第26話 正妻への制裁
借り物競争が終わった後。
マスゲームの準備に向かう金子さんと別れ、俺はグラウンドの端へ向かった。そこで作戦に協力してもらっていた久助、それに巳波さんと落ち合うことになっている。
「お、真太、来たか!」
「えもっち、大活躍だったじゃん!」
「うん、ちょっとズルかもしれないけど、とりあえず1位になれてよかったよ」
既に集まっていた2人に合流し、俺はとりあえず手に持っていた猫耳を巳波さんに返した。彼女はそれを受け取ると、ニヤニヤ嬉しそうに話し出す。
「美耶っちとも仲良くなれたみたいだし、また猫耳も愛でられたみたいだし、よかったねぇ!」
「……さては巳波さんの提案か。あれ百歩譲って猫耳にするとしても、事前に俺と金子さんに伝えてくれてもよかったよね?」
「えぇ? だってドキドキするかなって。不意の猫ちゃんの方が萌えるかなって。ねぇ丸っち?」
「おう! なんか真太はその方が喜ぶって巳波が言うから、協力させてもらったぞ!」
……久助、君は利用されているぞ。俺というオモチャで遊ぶためのオモチャにされているぞ。巳波さんに。
「まぁ、今回は上手くゴールできたから俺はいいけど。たぶん巳波さんは後で金子さんに怒られるだろうね?」
「うっへへ~。私の足も踏んでくれるかな?」
「……なんて食えない子だ」
巳波さんはポケットに猫耳をしまうと、腕を組んでこちらを見つめる。
「あ、それで作戦のことだけどね。うちのクラスには特に怪しい人はいなかったかな~。応援してたみんな、美耶っちが連れていかれたことには驚いてたけど。それぐらいだったよ」
「そっか。もし金子さんの関係者なら3組かもって思ってたんだけどな」
「うーん。まぁもちろん全員が応援してたわけではないからね。今回は炙り出せなかったってだけかも?」
「そっか、そうだよね」
ただ目立って犯人を煽るだけの作戦。そう簡単にはいかないものだろう。
金子さんにあれだけ協力してもらったのに、収穫なしというのは避けたいところだが。
「久助はどうだった? 応援席の様子」
「あ、あぁ。うちのクラスは……そうだな。あまり大々的にではなかったけど、みんな真太のこと応援してたと思うぞ。最後は全員拍手してたし」
「そ、そっか。貢献できたならよかった」
「おう」
頬に汗を垂らしていた久助は、ここで眉をひそめ、トーンを落としながら地面を見つめる。
「ただ、ひとりだけ……」
「うん?」
「稲荷さんだけは、浮かない顔っていうか。少しだけ辛そうな顔……だったかもしれねぇ」
「……稲荷さん。そ、そっか……」
金子さんとあれだけ密着してしまったから。いつもの嫉妬のようなもの……なのかもしれない。……きっと、そうだ。
犯人が見つかるまで詳しくは言えない、心配はかけられないけど。そんな顔をさせてしまったことに謝りたい。次に会ったときは、ちゃんと「ごめん」と伝えないと。
「……ねぇ。茉子っちはさ、何か言ってたりしてた?」
話を聞いていた巳波さんは、どこか気まずそうに体の前で手を組んでいた。
質問を受けた久助も、まるでその意味が分かっているかのように答えを絞り出す。
「……い、いや。なにも。俺も話しかけてみたけど、マスゲームの準備があるからって、借り物競争が終わってすぐにどこか行っちまったからな」
「そっか、そなんだ……」
「おう。……ていうか、真太。稲荷さんって、やっぱりお前のこと……」
顔を上げてこちらを見つめた久助は、すぐに俺から目をそらす。
「……いや、悪い。なんでもない」
「う、うん」
「……で、でもよっ、今回は犯人らしき人物はいなかったってことだよな? 炙り出し作戦は失敗ってことだよな?」
「まぁ、うん。そうだね……」
「だ、だよな。あんまり役に立たなくて悪かったな真太。また次の作戦とか、考えないとだな」
「ううん、そんなことない。すごく助かったから、ありがと久助」
「お、おうよっ」
いつもと同じ口調に思えた久助も、どこか本調子ではないように思える。優しさの中に苦味が滲み出た、取り繕ったような――笑顔を向けてくる。
