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第11話 赤く染まる過去、赤く染まるかき氷


 迎えた週明けの月曜日。国語の時間。

 今日は何か分かるかもしれないという期待と不安を胸に学校へ来たが、今のところ特に変わったことはない。


 眠たくなるぐらい穏やかな声で先生が授業を進める中、一番後ろの廊下側の席に座る俺は、クラスメイトたちを静かに観察している。

 隣の稲荷さんはたまにチラチラと見てくるが、それはもういつものこと。他に不自然な動きをする人はいないようだ。

 

 

 あのメールの送り主は何者なんだろうか……。


「金子美耶に近寄るな」というメッセージは、金子さんにも裏があるという俺への警告なのか。

 それとも、暴力事件の容疑者である俺を金子さんから遠ざけようとするためなのか。

 

「あなたは誰?」とメールに返信しても、週明けまで返信が来ることはなかった。

 暴力事件の噂や記憶喪失の理由など、何か知っている人物かもしれないと期待したのだが……せっかく向こうから現れた手掛かりも、いまだ掴み取れないままだ。


 

 そして午後の美術の時間。

 今日の授業は外で好きなものをスケッチするというものだったため、俺はとりあえず校庭の脇に生えている木の(ふもと)に腰を掛けた。


 

「おう真太。いかにも描写対象になりそうなこの木を描くんじゃなくて、その木陰で一休みするなんて。親が聞いたら泣くぞ?」


「いや、俺そこまで不良なことしてる?」


 

 久助はハハッと笑いながら俺の隣に座り、何も描かれていないスケッチブックを自分の膝の上に置いた。

 そして迷いなく筆を取ると、遠くの山をぼんやり眺めながら大胆に一つの曲線を描き始める。



「そういや週末は何してたんだ?」


「あぁ、体力を戻すためにランニングとか。あと経過観察で病院にも行ったよ」


「そうか。体に異常がないならよかった」


「うん。どこも悪くないし、検査結果も問題なかった。記憶は、今のところ何も思い出せてないんだけどね」


「やっぱり記憶ってそう簡単に戻らないのか? 何かできることがあればいいんだけどよ」


「病院の先生が言ってたけど、主にエピソード記憶……他の人との思い出とか体験がなくなってるんだってさ。交通事故の物理的なショックで記憶喪失になっただけなら、きっかけがあれば日常生活の中で思い出すこともあるかもって」


「そうか。俺もネットで調べたけど、記憶喪失って人によって症状が全然違うんだってな。暴力事件の噂のことはまだ何も分かってないけどよ、他に困ってることがあったら言えよな?」


「ありがと。困ってることか……」



 ちょうど俺は困っていた、というか久助に相談したいことがあった。

 先週届いたあのメールの件、それと……。


 

「昨日宿題してたらさ。数学とかはある程度分かったんだけど、あとは全然分からなくて。考えてみると、歴史とかもある意味エピソード記憶になるし、もしかしたら他の教科は記憶喪失の影響がかなり出てるのかもしれないんだよね」


「ん、そうか……。それは何となく、医者じゃない俺でも理由が分かるぞ」


「え?」


「真太、悪い。俺はまだお前に隠してたことがあるんだ」


「……え、な、なに?」



 久助はこちらを向き、俺の肩に手を置いた。

 そして決まりが悪そうに、なぜか渋い顔で深く頷く。

 

 

「真太、お前はな。実は…………元から勉強ができない」


「んなっ!?」


「記憶なくす前も、赤点常習犯だった」


「!?」


「すまん、驚いたよな。でも安心してくれ。……俺もだ!」 


「な、慰められてるっ??」


「いつも一緒に真っ赤なテストを見せ合ってたからなっ。戦友が戻ってきて俺は嬉しいぞ。また次の補習、仲間がいると思うと頑張れるぜ!」


 

 真っ白な歯をこれでもかというぐらい見せつけてきた久助は、ガッシリと俺の肩を掴んで親指を立てている。

 なんということだ……。どうやら俺は、バカだったらしい。


 

「久助。俺は今日から真面目に勉強するよ」


「い、いや待てっ。俺の見立てによると、お前はやればできてしまうタイプなんだ。理系科目はなぜかほぼ満点だったし。だ、だから勉強なんかやめてくれっ。俺との……戦友との絆を大事にしてくれっ!」


「補習で繋がる絆……そんなものはもう、俺には必要ないのかもしれない」


「し、真太っ……!」



 記憶を失ったのは自分が生まれ変わるチャンスでもある。

 久助には悪いが、これからは真面目に勉強しよう。

 赤点……それに戦友とはこれでおさらばだ。



「あ、久助。話は変わるんだけど、もう一つ相談があって」


「お?なんだ? 戦友の俺に何でも聞いてくれ」


「ん……。えと、実は先週新しくスマホを買ったんだけど、メールが来てさ」

 

 

 ポケットに手を入れ、自分のスマホを取り出そうとしたその時───。

 突如、俺たちの元に、木陰より深く暗い影が飛び込んできた。

 

 自分の影が飲み込まれ、一瞬で強張ってしまった背中。すぐにその方へ振り向くと。

 そこにいたのは、少し屈んで俺たちを見下ろす稲荷さんだった。



「二人とも、なに話してるの?」


「う、うわっ、びっくりした。なんだ稲荷さんか」


「真……江守君、なんだとは失礼だねぇ」



 いつから後ろにいたんだ……?

