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第15話 終電はなくなるものじゃなく、なくすもの


 クラスメイトたちのヒソヒソとした話し声を背中に、俺は状況が飲み込めないながらも先生の後をついていった。

 先生は職員室に入るまで、何も言葉をかけてこない。今ここで話せる内容ではないということなのだろうか。

 暑さで滲み出ていた汗が、いつの間にか自分の頬を伝っている。


 そして職員室に入ると、通されたのは奥の個室。先生の指示通り、対面でパイプ椅子に座った。



「江守。なんで呼ばれたのか分かってるか?」


「いえ」


「そうか。じゃあ、事実確認だ」


 

 先生はポケットから1つのそれを取り出した。

 目の前のテーブルの上に置かれたのは、開封済みで、身に覚えのない手の平サイズの箱。……たばこの箱だった。

 


「これはお前の机の中から出てきたものだ。近くにライターが落ちていてな。今朝登校してきた生徒からそう報告を受けている」


「そう……ですか」


「江守、正直に話してくれ。これはお前のものか?」



 こんなもの、もちろん心当たりなんてなかった。

 記憶を失う前の自分が吸っていたとは聞いていないし、なにより昨日まで机の中には入っていなかったはずだ。

 これが罰……。俺を陥れるための……。 


 

「僕のじゃないです。たぶん、誰かがいたずらで入れたんだと思います……」

 

「いたずら、か。本当に江守の物ではないんだな?」


「違います。誰が入れたのかも、全然分かりませんが……」


「……わかった。お前を信じるよ」



 追及しないでいてくれるのか……。

 俺のものではない証拠なんてなかったが、その逆も同じなのだろう。教師という立場上、無闇に生徒を疑うわけにもいかないんだ。

 それにたぶん、先生の優しさもある。

 


「今のところ何も目撃情報がないから難しいかもしれないが、犯人が分かったら報告する」 

 

「もし見つかったら、お願いします」


「あぁ。それと江守、お前何か困ってることはないのか? 家庭のこととか、事故のこととか、今悩んでいることはないか?」


 

 机の上のたばこを回収した先生は、心配そうにこちらを見つめている。

 俺はその優しいまなざしを向けられ、閉じていた口を開きかける。……しかし何も伝えることはせず、今できる精一杯の微笑みだけを返した。



「心配かけてすみません。大丈夫です」

  

「そうか。それならいいんだが……。何かあったら相談するんだぞ。時間ならいつでも取るからな」


「はい、ありがとうございます」


「じゃあもう朝のホームルームが始まるから、今日はもう戻って大丈夫だ。時間とらせて悪かったな」



 職員室から出た俺は、教室に続く長い廊下を戻っていく。生徒玄関の方から、登校してきた生徒たちの元気な話し声が聞こえてきたので、遠回りをして。


 本当は先生にも相談したいことがあった。メールのこと、暴力事件のこと、父親のこと。

 それができなかったのは、昨日の夜、巳波さんから連絡があったからだ。


 連絡の内容はあのメールのアドレスについて。

 巳波さんの調べでは、あのアドレスは()()()()()()()()のものだったそうだ。まだ送り主が生徒だとは限らないことを考慮すると、今は先生には相談しない方がいい。そういう内容だった。


 犯人は金子さんに対して執着している人物だ。目的は分からないが、俺が近づくと都合の悪い人物。それが生徒だけだとは限らない。

 それにあまり誰にでも相談してしまうと、犯人にたどり着く前に雲隠れされる可能性だってある。

 

 それでも巳波さんの助言を流して、先生に相談するという選択肢もあったのだが。その気になれなかった俺は、今回相談することをやめた。

 


 教室に戻ってからも、相変わらずクラスメイトからの盗み見るような視線、それとヒソヒソ声がこちらに届いてくる。みんなきっと、たばこの話をしているのだろう。

 昼休みは、声をかけてくれた久助の誘いを断り、一人で屋上前の階段に行って昼食を食べた。

 休み時間も放課後も、できるだけすぐ教室から出るようにして。自分の存在を消して。誰の目にも触れないのが、きっと一番だから。

 

 まだ、犯人捜しを諦めたわけではない。

 みんなからの誤解も解きたい。避けられないようになりたい。

 ……でも、今日はなんだか一人でいたい気分だった。



*****

 

 放課後、家に着いて荷物を置くと、俺はしばらく床に寝転がっていた。

 天井の模様をぼんやり眺め続けるも、それに何の感情も湧き出てこない。最近日課にしていたランニングもしていないし、ここから起き上がるのも面倒だった。

 それでも、生きているだけで喉は乾く。

 仕方なく起き上がった俺はキッチンに向かい、コップに一杯分の水を入れ、唇を濡らす程度だけを口に含む。


 ……そういえば、何も食べてなかったな。

 何か食べたら、明日からのこと考えないと。



 ピンポーーーーン。


 突然、部屋のインターホンが鳴った。

 キッチンのすぐそこにある玄関の向こうには、誰かの気配がする。

 人と会ったときの表情の作り方も忘れてしまっていた俺は、ただ何も考えず、その扉をゆっくり押し開けた。



「あっ……へへ」



 扉の向こうに立っていたのは、稲荷さんだった。


 

「え……」

 

