最終話 2回目の恋
「真太……なんで」
「稲荷さん!」
私の元に駆け寄ってきた彼は、すぐ目の前で膝をつき、座り込んでいた私の目を見つめた。
「ごめん、俺……ごめん!」
頬から汗を垂らし、まだ荒れた息を落ち着かせながら、彼はぎゅっと目を瞑って下を向く。
「傷つけて、ごめん」
「そんな、こと……」
「犯人、見つかったんだ。噂も、たばこも、切り裂かれてた衣装も、全部。3組の男子生徒だった」
「えっ……?」
「その人が金子さんへ書いた手紙が、俺のものだってことにすり変わってて、それで、その恨みで」
「そ、そっか」
「だから稲荷さん、ごめん、本当にごめん。今まで……」
「じゃあ、もう真太は大丈夫なんだね。よかった」
顔を上げた彼は、大きく開いた目でこちらを覗く。
「な、なんでまた、俺のことなんか……」
「私は真太に幸せになってほしかったから。それだけだよ? ……だからおしまい」
「……え?」
「だからこれで、私の役目はおしまい。何にも役に立てなくて、ごめんね。楽しませてあげられなくて、ごめんね。真太の時間を奪っちゃって、ごめんね」
「稲荷さん……?」
「今までありがと、真太。……ちゃんと幸せになってね?」
今できる目一杯の笑顔を作った。
最後に笑ってお別れしたかったから。
最後ぐらい良い思い出だと思ってほしかったから。
瞼はすごく重いけど。
口元は思ったように緩まないけど。
でも、最後だから。
目一杯、最高の笑顔を。
「……ねぇ」
私の顔を見た後、彼は俯きながら口を開いた。
「……稲荷さん。なんで今日、学校休んだの」
「もう、行く必要がないからだよ」
「……なんで、連絡くれなかったの」
「そう、決めてたからだよ」
「……なんでこんなに、段ボールがいっぱいなの」
「もうすぐ、帰るからだよ」
「……なんで、帰るの」
「真太に、幸せになってほしいからだよ」
「……ちがう」
「え?」
「ちがうよ。稲荷さん」
顔を上げた彼の表情は、いつになく真剣で。いつになく、悲しそうだった。
「そんなことしたら、俺は幸せにはなれないよ」
「……え?」
「俺、言ったよね。『自分の幸せは自分で掴みたい』って。だから、だから……」
床に落ちていた私の手を、彼の温かな両手が拾い上げた。
「俺は、稲荷さんにいてほしいっ」
その手は、少しだけ震えていた。
「いなくなってほしくなんかない。彼女でも、彼女じゃなくても。俺はいてほしいっ。俺がいたいんだっ。一緒に、いたい」
記憶を失くす前と同じ、大きくて温かい手。
でも、あの時とは違う。
まだまだ遠慮がちで、力んでいるのに包まれているみたいで。
慣れないこの距離感が、彼の優しさそのもので。
「聞かせてよ。稲荷さんの本当の気持ちも」
「わ、私は……」
振りほどくことなんかできなかったその手を、そっと自分の胸に引き寄せる。
覚悟を決めてたはずなのに……。
嘘を突き通そうと、決めてたはずなのに……。
強く抱き締めると同時に、我慢できなくなった気持ちが、胸の中から溢れ出た。
「まだ、いたいよ。私まだ、ここにいたい……。まだ、真太と一緒にいたいよ……」
「そっか。そっか。じゃあさ、同じ気持ちだね」
顔を上げると、真太は笑っていた。
記憶をなくしてしまった今の真太が。あの頃みたいに。
「いいのかな……。私、まだここにいても、いいのかな」
「何度だって言うよ。俺はいてほしい。俺はまだ、一緒にいたい」
「うぅ。へへ……。そっか。真太が、そっか。……あ、あれ……? あれ……な、なんでだろ」
視界がゆらゆらと揺れて、目の前の彼の顔が満足に映らなくなる。
気付けば、涙が溢れていた。
大きな雫が何度も自分の頬を伝う。
どんどん流れてくるそれが、拭っても拭っても、止まってくれやしない。
あの時、涙なんて枯れてしまったと思ってたのに。
……そっか。
嬉しいんだ、私。
どうしようもなく、嬉しいんだ。
嬉しい時の涙なら、まだ、こんなにも残っていたんだ。
