ではなく、王太子のそばに駆け寄り、上着を脱いでかざし、王太子が雨に濡れぬよう守ったのだ。居並ぶみなが称賛した。


――国王陛下と王太子殿下への王弟殿下の忠誠はまことに篤い。


 国王陛下は微妙な笑みを浮かべ、王弟殿下に感謝の言葉をかけた。女王陛下は何も言わずに軽く会釈をした。王太子殿下はうれしそうに王弟殿下の手を引き、広間の椅子に誘って、隣に腰掛けた。並んで座る二人は美しく、だれもが見とれた。


 ロアン王太子殿下は、国王陛下よりも母のキハ女王陛下の方に似ておられ、抜きん出た美貌の持ち主だった。その英明さや快活さも女王陛下に似ていると言われた。だが、王弟殿下と並ぶと、まるで親子のようだ。

 不思議ではない。王弟殿下も王太子殿下も、国王陛下の御母君たるセリナ上女王陛下の面差しを残すというのは誰一人知らぬ者はない。セリナ上女王陛下は、われら同様、ヨミ族の出身。キハ女王陛下ともわたしとも、そしてヨミ大神官とも親戚にあたる。セリナ上女王陛下とヨミ大神官アーリーは同世代で、若いころからヨミ族とシャンラ王国を支える女性と並び称された。


 しかし、わたしの胸に芽生えた疑念は消えなかった。


 王弟殿下は女王陛下にはほとんど近寄ろうとしない。王弟殿下は人に好かれる明るい性分だ。性格もやさしい。これゆえ、女性の人気も高い。ただ、真面目なためか、女性には必要以上に近寄ろうとはしない。こうしたやさしさゆえ、王太子殿下を我が子以上にかわいがってもだれも気には留めない。女王陛下に距離を置いても、むしろ礼節に適ったふるまいとして称賛されていた。


 けれども、見方を変えれば、別の意味に気づく。


――王弟殿下は、なぜ、女王陛下にあれほど距離を置くのか?


 注意してそっと見ていると、夫の視線が女王陛下に注がれているときがある。ぶしつけな視線ではなく、ほんのわずかの時間、遠いものに憧れるようなまなざしだ。女王陛下の美しさや威厳に目を奪われるのは夫だけではない。ゆえに、ほとんど疑問に思わなかった。だが、その雨の日以降、かすかな疑念はふくらむばかり……。

 夫のまなざしが女王陛下に向けられるのはほんの一瞬――気にしなければ、それで済む時間だ。だが、女王陛下が去った後、だれもいない空間を夫は見つめ続ける。わたしには向けたことのないまなざしだった。


――夫のこころを占めるのは、まさか女王キハか?


 密偵に調べさせた。だが、二人の関係を証拠立てるようなものは何もなかった。ただ、キハの能力を評価していたセリナ上女王陛下は、しばしばキハを離宮に招き、もてなしていたという。その頃、わたしはまだ二歳――離宮に招かれる年齢ではなかった。

 離宮にはダム王子もいたという。キハとダム王子は幼なじみだった。だが、これも決して奇異なことではない。王子たちとヨミ族のエリート少女たちは、しばしば親族であり、幼なじみとして顔を会わせ、やがて婚姻を結ぶのだから。


 王子たちは初等教育を終えた十二歳くらいからカトマールに留学し、カトマール首都ルキアにあるシャンラ王家の宮殿で過ごして見聞と人脈を広げ、高度な教育を受ける。外交使節とともにシャンラ王国にとって重要な国をめぐることも多い。ダム王子もまたカトマールに留学した。兄王子と同じだ。その後、ダム王子とわたしが婚姻するまでの間に、ダム王子はほとんど帰国しなかった。

 ただ、兄王子の婚礼と二年後の兄の国王即位式のときには、それぞれ一月ほどシャンラに帰国した。いずれも母女王の離宮に滞在して、母陛下に尽くして過ごしたという。この時期にキハも離宮にしばらく招かれていた。女王教育のためだという。

