第18話 稲荷茉子の生態
アパートの階段を降りてくる稲荷さん。降りきった後、こちらの方に向かって歩いてくる。
ただ彼女を見つめてしまっていた俺たちは、ようやく我に返って慌て出した。
「て、ちょ、こっち来てるっ。か、金子さん、隠れないとっ!」
「かか、隠れるってどこによっ!」
「あそこ、あそこでいいから!」
すぐ近くにあった小さな低木の茂み。ギリギリ体が隠れるぐらいしかないその茂みに、俺たちは急いで身を隠した。
胸を抑えながら、茂みの隙間から稲荷さんを目で追いかける。どんどん早くなる自分の鼓動に、小さく丸めていた体全体が波打つように振動して。彼女の挙動一つ一つから目が離せない。
……しかし、彼女は俺たちには気付かなかったらしい。公園前の道をそのまま歩き去っていった。
「「あぶなかっ……」」
安心し、隣の金子さんの方を向いた途端。
目の前に、長いまつげと澄んだ瞳。
想像より遥かにズームアップされたその綺麗な顔が、鼻先10センチほどの距離に飛び込んできた。
「うわぁっ!」
「ひゃっ!」
ちょうど同じタイミングで向き合ってしまい、お互い声を上げてのけ反る。そして目を瞑り顔を真っ赤にした金子さんが、すぐに俺を突き飛ばした。
「ちっ、近いっ、ばかっ!」
「あたっ」
突き飛ばされ俺が尻餅をつくと、赤い顔をぷいとあっちに向ける彼女。
女の子らしい反応……。そんな顔されると何と言えばいいか分からなくなる。
「……ゆ、油断してはいたけど、こう簡単に突き飛ばされるなんて」
「なっ」
「金子さん、その辺の男より強いかも。何かあっても、ほんとに心配いらないかもしれな……あだっ!」
俺の足が、彼女の細く白い足によって、地面にめり込むくらい力強く踏み潰されていた。
「あ、あんたが守りなさいよ!!」
「じょ、冗談冗談。も、もちろんそうさせていただきます」
いや、これだけ強ければほんとに心配いらないかもな……。
そう口には出さず起き上がった俺は、とりあえず公園前の道の方を見渡す。
「あっ、で、稲荷さんは??」
「あの子なら、向こうの方歩いていったけど。ていうか何で隠れるのよ。別に私とはたまたま会っただけなんだし、堂々としてればいいじゃない」
「いや、まぁそうなんだけど」
「なに? もしかして、あんたがあそこで隠れてたのって、稲荷茉子を監視してたの?」
図星だ。しかし金子さんももうメールの件を知っているし、隠しても仕方がない。正直に話すか。
あと変態に思われたくないし。
「実はまぁ、少し監視してた。疑いたくはないけど、メールの送り主が稲荷さんって可能性もあるから。このモヤモヤも放っておきたくなくて」
「そう。そうだったのね」
「じゃあ、俺は稲荷さんを追いかけるから」
「ま、待ちなさいよ! 私も行くから!」
「え?」
「私もあの子のこと、気になるから。ほらっ、早くしないと見えなくなるし、行くわよっ」
金子さんに上着の裾を引っ張られ、足音を立てないように早歩きで稲荷さんを追いかけ始める。
ある程度の距離まで近づくと、俺たちは十字路の塀の影に隠れて顔を出した。目では稲荷さんの後ろ姿を観察しつつも、隣にいる金子さんに話しかける。
「金子さん、一緒に尾行するのはいいけどさ。どこか行くところじゃなかったの?」
「図書館で勉強した帰りよ、だから大丈夫」
「そうなんだ。朝からえらいね」
「そうね。朝から女の子のお尻を追いかけてる誰かさんよりは、えらいわね」
さっき色々説明したはずなのに。
これは下手をすればまた足を踏まれてしまう。警戒対象が一人増えてしまった。
「それにしてもあの子、日曜日に制服で出かけるなんておかしいわよね。もしかして引っ越してきたばかりで私服がないとか?」
「いや、そんなことはないはず」
金曜日、彼女が持ってきたお泊まりセットの中にも私服は入っていた。身なりを気にしないようなタイプでもないし、意味があって制服を着ているに違いない。
「休日に制服……。じゃあ、やっぱりあれしかないわね」
「え? あれって?」
「決まってるじゃない。……パパ活よ」
「パ、パパ活?!」
「そうよ。女子高生の魅力を一番引き出して、パパにウケる格好といったら、制服よ。しかもあの子すごく可愛いもの。間違いないわ」
なんという理論。
俺はそういう疑いで後をつけている訳ではなかったのだが。
全く合っている気はしないのに、全て合っている。やはり金子さんはただ者ではない。
そして遠のいていく稲荷さんを尾行し、次の交差点で隠れていると。金子さんが小さく声を上げた。
「あっ。立ち止まったわよ! しかも屈んでる!」
金子さんが指差す方向では、稲荷さんが道の端、草の生えた空き地との境目で何かを見つめていた。
「何かあるのかしら?!」
「いや。あれはたぶん、アリとか虫を見つけただけ」
「え?」
「稲荷さんは、どんなに小さくても生き物を見つけると立ち止まる習性がある」
「……なによその小学生みたいな習性」
稲荷さんはしばらく地面を眺めると、満足したのか、立ち上がって再び同じ方向に歩き出した。
そしてまた距離が開いていく彼女を追いかけ、俺たちは次の交差点に移動する。
移動してすぐ、金子さんがここでも小さく声を上げた。
