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第6話 前の自分のイタみ


 翌日の学校。

 昼前になると雨が降り始めてきたため、4限目の体育の授業は体育館でバスケットボールをすることに。

 皆がボールに群がる中、俺は茶色い球なんかよりも久助の事を目で追いかけていた。


 彼はプレー中も積極的に俺へパスを出してくるし、他のクラスメイトとも適度にコミュニケーションを取っている。朝も気さくに話しかけてきたし、ここまで特に怪しい動きなんてありはしない。

 

 そして終わりのブザーと共に俺がシュートを決めると、久助は嬉しそうに駆け寄ってくる。大きな手のひらで、ハイタッチを求めてきた。

 


「っしゃ! ナイスシュートだ真太!」


「久助もナイスパスだった」

  

「まぁなっ。真太、前ほどではないけどよ。なまってる割にさすがの運動神経だな」


「え?前の俺って、もっと動けてたんだ。……もしかしてダンクとかしてた?」


「いや、さすがにしてねーよ。してたらバスケ部入ってただろ」


「それもそうか。じゃあ俺は何部だったの?」


「あぁ、自称帰宅部のエースだったぞ。ドアtoドアの校内記録保持者だって、自分で言ってたぞ」


「……えと。その記録、もう破棄でいいです」



 授業の後はそのまま昼休みに入った。

 朝のちょっとした時間も、体育の授業中も、久助とは何気ない友達らしい会話をしただけだ。

 聞きたいことはあったが、本人を前にすると簡単には踏み出せない。昨日考えてしまった嫌な予想は、今も俺の頭の内側にこびりついている。


 早く、この疑惑を解消しないと……。


 

 稲荷さんみたいに分かりやすく嘘をつく人間だったら、このままボロが出るまで泳がせていたかもしれない。

 ……でも、久助は端から見ても、自分から見ても、ただの良き友人でしかなかった。

 

 その表面の温かさが、裏にあるかもしれない悪意の冷たさを際立たせているような気がして。焦った俺は、パンの袋の端を必要以上に強く握りながら彼の机へと向かう。

 

 

「きゅ、久助。昼ご飯一緒にどう? 少し、話したいこともあるし」


「おう。いいぜ」


 

 そこから昨日と同じ、屋上の手前まで階段を上った。

 雨のせいか、授業の疲れのせいか、昨日よりも重たい空気が肩と膝にのしかかる。

 

 そしててっぺんまで上りきると、久助は一番上の段に腰を下ろす。 

 今はもう2人きり。何も装う必要はないのに、彼は相変わらず良い友人を続けてきた。

 


「昨日もここで食べてたのか?」


「うん。ここは誰も来ないし」


「別に教室で食べたっていいんだぞ」

 

「いや。こっちの方が落ち着くから」


「そうか……。でも昼メシぐらい、誘ってくれりゃあいいのによ」



 ハハと軽く笑った彼の眉間は、何かを察したのか控えめに溝を作っていた。



「ありがと。次、機会があればそうする」



 少し間を空けて座った俺は、イチゴジャムパンを開封することなく自分の膝の上に置く。


 俺から話があると誘ったから、彼は黙って弁当を広げていた。

 でも、何も言わないその静かなプレッシャーが、こちらの身体の芯を強く押さえつけてくる。それが自分の隠し持つ刃物の存在を見透かされたように感じ、俺はまた袋を持つ手に力が入った。

 

 

「……あのさ、久助。俺、聞きたいことがあったんだ」


「……なんだ?」


 

 袋を撫でる乾いた音が、湿気で重くなった空気にカシャカシャと響く。

 そして、口に溜まる唾液すら飲み込む余裕がないまま、俺はそっと、彼にナイフを突きつけた。


  

「久助……。久助はさ、なんで俺が登校してきたとき、記憶喪失になったって知ってたの」


「……それはお前、先生に聞いたって言っただろ」



 やましいことがなければ、大した意味なんてないような質問。

 彼はその意味を理解したのか、分かりやすく言葉を濁す。

 