「遅くに、突然ごめんなさい」

 


 その急に現れたよく知る彼女は、俺の顔を見るなり照れ臭そうに笑った。


 

「カレー、作りすぎちゃって。あの、お裾分け……です」



 両手に大きめの鍋が1つ。

 鍋の上に乗ったガラスの蓋は、白く曇って中が見えなくなっている。小さく空いた空気穴からは、優しく左右に揺らぐ、うっすらと暖かな湯気。

 そして蓋が閉まっていても分かるぐらい、落ち着くような、刺激的なような、あの匂いがした。

 

  

「……稲荷さん」


「ん?」


「それ、お隣さんがするやつだよ……」


「へ……へへっ」



 誤魔化すように愛想笑いした彼女。次の瞬間には切羽詰まった表情で、俺が開けた扉の隙間にガンッと足をねじ込んでくる。


 

「……てことでっ。おお、願いだからっ。と、とりあえず中にっ、入れてくださいっっ」


「ええっ」


 

 やれやれと扉を開けて彼女を中に入れると、器用に足で靴を脱いだ彼女はすぐに上がり込み、ドスンと大きな音を立ててコンロの上に鍋を置いた。


 

「ふ、ふぅ。ありがと真太。……私もう、腕が限界だった。震えが止まらなかった。赤ちゃんを一日中抱いてるお母さんの気持ちだった」


「そ、そだね。落としたら大惨事だからね」


「いっぱい食べて欲しいって思ってたら、ほんとに作りすぎちゃってね。なんなら赤ちゃんより重いかもよ、この子」


「たしか稲荷さんのアパートって、ここから歩いて5分ぐらいじゃなかったっけ? よく運んできたね。いろんな意味で」


「だって、用もないのに来ちゃダメかと思って」


「いや、初日でいきなり入ってきてたよね?」


「なっ。……と、とにかくっ、会う口実がほしかったの!」



 稲荷さんはコンロの火を付けると、肩にかけていたバッグからタッパーのご飯とペットボトルのお茶を2本取り出した。

 この準備のよさ、たしかにお裾分けのレベルではないな。


 

「まぁ、夜ご飯まだだったし、嬉しい……けど」


「ふふっ。よかった♪ サプライズで来ちゃったからさ、いなかったらどうしようってちょっとだけ心配だったよ」


「こんな時間から?」


「うん。外出てるかもしれないなって」


「別に浮気とかしてないよ」


「ぬ。……私、浮気の話はしてなかったんだけどっ??」


「あ、あぁ。そ、そか。でも一応金子さんとはあれ以来何もないから、心配しないで」


「……ねぇ私、美耶ちゃんの話もしてなかったんだけどっ??」 


 

 眉間にシワを寄せ歯を食いしばった彼女は、すぐに鍋に向かい合う。

 そして温めている鍋の上で、見えない力でも発しているかのようにぐぬぬと手の平を広げた。


 

「なにしてるの……?」


「入れてるの。隠し味。ジェラシーという名の」


「……もっと美味しそうなやつ入れてもらっていい?」


 

 そこから待つこと数分。

 彼女に言われた通り部屋の中で待っていると、机の上に置かれたのは、山のように盛られたご飯に、皿すれすれまで満たされたカレー。

 誰かに手料理を振る舞ってもらうのなんて、記憶をなくしてから初めてかもしれない。湯気の向こうで優しく微笑む彼女と一緒に、「いただきます」と手を合わせた。


 

「すごい量だね」


「へへ。好きでしょ?カレー」


「うん。覚えてないけど、たぶん好き」



 ニコニコと微笑みを向けられたまま、スプーンに乗せたカレーとご飯を口に入れる。

 温かくて、優しい。それでいて少しだけ強めに効いたスパイスが、舌の先だけを痺れさせてくる。 

 

 

「おいしいよ。稲荷さんありがと。わざわざ作ってきてくれて」


「よかったっ、へへへっ。また今度、次は違うもの作ってあげるよ。真太の好きなハンバーグとか、スパゲッティとか、オムライスとかっ!」


「う、うん、お子様ランチかな……? ていうか俺の好み把握してるんだ」


「うん、もちろんだよ。ちゃんと彼女してるでしょ?」


「そうだね」



 ……たぶん、本当の彼女はそんなセリフ言わないけど。


 カレーを食べ終えると、俺はすぐに使い終えた皿を洗い始めた。部屋の方に稲荷さんを待たせ、一人で黙々と汚れを落としていく。


 彼女は今日、励ましに来てくれたのだろうか。何も言ってこないけど、俺にいろいろあったのを察して。 

 もう、何も考えずに身を任せてもいいのかもしれない。たばことか、暴力事件とか。そんなことはもう、追いかけなくても。

 嘘の彼女だとしても、稲荷さんだけは側にいてくれる。ずっと笑顔を向けてくれるから。



 洗い物が終わり部屋に戻ると、部屋の中ではなぜか稲荷さんが背中を丸めて正座していた。俺のことを待っていたのか、モジモジとどこか落ち着きがない様子で。

 そして膝の上で指を遊ばせながら、上目遣いでこちらを見つめる。

 

 そこから彼女がおずおずと口に出したその言葉は、自分の耳を疑うものだった。



「し、終電……なくなっちゃった」

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