 母女王とその女官たちの監視の目が光る離宮で、いくらともに過ごしたとはいえ、ダム王子とキハが親密になったとは思えない。母女王は厳格さで知られる女傑だったからだ。女王陛下の離宮は、女王に忠実な部下で固められており、密偵が入り込む隙はまったくない。疑念は疑念のままだった。


 疑念が確信に変わったのは、ロアン王太子が発症したときだ。


 ロアン王太子の発症は、衝撃だった。王弟ダムは治療の手立てを探して、人目も気にせずに奔走した。


――わたしたちの子のとき、このお方は、ここまでしてくれるだろうか?


 だれもいない殯の部屋で、王太子の棺に王弟ダムは縋り付いたと密偵から報告があった。その日以降、夫ダムから笑顔が消えた。


 ロアン王太子が急逝したあと、息子が王太子になり、ヨミ族からサユミを妻に迎えて、国王に即位した。わたしは王母として王宮に迎えられ。宮の一つを与えられた。王父となった夫はその宮には住まず、老いた母陛下に尽くすために母の宮に住んだ。その後も、母が亡くなって主人を失った離宮で暮らしている。兄の前国王陛下は発症し、治療も兼ねて、あるところに隔離されているとか。キハ上女王陛下は、王宮を新しい国王夫妻に譲り、別の離宮で過ごされている。ダムとキハが互いの離宮を訪問している形跡はない。


 わたしは一人になったわけではない。婚姻時に、実家からわたしの世話役として乳母がついてきた。息子が国王になり、わたしが王母になってからは、多忙なわたしを支えるために、乳姉妹である乳母の娘が住み込み、女官長となってくれた。ヨミ大神官とも縁続きの女性だ。乳母と乳姉妹が、わたしの話相手だった。

 二人には、ささやかな疑念も口にした。二人は秘密を守ってくれたし、いつもわたしの味方だった。密偵は乳母の手配による。ヨミ族伝統の密偵〈影〉のひとりだった。


 王太子墓前を訪れた者のことを女官長は調べてくれた。

 ロアン王太子の元親衛隊長キュロスは、いまは舎村若君の護衛をしているという。青年はキュロスの知人で、王太子がアカデメイア留学中に親しくした者のゆかりの者とか。没後二十年の節目に墓前を弔ったらしい。キュロスはキハ女王の信任も篤かった。謁見の挨拶をしても、特に不自然な点はない。

 一行は王墓近くの離宮でしばし歓談したあと別れ、キュロスと青年はその日のうちにアカデメイアに戻ったとか。その後、王父に特に動きはなく、王父の私宮を訪れた者もいないという。


■月の神の像

王室行事で王父が久しぶりに王宮に姿を見せた。変わりはなかった。いつものように、静かに国王夫妻を見守った。

しかし、異変が起こった。行事に続いて、国王夫妻と王父・王母そしてキハ前女王が私的に晩餐を楽しんでいたときのことだ。王父がめずらしく話題を出した。

「女王陛下、来年、カトマールでルナ大祭典が開催されるそうですね」

サユミ女王が推進している大規模な文化行事だ。女王は義父である王父に笑顔を向けた。

「さようです。このシャンラ王室も協賛しております」

「楽しみですね。カトマールは若いころに十五年近く住んだ国。ですが、クーデター事件が起こって軍事政権になってからは訪れたことがありません。来年は、その大祭典を見るために、わたしも久しぶりにカトマールに行こうかと思っています」

「父上、それはとてもよろしいですね。女王が喜びます」

 国王は、父が妻の仕事に初めて関心を示したことがよほどうれしかったようだ。王母ランには、息子の気持ちが手に取るようにわかる。父にあまり関心を持ってもらえなかったが、息子は、なにごとにも秀でる父に強く憧れている。つねに、父の言葉や仕草に過剰に反応するのは、そのせいだろう。

