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第32話 「彼女だよ」って言ってくれたら


◇◆◇◆◇◆◇◆


  荷物、まだまだあるから頑張らないと……。

 

 もうすぐ日が沈む時間。

 学校を休んだ私は、部屋の中でひとり、身の回りの整理をしていた。

 引っ越し業者さんが来るのは二週間後だって言ってたから、まだ時間はあるけど。

 学校に行ってしまったら……また真太に会ってしまったら、覚悟が揺らいでしまいそうだから。最後の日まで、もう私はここから出ることはない。ただここで実家に帰る準備をするだけ。


 

 結局、犯人は誰だったんだろう……。


 教科書を段ボールに詰め込みながら、私の頭はまだあの掲示板や噂の事から離れられていなかった。

 掲示板で真太の書き込みをしていたアカウント。あのIDが学校のものだってことは突き止められたけど。図書館でそれらしき本を読み漁っても、何度もパソコン室のパソコンを触ってみても、逆探知のやり方とか、そういうのは全然分からなかった。

 ……私はやっぱりバカだから。真太の役に立ちたかったのに。真太が噂に気付く前に、全部終わらせておきたかったのに。なんにも上手くいかなかった。


 真太の部屋から思い出の品がなくなっていたこと。あれも結局、原因は分からなかった。

 きっと()()()が関係してると思って、先生のふりをして学校のアドレスからメールを送ったのに。返してくれるのは秘書の人ばかり。結局直接やり取りすることなんてできなかったし、手掛かり1つ掴めなかった。


 私がもっと賢かったら、突き止められたのかな。

 もっと器用だったら、全部上手にできたのかな。


 

 今日一日ろくに何も食べていないせいか、腕に力が入らなくなってきていた。

 そうして重たくなった教科書たちをやっとのことで詰め終えると、私はふとあることを思い出し、部屋の中を見渡す。



 ない……。あれが、ない……。


 こっちに引っ越してきてから使っていたスケジュール帳。

 すぐに鞄の中をひっくり返しても、詰め終わった段ボールの中を漁ってみても、どこにもない。

 あれには大事なものが入っているのに……。


 あれが失くなっちゃったら、私はもう、何も……。



 玄関の小窓から差し込んでいた夕日が落ちて、部屋の中が物悲しい茜色に染まる。

 暗くて見えなくなってしまった自分の手のひらに、あの時握った手の感触を思い出す。


 ……全部、置いていかないといけないのかな。




 あの日、真太が記憶を失った日。

 私は涙が枯れるまでずっと泣いてしまった。

 信じられなくて、何度もお見舞いに行って。真太は一度ぼんやりと目を覚ましたけど、手を握っても、呼び掛けても、やっぱり私のことは覚えてないみたいで。

 それがいつまでも飲み込めずに、泣いて、泣いて。


 

 ……それでも私が立ち直れたのは、あの約束があったおかげだと思う。ひとつだけ結んだ、真太との約束。

 記憶をなくす前、彼が言ってくれた「好きだよ」という言葉。目を覚ましたら返事をしてほしいっていう約束。ちゃんと「彼女だよ」って言ってくれれば、きっと思い出すからって。

 あの時の真太がそう言ったから。泣いてるだけじゃだめだって、私は前を向けた。


 結局真太は私のことを覚えていなかったけど、もうそれでもよかった。きっと思い出すと辛い思いをしてしまうから。

 これから記憶が戻らなくても、何も思い出せなくても、私が支えよう、幸せにしよう。

 ()()()()のことなんて忘れて、全部全部、楽しい思い出で上書きしちゃおうって、ただそれだけの想い。


 

 それに、記憶をなくした真太は何も変わっていなかった。ちょっと抜けてるとこもあるけど、優しくて、他人のことほっとけなくて。

 告白してくれる前の、少し前の真太に戻ってしまった感じなのが、逆にちょっとドキドキしちゃって。私はまた、彼に惹かれていったんだ。

 


 そう。

 真太は真太。何も変わってない。私の気持ちだって、何も変わってない。

 

 ……だけど。

 今の真太は、前の真太じゃない。

 

 今の真太は、私のことを()()()()って呼ぶんだ。

 性格や考え方が変わっていなくても。私たちの繋がりは一度振り出しに戻っていて。それは彼の気持ちだって同じ。

 

 美耶ちゃんって素敵な女の子がいて。真っ直ぐな彼女は、私にとっても眩しくて、憧れちゃうぐらいで。

 だから真太が本当に手紙を出していたのなら、最初から私が近くにいるべきなんかじゃなかった。

 本当に彼の幸せを願うなら、私はきっと、いない方がよかった。

 

 私の思い描く幸せが、今の彼にとっての幸せだとは限らないから。


 ……そんな、簡単なことだったんだけどな。



 段ボールの縁を掴んでいた自分の手が、ゆっくりと膝の上に落ちていった。

 


 ───ポーン。ピンポーン。



 意識が戻った部屋の中で、いつの間にか鳴っていたインターホンの音がやっと耳に届く。でも、それが聞こえても私は座り込んだまま。



 ……あぁ。決めたのにな。

 それでも最後にもう一度だけ。会いたかったな。

 ちゃんとお別れ、言えばよかったな……。



 ガチャンッッ!



 玄関にお迎えに行っていないのに、突然開いた部屋の中のドア。



 振り向くと、そこには立っていた。

 勝手に入りこんできた少年が。夕日を背に、息を切らしながら、赤い顔をして。


 そしてまた、私の名前を呼んだ。



「稲荷さん……!」

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