第19話 あの夜起きたこととは
見つけたのは俺の話を積極的に発信しているアカウント。よく見ると、最初に暴力事件の話題を載せたのもこのアカウントのようだ。
「ほ、ほんとだわ! じゃあ……噂を流した人と、メールを送ってきてる人が同じってこと?」
「学校のアドレスだし、100%同一人物とは限らないけど。でも、どっちも俺の評判を下げる内容だし、その可能性は高いと思う」
「じゃあ、なんでそんなこと……」
「まだ、暴力事件の噂が嘘って決まった訳じゃないから。この人が被害者の関係者で、俺に恨みをもってるのかも」
「なるほどね……。でも、その可能性はないわ」
「なんで?」
「だって、あんただもん」
こちらを正面から見つめる彼女の目。
どうしてだろう。ようやく見えてきた手掛かりや希望よりも、このまっすぐで曇りのない目が、前に進む活力をくれる気がした。
「……ファンクラブ2号か」
「え?なんて?」
「いや、なんでもない。まだこの人の目的までは絞れてないけど、金子さんのおかげで一歩進めたよ。ありがと」
「わ、私だって少しは役に立つんだから。だから、ちゃんと頼りなさいよ。これからも」
「はは。わかったよ。ありがと」
これ以上稲荷さんを尾行することはできないし、俺たちは家の方に引き返すことにした。
さっきとは違い、金子さんと2人でコソコソすることなく歩道を歩く。歩きながら、明日からの事を話し合う。
「金子さん。明日からはもし何かあったらすぐに教えて欲しい。それに相談事とかあっても、できるだけ人目につかないところにしよう」
「分かった。あんたも教えなさいよ」
「うん」
「何かあったら、私に連絡して」
「うん」
「すぐ、教えなさいよ……」
「うん」
「……」
「……あっ、連絡先、交換してくれる?」
隣を歩いていた金子さんが急に立ち止まった。
ぎゅっと両脇を締め、ずっと持っていたスマホを胸の前に構える。プルプルと震わせながら、両手でそれを強く握りしめた。
「……お、遅いっ!」
「ご、ごめん」
「一緒に、買いに行ったのに!」
「うっ。ごめん。……ダメかな?」
「……だ、ダメとは言ってないでしょ!」
差し出すと、彼女はやや不機嫌そうに俺のスマホを取り上げ、登録を進め始めた。
……しかしなかなかスマホは返ってこない。彼女はじっと画面を見つめている。
「ねぇ。稲荷茉子と一丸久助、この2人が登録されてるのは分かるわ」
「うん。2人とも、この前聞いたから」
「……なんですみれの連絡先も入ってるのよ」
「え? あ、あぁ。少し前に知り合って、交換しました」
「なっ! わ、私の友達にも手を出してっ!!」
「ちっ、ちがうっ。巳波さんにも相談してたんだよ、メールの件」
「っていう体で近づいたわけ? もしかして、あの渡り廊下の時? すごい近い距離で話してるのは、遠目でもなんとなく分かったけど」
「いやそうだけど、違うって。あっち。あっちから近づいてきたから」
「ふぅん?」
もう少し印象よくなってる気がしてたけど。
金子さんからの俺の評価は、相変わらず飢えたモンスターで止まっているようだ。
「まぁ、仕方ないから信じてあげる。それにあの子、パソコンとかネット関係には長けてるから。そういう相談には役に立ってくれると思うし」
「そっか、よかった」
「自称天才ハッカーってところ以外は、いい子だから。手出しちゃダメよ」
「え、それ自称だったんだ」
「信じてたの? 女子高生で何をハッキングするっていうのよ。パソコンのスキルは本当にすごいみたいだけど、少なくともハッカーではないから。ふふっ」
「そっか。ははっ。よかった、ちょっと安心した」
軽く笑った金子さんは、俺のスマホを大人しく手渡す。
巳波さんか……。
彼女にお願いしていたのは、あの不穏なメールの調査だけ。暴力事件の調査はお願いしていなかったけど、まだ裏掲示板のことには気付いていないのだろうか。
まぁ、また今度相談してみよう。
そうして再び歩き続けると、俺たちは稲荷さんのアパートの近くに戻ってきた。今日はここで解散だ。
「じゃあ金子さん。俺午後から病院行かないといけないから、ここで」
「わかった。ちゃんと、何かあった時は連絡しなさいよ」
「うん。何かあった時は連絡するよ」
「……なっ、何もなかったらしないでとは言ってないでしょ!」
軽く頬を膨らませて睨んでくる彼女。
「ふふ。金子さんのこと、少しわかってきたかも」
「……あんた、そんなにあのラブレター公開してほしいのね」
「うっ。じ、冗談です」
「本当の敵はすぐ近くにいるっていうこと、忘れないでおきなさいっ」
「き、肝に銘じておきます」
「ふふっ」
結局その日、せっかく連絡先を交換したのに、金子さんから届いたのは猫が挨拶しているスタンプのみだった。
何も会話するほどの用事はなかったのだろう。
ただ、こうして気にかけてくれる人がいるだけで明日も頑張れる。一人になっても、一人じゃないんだ。
このままメールの主を見つけて、いつかみんなからの誤解を解いてみせる。悪意を向けられたって、もう俺は、怖くない。
*****
次の日。
俺は普段より早めに学校へ向かった。
まだ生徒がほとんど登校してきていない時間。今日誰よりも早く登校してきたのは、自分の机やロッカーの中を確認したかったからだ。
また何か仕掛けられているなら、誰かに見つかる前に回収してしまえば問題ない。そんな単純な思考。
確認してみたが、下駄箱の中も、教室後ろのロッカーも特に異常はないようだ。
そして自分の机に座って引き出しの中を見てみるも、たばこや身に覚えのないものは入っていなかった。
さすがに今日は、何もしてきていないようだ。
「あっ、えっ、真太!」
俺が自分の席に座った直後。すぐそこ、教室の後ろから入ってきたのは稲荷さんだった。
「えっ、い、稲荷さん。なんでこんなに早く?」
「わっ、いやっ、私はたまたま早く来ただけだよっ。真太は?」
「お、俺も。たまたま早く来ただけっ」
「そ、そかそか!」
彼女は周りをキョロキョロと見渡しながら鞄を置き、大人しく自分の席に座った。
しかし変だ。教室には誰もいない。それなのにいつもより少しだけ押しが弱いというか、よそよそしい気がする。
昨日学校に来ていたことや、彼女がずっと隠している何かが関係あるのか……?