 それに苗字で呼ばれた点には少し触れたくもなったが、付き合ってるのを久助に隠すためなのだろう。相変わらず謎の恋人隠蔽工作は続いているらしい。


 俺はポケットの中でスマホを握りしめたまま、稲荷さんの正面に体を向けた。

 


「今ちょうど、勉強の相談とかしてて」


「ふぅーん。江守君、隣の席の私には相談してくれないのになぁ」

 

  

 不満そうに見つめてきた稲荷さんは、持っていたスケッチブックを両手で抱きかかえる。



「ま、まぁ、稲荷さんにあんまり迷惑かけられないと思って。でも今度から相談させてもらうよ」


「うんうん、よろしい。何でも頼ってねっ」



 見下ろすように無垢な笑顔を向けられ、あのメールの件は今相談すべきではないと、俺はスマホを取り出すのをやめた。

 そしてへへっと笑った彼女は、そのまま何も言わず隣の久助に視線を移す。そういえば彼女は転校生だから、久助のことはよく知らないのか。


 

「そ、そういえば稲荷さんは話したことないと思うから、紹介するよ。元戦友の久助」


「ゴ、ゴホンッ。今もこれからもずっと真太の戦友の、一丸久助(いちまる きゅうすけ)だ。稲荷さんよろしく」


「いちまるきゅうすけ君か……」



 彼女は「ん~」と呟きながら、しばしの間空を眺める。そして何かが降りてきたのか、ハッとして嬉しそうにその名前を呼んだ。

 


「わかった! よろしくね、マルキュー君!」


「ま、マルキューって稲荷さん……」


「おうっ、よろしくなっ!」


「あ、いいんだ」



 稲荷さんは久助との挨拶を終えると、膝を抱えてしれっと俺の隣に座った。これは、このままここに居座るつもりだな。

 まだ美術の時間だと言うのに、持っているスケッチブックを開きもしないし。

 


「ねね、マルキュー君はずっと江守君と仲良かったの?」


「おう。1年の頃から親友だからな」


「そなんだ。いいね、男同士の友情って感じで。じゃあ江守君の恋バナとか、そういうのも知ってるの?」


「ん? そうだなぁ、真太は全然そういう話してくれなかったから、恋愛系のことは知らないな」

  

「そっか、そうなんだ~。江守君はミステリアスな男の子なんだねっ。ふふっ」



 久助と話す稲荷さんは、今日も無難で当たり障りのない転校生キャラを演じている。少し大人びていて、清楚な雰囲気で。

 この顔の彼女に優しく微笑みを向けられると、なんだか胸の奥がこそばゆい。

 

 ていうかそんなことより、俺を挟んで俺の話をするのはやめてくれないかな……。


  

「稲荷さんと真太って、結構仲良いよな。よく話してる気がするし」


「え?そ、そうだね。私たち隣の席だからね~?」


「ま、まぁ、うん」


「だよな? 二人、結構お似合いな気がするんだよなぁ。なんつって。はははっ」



 隣で笑う久助。その反対側に目を向けると、久助に見えないところで俺の方を見ている稲荷さんがいた。

 目を細め、よだれが出そうな程緩んだ口元からは、とても小さく「へ、へへへ」と緊張感のない声を漏らしている。


 ……完全に稲荷さんの計画通りだ。


 右から暖かい風、左から生ぬるい風を感じてたまらなくなった俺は、すぐに適当な話題を振った。

  

  

「そ、そんなことより稲荷さん、絵は? 絵は描き終わったの?」


「ん?スケッチ? それならもう終わったよ。ほらっ」


 

 彼女が広げたスケッチブックには、大きなかき氷が描かれていた。赤いシロップをかけられて、グラスっぽい皿に綺麗に盛られた、かき氷。まだ春なのに。

 


「ん? こんなのどこにあったの……?」


「見て、あそこにおっきい雲があるでしょ? あれさ、かき氷に見えない?」


「たしかに、言われてみれば見えるかも」 


「でしょ? だから描いたの。かき氷」


「え?」


「え?」


「だから描いたの?」


「うん。かき氷」


「そ、そっか」


「うん」


「……スケッチってさ、何なんだろうね。難しいね」


「そう?結構簡単だったよ?」


「そ、そか」


「あとはゆるキャラみたいにさ、目とか口をつけようかなって思ってるんだけど、どうかな?」


「……あー、うんっ。いいんじゃないかな。個性個性」


 

 隣でそのやり取りを見ていた久助が、また俺の肩をがっしりと掴む。そして親指を立てながら、一言。



「真太。戦友がひとり、増えたかもしれないっ」

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