「じゃあ、俺は実行委員の仕事があるから持ち場に戻るわ。またあとでなっ」
「うん、頑張って。またあとで」
久助が軽やかとは言えない足取りでテントの方へ走っていくと、残された巳波さんが静かに問いかけてくる。
「ねぇ、えもっち。丸っちはさ、2人が付き合ってること知らないんだよね?」
「うん。クラスの中では隠してるから」
「……そっか。そうなんだね」
「……うん」
「……えもっち、あのさ。前にメールの逆探知してほしいって言ってたでしょ? あの件なんだけど──」
『次の種目はマスゲームです。観覧される方は、校舎側のアスファルトまでお越しください』
スピーカーから聴こえてきたアナウンスで、俺たちの会話は遮られた。深刻な顔をしていた巳波さんも、その大きな音を聞いてふと我に返る。
「あっ。マ、マスゲーム、始まるみたいだね。とりあえずまたこの話は後にしよっか」
「そ、そうだね」
「う、うん。じゃあ見に行こっ」
いよいよ始まるマスゲーム。
そのまま巳波さんとアスファルトの応援席に向かうことになった俺は、ポケットに入れていた自分のスマホを確認することすらしなかった。
誰かから連絡がきていたかもしれないのに。どこかから、メールが届いていたかもしれないのに。
急いでいた俺は、そんなものが届いているなんて思いもしなかった──。
*****
『最初の演技は赤組です。テーマは「退廃した世紀末の荒野に舞い降りた、美しく気高き孤高の鳳凰」。美しい舞いにご注目ください』
落ち着いたアナウンスの声が聞こえた後、赤い衣装に身を包んだ女子生徒たちがグラウンドの中に登場してきた。
応援席の少し後ろの方で、俺と巳波さんは立ちながら彼女たちの方を眺める。
そして流れ始めたのは、低音が響く、皮膚の内側を震わせるような音楽。その音楽と共に、衣装の生徒たちは緩やかに舞い始める。
「素敵だね……」
「うん」
隣で一緒に見ている巳波さんは、赤い布たちが綺麗に舞う様子をただぼんやりと眺めている。色の映ったその瞳の奥に見えるは、いつもの旺盛な好奇心とは別の気色。
俺もその演技に目を向けていると、生徒たちの中心、後方から一人だけ際立った衣装を着た生徒が出てきた。
少し悲しげだった音楽も、雄大で深みのある曲調に変わっていく。
稲荷さん……。
普段の愛嬌のある雰囲気ではない凛とした儚げなその表情に、感想すら口にすることができなかった。
長く垂れた裾、日差しを反射する煌びやかな装飾。その派手な装いと優雅な舞いは、言うまでもなく彼女の一部。美しさとはこういうものなんだと、これまで見てきた綺麗なものなんて全て思い込みだったと感じてしまうぐらい、彼女の存在感は圧倒的だった。
そして、集団の中心、飾り付けられた脚立の上で腕を上げ、翼を模したその袖を大きく広げる彼女。その姿は神秘的な鳳凰そのもので、本当に翔んでいってしまいそうで。
目を奪われる観客たちの傍ら、気付けば俺の手は腰のあたりまで上がっていた。前に、遠くで舞い続ける彼女の方に、そっと伸ばそうとしていた。
……どうやっても届きはしない距離なのに。
──ガシャンッッ!
俺が自分の手を納めようと下を向いたとき。突然、金属のぶつかるような音が遠くで聞こえた。
聞こえたのは会場の中心から。目を向けると、舞っていたはずの赤組の女子生徒たちが、正面の観客席ではなく後ろの方を向いている。
ざわざわと騒がしくなる観客たち。隣の巳波さんは口を開けたまま、その現場をただ眺めていた。
「え……」
会場に流れていた演技用の音楽がピタリと止まった。
そして生徒たちが舞っていたその場所に、何人かの先生が駆けつけてくる。マスゲームはまだ、終わっていないはずなのに。
「……み、巳波さん?」
俺が視線を外していたのに気付いていたからだろうか。
こちらの不完全な問いかけに、彼女はただ呆然としながら返事をした。
「えもっち。……茉子っちが……落ちた」