「あっ、また立ち止まったわよ!」
「ほんとだ」
「次は何か取り出したわ! あれってスマホ?」
俺たちの視線の先。立ち止まって小さな鞄からスマホを取り出した稲荷さんは、腕を伸ばし、それを空に向かって大きく掲げた。
「あれ、何してるのかしら? あやしい。あやしいわよ!」
「うん、あれはね。たぶん雲の写真を撮ってる」
「え?」
「稲荷さんは、外に出ると雲の写真を撮る習性がある」
「え?」
「それで絶対俺に送ってくる」
すぐにポケットに入れていたスマホが震えた。
取り出して画面を見てみると、届いていたのは稲荷さんからのメッセージと1つの画像。
『今日の雲はね、猫とゴリラのキメラみたい!』
横からスマホを覗いていた金子さんは、メッセージを見るなり半目でその画面を見つめた。
「……また変な習性。ていうか、どんな感性よ」
「たしか昨日は『匍匐前進するうなぎ』だった」
「あんた、それにどう返信するのよ」
「特に感想とかないから、名付けしてあげてる。今日はそうだな。『ごりニャン』で」
「……あんたも大概ね」
そこから稲荷さんは歩き続けていくも、特に不自然な動きはない。
気付けば、俺たちもよく知る大きな建物の前に来ていた。
「……やっぱり学校だったか」
「そうね、私ももしかしたらって予想はしてたけど。学校でパパって言ったら……教師よね」
「え?」
この人、まだパパ活を疑ってたのか。
休日とはいえ、高校生が制服で学校に来るなんて至って普通のことだと思うが。
「金子さん。たぶん教師とパパ活だったら学校じゃないところで会うんじゃないの? 部活の生徒とかがいて、バレるリスク高いし。そもそもデートなら外だし」
「それもそうね。でも援助交際だったら? 校舎の中、誰かに見つかるかもしれない背徳感が盛り上がる……そういう可能性もあるんじゃないかしら」
「……なんか解像度高いね」
「ちがっ! わ、私は何もしたことないから!!」
金子さんが大きい声を出してしまったことで、俺たちの意識はフッと稲荷さんの方に戻った。
しかし聞こえていなかったみたいだ。彼女はこちらに振り返ることなく、校門から中に入っていく。
「わ、分かってる分かってる。……それより稲荷さん、中に入っちゃったね。まだ尾行したいところだけど、俺たち私服だしなぁ」
「この学校厳しいから、休日に私服だと入れてもらえないわよ」
「だよね。今日はここまでか」
「でも、もしパパ活じゃないにしても、あの子結局何しに来たのかしら。東棟に向かっていったけど、あそこはホールかパソコン室ぐらいしかないし」
「パソコンで調べもの? いや、そんなのスマホで調べれば済むか。あのパソコン室でしか見られないデータとかある?」
「普通にネットに繋がるだけだから、スマホと変わらないと思うけど。学校のホームページとか掲示板もスマホで見られるはずだし、わざわざあそこに行く必要はないわね」
「うーん、そっか。じゃあなんでパソコン室なんだろ」
「じゃあやっぱりパソコン部の顧問と……」
「か、金子さん、一回その予想は置いておこうか。でも、学校の掲示板か……」
掲示板の存在なんて知らなかった。学校の情報が見られるってことか。
もしかして生徒同士が噂話をする裏の掲示板……みたいなのがあったりして。
「裏掲示板みたいなのはないの?」
「あるわよ」
「え、あるんだ」
「私は興味ないからほとんど見たことないけど」
金子さんはトートバッグから自分のスマホを取り出すと、検索して開いたページを見せつけてきた。
画面には、『越前高校 裏掲示板』という黒背景のサイトが表示されている。
「ちょっと見せてもらっていい?」
金子さんからスマホを借り、スクロールしてページを流し見ていく。掲示板で話している生徒は数少ないようだが『T教諭が休んでいる理由』や『野球部の痴情のもつれ』など、本当に学校の噂話を話しているようだ。
「そのサイト、友達がよく見てたから私も存在だけは知ってるのよ。っていうか、もしかして……」
「うん。俺の噂も書いてあるんじゃないかって」
「た、たしかに、暴力事件のこと、何か分かるかもしれないわね……!」
金子さんと一緒に画面を眺め、少しずつ過去の投稿を遡っていく。
すると、比較的新しい投稿。3月の投稿の中に、正しくその話題が出てきていた。
【1年2組、生徒Eの暴力事件について】
「あった!」
「す、すごい!ほんとにあった! ……ていうか、こんな悪い噂を探して喜ぶなんて、どんなエゴサーチよ」
「ふふ。たしかに」
投稿の中を見ていくと、数人の生徒が話をしていた。
俺が本当は暴力事件で休学になっていること、相手を病院送りにしていること、気性が荒く近寄らない方がいいことなど。
あまり具体的ではない、あくまで噂程度の内容が多く話されている。
「なによこれ、ありもしないことばっかり。あんまり有益な情報もないし」
「いや。金子さん、これ、すごく大事なことかも」
「え?」
俺はすぐに自分のスマホを取り出し、メールボックスを開いた。そしてあのメールを表示させ、金子さんのスマホの横に並べる。
「ほら、ここのIDのところ。暴力事件の噂を流してるアカウントと、このメールのアドレス……一緒なんだよ」




