第20話 踏まれたい人の気持ちも分からなくない
久助と一緒に向かったのは、またあの屋上手前の踊り場。階段を上る途中、久助は稲荷さんのセリフのことばかり聞いてくる。
「なぁなぁ。握っちゃうって何をだ?」
「だ、だからそれは気にしないで。稲荷さん急に変なこと言うときあるから」
「なんだよ、教えてくれたっていいだろ~。まぁ仲良いみたいでよかったけどよ。そういや実際どうなんだ? 稲荷さんは」
久助は薄笑いを浮かべながら階段に座った。
絶対これ本題じゃないやつだ。
「ど、どうって、特に何もないよ。隣の席ってだけだし」
「いやいや、そうじゃなくてだなぁ。お前の気持ちはどうなんだってこと」
「俺は、どうだろ。可愛いし、いい子だけど。……でも。たまに、何考えてるのか分からない時がある」
「あぁ、さっきのみたいなやつか。まぁたしかに変わってるけど、面白い子だよなっ」
「え?……あぁ。うん」
そんな簡単な言葉で済ませていいのだろうか。
あの笑顔にも、本当はもっと違う意味があるのかもしれない。
一緒にいることが多いのに、俺は彼女のことを何も知らないんだ……。
「んじゃまぁ、それはこれからに期待ってことで。本題に入るか」
「うん」
「話は真太の暴力事件のことだ。あれからいろんな人に聞き込みしてな、やっと分かったんだ。真太、お前はやっぱり何もしてない、暴力事件なんて、起こしてなかった」
「ほ、ほんとに?」
「あぁ。学校のみんなに聞いて、噂されてる暴力事件には被害者がいるって分かったんだ。それが西高の生徒で、あっちは怪我で入院してるって話だった」
久助が言っているのは本当だ。
昨日、裏掲示板を隅々までチェックしていたら同じことを発信するアカウントがあったから。そして発信していたのは、あの学校IDのアカウント。
「それで、ちょうどこの前西高と練習試合があって、西高の生徒に直接その噂のこと聞いたんだよ。……そしたら、『最近入院した人なんていない』って、誰に聞いてもそう言ってたんだ。だから真太、やってないんだよ! やっぱりお前は、暴力事件なんか起こしてないんだ!!」
固く冷たかった階段の床が、弾むように柔らかくなった気がした。
窓から漏れる朝日で、視界が開ける。
丸くなっていた背中も、その使命を思い出したかのように、自分を支える力を取り戻していく。
「よかった……俺、やってなかったんだ……」
「おう、やってない。お前は暴力事件なんか、起こしてない」
「……よかった。久助、ありがとっ」
「ははっ。俺の言った通りだったろ? 真太の性格なんか、真太より分かってんだからな、俺は」
「ふふっ、さすが俺の親友」
「だろっ??」
これさえ分かれば、もう大丈夫だ。
自分に罪がないのなら、戦うだけ。犯人を突き止めて、自分の居場所を取り戻すだけだ。
「久助、まだ手伝ってほしいことがあるんだけど、いいかな?」
「お?もしかして反撃開始か?」
「うん。犯人を特定するために体育祭で少し仕掛けてみようと思う。一応、他の人にも協力をお願いするから、また詳細が決まったら連絡する」
「分かった。じゃあ俺はクラスのやつらの誤解を解けるよう、これまで通り真太の聖人エピソードを流しておくぜ!」
「……そ、そんなことしてくれたんだ。すごくありがたいけど、ほ、ほどほどに頼むよ」
久助と話を終えた後、俺は作戦を考えながら1日を過ごした。
体育祭は今週末。
久助の他に協力を仰ごうと思っているのは金子さんだ。協力というかお願いのようなものだが、彼女の許可がなければ何も進めることはできない。
早速今日のうちに伝えようと思い立ち、俺は金子さんにも連絡を取った。放課後に人目のつかない場所で落ち合い、また相談にのってもらうつもりで。
──そして放課後。
指定した理科室で待っていると、静かにドアが開いた。中に顔を出したのは金子さんだ。
「あ、江守」
「金子さん、昨日ぶりだね。来てくれてありがとう」
