第24話 無闇に触れ合っていい訳がない
意を決し、俺はまず稲荷さんの卵焼きを口に入れた。……うん、一度食べたことあるから知っていたけど、甘いタイプのやつ。
そして次は金子さんの卵焼き。視線を気にしながら口に入れると、さっきとは違い、ほのかな塩味が口の中に広がる。
どっちも美味しい。でも、どうしようか……。
「真太、俺のも食え! 母親が作ったやつだけどなっ」
「きゅ、久助……!」
やはり持つべきものは親友。たぶん久助は何も考えずに差し出してきたが、真の救いはこっちだったか。
ほっと息をついて3つめの卵焼き口に入れると、感じたのは出汁の旨味と奥行き。どちらかというとしょっぱい系の、安心感のある味付けが体の中に染みていく。懐かしいなんて感情は持ち合わせていないはずなのに、目の奥が少し潤んだ気がした。
ありがとう、久助。ありがとう、久助のお母さん……。
「どれもすごく美味しかったけど、強いて言うならこの最後のやつかな」
「えぇ~、そっかぁ。主婦には敵わなかったかぁ」
「まぁ私たちもまだ修行が足りないってことね。にしても茉子のこれ、結構いけるじゃない。甘いのも意外とアリね」
「ほんとっ? 美耶ちゃんのだって。すっごい形綺麗だし、どうやったらこんなに美味しくできるの?」
いつの間にかお互いの卵焼きを交換していた2人。肩を寄せながらスマホの画面を見せ合い、自分たちが参考にしたレシピを教え合っている。
……なんだ、ほんとに仲は良いのかもしれないな。
安心して2人の様子を眺めていると、自分の肩にどっしりと誰かの手の重みが加わった。
手を置いてきたのは久助。笑顔で親指を立てている。
「真太、俺のおかげで皆の食べられてよかったな!」
「ん?」
……そうだった。そもそも流れを作ったのはこの人だった。
食べすぎてしまったせいか、自分の口に残った出汁の風味がおっぷと変な吐息を漏らさせる。
5人で過ごした昼食の時間、こうして久助への警戒度だけが少し増えたのだった。
*****
昼休憩を終えて午後になると、ついに最初の競技が始まった。俺が唯一出る予定だった借り物競争。その待機列に並びながら、周りのテントを見渡す。
今から作戦を実行するわけだが。
この借り物競争では必ず"人"を借りることになり、その人と一緒にゴールしなければならない。だから今回の作戦は、俺が引くお題を操作して、相手を金子さんにするというもの。
全校生徒の前で金子さんと仲良くゴールする様子を見て、不自然な挙動をする人がいないか見張ってもらう。そのために、我がクラスである2年1組の応援席には久助、金子さんのクラスである3組には巳波さんが監視役としてスタンバっている。
『さぁ、次の種目は借り物競争です。競技に出られる方はスタート地点に立ってください!』
放送部のアナウンスを受け、俺と周りの数名は白線の前まで移動した。
グラウンドの中を見ると、平均台やネットくぐりの先に、白い札が無造作に置かれている。あれが久助が用意してくれたものか。
『この競技は、まず様々な障害物を一人越えていただきます! そしてそれらの先にあるのはお題の札。好きな札をめくると、札にはお題が書かれています! お題に書かれた人物をどこかから借りてきて、二人三脚で仲良くゴールするというルールです。借りて来るときは手を繋ぐこと! それと二人三脚はしっかり足を結ばないと失格となりますので、もし好きな子だったとしても、恥ずかしがらずに結んでくださいね~!』
会場からハハハと笑い声が聞こえた。
ってか、二人三脚? 久助、そんなこと一言も言ってなかったぞ。なんでこんな重要なルール教えてくれなかったんだ……。
『競技者のみなさんは、お題の札を取ったら近くにいる係の人に見せるようにお願いします! お題と違う人を借りてきても失格となりますので注意してくださいね!』
これはもう、終わったら金子さんに土下座必至だ。いや、どちらかというと稲荷さんの方にだ。
──パンッッ!!!