「へへっ、おかしい。おかしいな。止まんないや」
「稲荷さん。俺はもっと、稲荷さんのことが知りたいよ」
彼は目を細めてこちらに微笑むと、ほどいた手をポケットに入れる。そこから取り出したのは見覚えのあるスケジュール帳。
「これ、稲荷さんのことを探してて、パソコン室で見つけたんだ」
「そ、そんなところにっ……。よ、よかった。ヒグッ……。ありがと」
涙を拭い続ける私に、彼が開いて中を見せると、一枚の写真が出てきた。
「稲荷さんのこと、もっと教えてほしいな」
写真に写っているのは、小さな男の子と女の子。
胸にそれぞれ「えもり」「いなり」と書かれ、嬉しそうに笑顔でピースをしている、ふたりの子ども。
「グスッ……。み、見つかっちゃったぁ」
「うん。見つけちゃった。これって……」
「うん。へへっ……。わ、私と真太ね、幼馴染み、だったんだよ?」
「そっか。ふふっ、初めて聞いたよ」
「初めて言ったもんっ。……グスッ。ふふっ。へへっ」
私がなくしてしまったスケジュール帳。
その最後のシートには、一枚の写真を入れていた。
小さい頃に撮ってもらった、真太とのツーショット写真。
唯一残っていた、ふたりで写った写真。
真太が見つけてくれたんだ……。
「小学校の途中で、真太が引っ越しちゃって」
「うん」
「そこからずっと連絡は取ってたけど、会えるのは年に一回ぐらいで」
「うん」
「ようやくひとりで暮らせる歳になったから。私、引っ越してきちゃった。……私、真太に会いに来ちゃった」
「そっか、そうだったんだね」
写真に目を落とした真太は、そこに写った2人の笑顔を愛おしそうに眺める。
「……そういえば私さ、大事なこと、まだ教えてなかったよね」
「大事なこと?」
「うん」
一緒になって顔を上げ、自然と見つめ合う。
さっきより、ずっとずっと簡単に笑顔が生まれた。
無理なんてしなくたって。彼の顔を見るだけで。
「私……真太のこと、好きっ」
この言葉は、あの時の返事なんかじゃない。
今の私から向けた、今の真太への言葉だ。
「えっ……」
「へへっ。……あぁっ、真太、顔赤くなってるっ」
「えっ、そっ、い、稲荷さんだって」
「わ、私のはいっぱい泣いたからだよっ」
「お、俺も走ってきたからでっ……」
「ぷっふふ。素直にドキドキしたって認めればいいのに~っ」
「こ、今回ばかりは仕方ないでしょっ」
「そっかそっか、真太は幼馴染み属性が好きだったのかぁ~」
「べ、別にそのせいじゃないからっ」
「最初から言っておけばよかったな~。ふふっ」
窓の外、さっきまで沈みかけていた夕日が、いつの間にかカーテンの隙間からまだ明るい光を投げ込んでいた。
さっきまであんなに暗く感じた部屋が、今はちゃんと、橙色に染まっている。
真太がこんなにも色んな表情を見せてくれたから。それを奪わないために。記憶をなくした手術のこと、あのことはこれからも絶対に隠し通そう。
言わない方が幸せだってことは、きっとある。
……でも。
私はもう、私の気持ちを隠さない。
好きな気持ちを、隠さない。
いつか彼に振り向いてもらえるように。
今の彼に、好きになってもらえるように。
目を反らし顔を赤らめる彼を見て、私はまた笑顔が溢れ出た。
2回目の恋。今度は、私の番だ……!
最後まで読んでいただいた皆様、本当にありがとうございました!
また、最後まで読んだのにまだ全部わかってない!と思った方はすみません。
記憶喪失の原因や主人公の両親など、設定は作ってあったのですが、元々ここで完結の設計で進めていました……!
もし反響があれば続きを書けるようにという邪な考えです(震)
私の実力不足のせいで続きを書くまでには至りませんでしたが、最後まで読んでくださった皆様がいたことは本当に嬉しく思っています!
描写や展開・タイトルなど、今回学べたことはたくさんありますので、この学びを次に活かせるといいなと思っています!
また見かけたら、その時はよろしくお願いします!