「で、でも、早く来てラッキーだったな。朝から真太と2人きりなんて」
「ま、まぁ、そうだね。そんなことより稲荷さん、どうしたの? なんか様子が変な気が」
「い、いやっ。だ、だって。真太はやっぱり、覚えてないの? あの夜のこと……」
「あの夜って、金曜日? 稲荷さんが泊まった日?」
「うん。……私に、あんなことしたのに」
「え」
あの日のことはちゃんと覚えている。布団に入ってすぐ眠ってしまったし、気付けば稲荷さんはいなかったはず。その間、寝ていたときのことは分からないが。
あんなこと。……どんなことでしょうか。
「夜中、だった。私なぜか目が覚めちゃって。そしたらちょうど真太、寝返り打ってこっちに向いたんだよ。それでね」
「う、うん」
「……握ってきたんだよ。……私の、手」
赤面して顔を覆い隠す彼女。
指の隙間からこちらを覗く大きな瞳が、俺の罪を重く物語っていた。必要以上に。
「え、そ、それだけ?」
「えっ、そ、それだけってなに!」
「いやなんか、もっとすごいことしちゃったのかと。いま心臓バクバクですっごい怖かったんだけど」
「んんん! 真太にとっては大したことないってこと?! 誰の手でも、すぐ握っちゃうってこと?!」
「待った待った、そうとは言ってない」
「私はあれのせいで眠れなくなっちゃったのに!!」
一瞬でもその先を想像してしまった自分は汚れているのだろうか。にしても、こんなに反応されてしまうと、これはこれで恥ずかしくなってくる。
「ご、ごめん、寝ぼけてたと思うから、許して」
「もぅっ。起きてるときにしてほしいのにっ」
「そ、それはちょっと難易度高いかも。ていうかさ、俺たちって、どこまでしてるの? その、恋人らしいこと」
「え、えと……。手を、繋いだこと……あります」
赤い顔のまま、恥ずかしそうに目をそらす彼女。
嘘の恋人なのだから何もしたことないとは分かっていたが。やっぱりこう、うぶな反応をされると俺の顔まで熱くなってしまう。
「い、稲荷さん。たしかに最初に家に来てくれたとき、俺の手握ってたけど。……あれは"握った"だけで、"繋いだ"とは言わないんじゃ」
「ちっ、ちがうもんっ! ほ、ほかにもあるもんっ!」
ちょうどそのときだった。
教室の前の入口から、一人の生徒がひょっこりと顔を出した。朝の静かな教室に、よく通る声の元気な挨拶が飛んでくる。
「お! 真太と稲荷さんじゃないかよ! 2人とも早いな!」
「えっ、久助。久助も早いね」
彼は教室に入ると、笑顔で俺たちの席の方へ向かってきた。テニスラケットらしきケースを背負い、重そうなエナメルバッグを肩から下げている。
「おうっ、俺は朝練しに来たんだ! そしたら朝練が休みの日だった! はははっ」
前より気持ち焼けた肌に、笑ったときの白い歯が浮かび上がる。
久助と赤点……点と点が、いま繋がった気がした。
「でもちょうどよかった。邪魔して悪いんだけどよ、稲荷さん、ちょっと真太を借りてもいいか?」
「えっ?」
「少し話があってな」
「う、うん。いいけど」
キョトンとした顔で久助に許可を出した稲荷さん。しかしそのままこちらに首を捻ると、表情を変え、じっとり冷ややかな目で俺を睨んだ。
「……でも。マルキューくん、気をつけてね? 江守くんって、誰でもすぐ握っちゃうみたいだから」