スタート地点で構えると、心の準備をしているうちにピストルの大きな音が鳴り響いた。並んでいる他の数名と一緒に前に走り出す。
最初はネットくぐり。地面に張られたネットの下をくぐっていくだけだ。這いつくばって生きてきたこの短い学校生活、俺にはこのぐらい屁でもない。……なんてくだらないことを考えているうちに、問題なく突破。
足が絡まって遅れている人もいるが、特に遅れることなく先へ進む。
次のゾーンは平均台。ぐるぐるバットで10周してから平均台を渡る。
やっても上達するものじゃないと思って練習してこなかったが、どうやら俺は三半規管が弱いらしい。10周回った後にはもうフラフラで、一度平均台から落ちて再スタートすることになってしまった。そうしている間にライバルたちはクリアしていき、平均台を抜けたときには4位あたり。
そして次。目の前に置いてあったのは、お題を引く前の最後の障害物であるタイヤ。ただひたすらこのタイヤを引っ張っていくだけ。
タイヤにくくりつけられたヒモを持ち、砂で滑りやすい地面の上を踏ん張る。男子用ということで結構な重さがあるが、ここで少しでも前に行きたい。
踏ん張りながら聞こえてくるのは、360度どの方向からも聞こえる大きな歓声。こんなに多くの声援があっても、たぶん俺の応援をしている人なんていないだろう。
それでも。少しだけでも、前に進みたい。
クラスに何一つ貢献できていない俺は、ここで少しでも役に立ちたい。
午前中、給水所で言ってもらえた「ありがとう」に報いたい。
歯をくいしばって全力で進み続けると、タイヤ引きが終わる頃には2位にまで戻ってきていた。
そしてついに、お題のゾーン。目の前の地面に散らばっていたのはお題の札たち。ここから1つ選んでひっくり返すということだったが、久助が細工しておいてくれたため、俺だけはどれを取ればいいか悩むことはない。
左奥の、泥で汚れているっぽいやつ。
迷わずそれを手に取り、ひっくり返した──。
【【 猫耳美少女 】】
目を疑った。
金子さんの特徴だったら、金髪の人とか、青い水筒を持っている人とか、何でもよかったはずだ。
久助、巳波さん……やりやがった。
俺が係の人に札を見せると、その内容はすぐにトランシーバーでアナウンス席まで連携されてしまった。
『おおっと! 赤組、引いたのは【猫耳美少女】! 猫耳という要素に加えて、美少女! なんて萌えポイントが高いお題でしょうか! なんて羨ましい……難しいお題でしょうかー!!』
熱くなってきていた放送部の実況が、余計なことを言いまくっている。
それでも俺は向かうしかない。まっすぐ、2年3組の生徒がいるテントの方へ走った。
息を切らして走った先には、テントの影から出て、日向で応援していた生徒たち。その中に一際美しい金髪の少女が立っていた。少女は胸の前で手を重ね、小さく口を開け、ただぽーっとこちらを見ている。
その隣にいたのは巳波さん。おそらくたった今少女の頭に付けたであろう、猫耳の位置を調整している。そして少女の両肩にポンッと手を置き、俺に笑顔を向けた。
──たぶん、連れていけという合図だ。
その笑顔を見て、俺は少女に声をかける。
「金子さんっ」
「ええっっ。えっ、えっ……」
その名を呼ぶと、声を裏返し、握っていた自分の両手をぎゅっと結んだ彼女。
隣の友人は、笑顔のままその背中を強く押し出した。
「きゃっ」
少しバランスを崩しながら、一歩前に弾き出された彼女。唇を内側にしまい込み、大きく開いた目でこちらを見つめながら、呼吸するのを忘れている。
俺は手の平を上に向け、彼女に差し出した。
「力、貸してくれないかな?」
「…………は……はい」
訪れたのは、あるはずのない静寂。ずっとうるさかった周りの歓声が、その瞬間、俺たちの耳には届かなくなった。
──少し震えた華奢な手が、俺の手の上に重なった。