「ええ」と大人しめに返事をして、彼女は中に入って来る。
俺たちは2人で黒く大きな机を挟んで向かい合い、背もたれのない簡易的な木製の椅子にそれぞれ座った。
「いきなり呼び出してきたってことは、何かあったの?」
「うん。実は、久助が暴力事件の噂を調べてくれて。とりあえずあの噂、ウソだったってことが分かったんだ」
「ほ、ほんとにっ?」
「被害者って言われてた西高の生徒が、実際には存在しないらしくて。裏掲示板の人が勝手に流してた噂だったみたい。……だから俺、やってなかった」
「ま、まぁ私は最初から分かってたけどっ? ……でも、よかった。ほんとに、よかった」
「うん」
「……これでもう、あんたが避けられることもなくなるのね……」
凪のように穏やかな微笑みを向ける彼女。
2人きりで話すのなんて何も特別じゃない。それなのに少しだけ胸の辺りが疼く。
やっと地についた足も、こうして微笑む彼女が正面にいるだけで、もう簡単には床から離せそうになかった。
「金子さん、ありがとう」
「ううん」
「……でも、足踏んでる」
「えっ?」
金子さんはすぐに机の下を覗き込むと、慌てて俺の上からその長い足を退けた。
「ご、ごめんっ。……ていうか!もう少し早く言いなさいよっ!」
「いや、もしかしたら踏むのが好きなのかなって」
「は、はぁ?! ふんっっ!」
力む彼女の表情筋が目に入ると同時に、強い衝撃。痛みと共に、自分の足と床との距離がグッと縮まるのを感じた。
「あんたはよっぽど踏まれたいらしいわね」
「い、いや俺にそんな趣味は」
「熱いラブレターにマゾ気質。やっぱり追加で噂を広めて、私しか話す相手がいなくなるくらい孤立させてあげようかしら」
「それは困る。……と、思ったけど。俺を独占したいって捉え方もできなくないね。ハッハッハ」
「んなわけないでしょ!!」
「あだっっ!……じょ、冗談です」
ツンケンしている彼女の反応も、今ではその向こう側にいろんな表情があるのだとよく分かる。
ただ、あまりからかいすぎると自分の足も2本で足りなくなってしまうな。気を付けよう。
「ごめんごめん。まぁとりあえず金子さんが新しく噂を流したりしなくても、俺への警戒ってすぐにはなくならないと思うんだよね」
「まぁそうね」
「だからやっぱり犯人を特定したいって思ってて。なんでこんなことしたのか理由も気になるし」
「そうね。そこは私も関係ある可能性があるから、知っておきたいわ」
「そこで相談なんだけど。体育祭の日、少し目立つところで金子さんに接触する機会を作ってもいいかな? できれば全校生徒が目に入るぐらいのところで」
「それって、わざと私と関わってるのを見せびらかして犯人の反応を見るってこと?」
「そう。不審な動きをする人がいないか、久助に見張りをお願いしようと思ってる」
以前同じような考えで金子さんに近づいたとき、犯人はすぐに反応を示した。だから今回は見張りをつける。
本当は今も彼女を巻き込みたくない思いは変わらないし、確かな証拠は掴めないかもしれない。でも、少しでも、何かきっかけを作れたら……。
「犯人が金子さんに執着している人物なら、もし罰を受けるとしてもまた俺になるはず。……でも、金子さんが何かされるって可能性もゼロじゃないから。だから無理だったら、怖かったら。ちゃんと断ってほしい」
「背負わせなさいって言っておいて、逃げるわけないでしょ? それに、一人じゃないから。怖くなんてないわ」
「そっか。ふふっ。ありがと」
「当たり前よ。ふふっ」
あとは誰を見張ってもらうかだ。
俺と金子さんの接点を知っている人物。可能性が高いのは1組と3組の生徒か教師だが……。
───ガラララッ!
「話は聞かせてもらったよう!」
突然、ドアが開いて一人の少女が入ってきた。
いきなりのことで体をビクつかせた俺たちは、揃って声の主の方を振り返る。