国王はもともとルナ文化に特に強い関心を持っていなかったが、女王サユミがすることにはいつも全面的に賛成する。だが、それ以上のことはしないし、できない。サユミ女王は、幾分頬を上気させながら、王父の質問や関心を喜んで受け止めた。

王父ダムは、国王と女王という立場を重んじて、息子夫婦にも丁寧な物言いだ。

「先日、ロアン王太子の親衛隊長を務めたキュロスという者が王太子の墓前に参りましてね。キハ上陛下にもお目通りいただきました。目下、キュロスはウル舎村若君の護衛を務めているそうなのですが、彼によると、開催国のカトマールはもちろん、ウル舎村やアカデメイアだけでなく、先日、天月仙門もルナ大祭典に協力を申し出たとのこと。ルナ・ミュージカルという出し物もあると聞きました」

 女王サユミの瞳がパッと輝いた。

「さようです。このたびのルナ大祭典は、非常に大がかりなものとなる予定です。あのルナ大神殿遺跡が公開され、遺跡近くに博物館と大劇場が建立されることになっており、急ピッチで準備が進んでいると聞いています。ルナ・ミュージカルは、世界的に有名な音楽家の九鬼彪吾と世界的ベストセラー作家である游空人のコラボだそうで、ラウ財団が全面的にバックアップしています」

「ほう……あの〈五月の歌〉の九鬼彪吾ですか?」

「ご存知ですか?」

「ええ、もちろん。〈五月の歌〉はどれも詩的で、曲もすばらしい。とても楽しみですね。女王陛下もご尽力の甲斐があるというもの。ぜひともルナ大祭典にて、シャンラ文化の粋をお示しいただきたい。近々、わたしからも出品物を提供いたしましょう。他にも、わたしになにかできることがあれば、いつでもご相談ください」

 サユミの顔がいっそう輝いた。王父殿下――シャンラ王家直系の筆頭王族男性であり、だれからも敬慕されている人物――からの支援は、なによりもありがたい。何かと邪魔をするヨミ大神官も、王父殿下の威光を無視することはできないからだ。

「王父殿下、お心遣いをまことにありがとう存じます。王父殿下のご理解とご協力を仰げるとなれば、このシャンラの準備も順調に進みます」

 数日後、王父ダムから王宮にある秘宝が届けられた。シャンラ王国がウル大帝国を破ったときに手に入れたウル皇室の秘宝――ルナ古王国からウル皇室が奪い取った月の神の神像――だった。

 サユミは驚愕し、王父に心からの感謝を捧げた。ルナ大祭典に協力するシャンラにとって最も重要な意味をもつ宝物だったからだ。この神像を奪い返したことこそ、シャンラ王国がルナ古王国の正統な後継者であることを示すと伝えられてきた神像だった。だが、ヨミ教の影響力が強まり、神像の破壊を怖れたシャンラ国王は、数百年前にこの神像を隠した。王家の直系男子で、ヨミ大神官の影響を受けにくい王弟にのみ伝わる秘宝として遺したのである。神像は、ダムの父王の弟からダムに引き継がれていた。


 私宮でいつものように花を愛でながら、ダムは独りごちた。

「さて、ヨミ大神官はどう出るかな?」

神像は、ルナ大祭典で公にしたほうがむしろ保護されよう。だが、この神像の公開は、ヨミ大神官の神経を逆撫でするに違いない。ダムは、神像の寄贈によって、ヨミ大神官に挑戦状を突きつけたのだ。

「うまく罠にはまってくれればいいが……」

月の神は、両性具有だ。ヨミ神官団を女系、王家を男系として、性別に分けるシステムは、月の神の価値観にはまったくそぐわない。ヨミ神官団は激しく動揺するだろう。それを予測できぬキハやサユミではない。キハもサユミもすでに性別役割を超えた新しい国造りを展望しているようだ。それは、ロアンが目指したものであった。いま、自分にできることは、ロアンの夢が形になるよう手助けすることだ。それは、ロアンの子カイを助けることに他ならない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。