「そっか。じゃあなんで、クラスメイトの皆は俺を避けてるの?」


「……それは、なんでだろうな」


「なんで、久助しか話しかけてこない?」


「みんなまだ、接し方が分かってないだけだろ……」



 次第に張りを失う彼の声。

 それが最後かすかに届くと、俺はもう、うるさくなった自分の心臓の音しか聞こえなくなっていた。


 

「じゃあ、久助はさ。……ほんとに俺と、親友だった?」


「……」

 

 

 自分の視線はずっと膝の上。その目を見て話したわけではなかった。 

 顔を上げていないから、彼の表情は分からない。

 

 でも、久助が生み出したその無言の時間が、こちらが投げ掛けた言葉をそのまま跳ね返してきて。自分で受け止めてからようやく、俺はその重みを知った。


 久助は、俺が向けたナイフの刃を、自らの手で握っていた。

 

 

「……あたり前だろ。……俺はずっと、お前の親友だ」


  

 目の奥に見える柔らかな光。落ち着いた声のトーン。受け皿みたく優しい弧を描く口元。

 それと、大切なものを壊された時のように、深く刻まれてしまった眉間のシワ。


 全て計算されているものじゃないのは明らかだった。何も言い訳をしてこなかったけど、それでもこれだけは分かった。

 疑うべきは彼じゃない。本当に裏切ろうとしていたのは、自分自身だ。

 

 俺はどうして、こんなにも優しいたった一人の親友さえ疑ってしまっていたんだ……。


  

 刃を握ったことで滴る赤い血が俺の手元まで伝い、その熱いぐらいの温度で、自分の冷えきった手は少しずつ感覚を取り戻していた。

  


「……久助。ごめん俺……」


「いいんだ……。記憶がなくなったって、頭では理解してるつもりだったけどよ。お前の孤独とか、そういうの、俺はたぶん全然分かってねーんだよ」



 ……そんなことはない。学校に来て、最初に話しかけてくれたのは久助だった。



「でも、俺はお前の親友だ。これだけは絶対変わらねーよ」


 

 教室まで連れていってくれたことも、バスケのチームに入れてくれたことも、彼にとっては些細なことだったのかもしれない。でも、俺にとっては全て最初の入口だった。

 彼が、進むためのチケットをくれたんだ。



「ごめん。……ありがとう久助」

 

「おぅ。それだけはもう、忘れんなよっ」



 突き出された大きな拳に、ようやく体温を取り戻した自分の拳を軽くぶつける。

 

 跳ね返ってきた小さな音が何だかくすぐったく、ずっと強張っていた自分の顔はいつの間にか(ほぐ)されていた。

 


 

***** 


 パンの端を千切りながら、俺は久助に質問する。


   

「俺って、記憶を失う前どんなだった?」


「ん?お前はお前だったぞ? 落ち着いてるけど、話すと結構面白いやつで。誰にでも優しいし、1本筋の通った男だった」



 心のどこかで期待していた、それでも予想はしていなかった言葉たち。

 それを彼があまりにも淡々と話すので、恥ずかしくなった俺は返事の代わりにパンを口に入れる。



「なんだ? もしかして自分がどうだったか気になってんのか? ……俺は少し話しただけで分かる。前も今も、大して変わんねーよ」



 "変わらない"なんて、褒め言葉ではなかっただろう。

 でも、見失っていた自分が確かに存在していたこと。それが分かっただけで、今の俺には十分だった。


 

「……そっか。ふふ。……俺めっちゃいいやつじゃん」


「自分で言うかよ」


 

 痛んだコンクリートに囲まれた踊り場で、それを包む雨の音と、俺たちの笑い声だけが混じりあっていく。

 

 今日のジャムパンは、ほんの少しだけ濃い味に感じた。

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