自覚
暗い自室の中、巧は冷えた床に膝を抱えたまま、動けずにいた。
頭の中を駆け巡るのは、過去に自分を振っていった女性たちの声だった。
『巧くん、私と一緒にいても、心がここにないのが伝わってくるの』
『私に触れてる時、なんだか無理して頑張ってるみたいで痛々しい』
『私じゃなくて、別に好きな人がいるでしょう?』
「……そんな奴、いるわけねえだろって……俺は、ずっとそう思ってた……」
暗闇の中で、掠れた声がこぼれ落ちる。
そうだ。自分はいつだって本気で彼女たちを愛そうとしていた。記念日にはプレゼントを選び、エスコートし、「普通の男」として「普通の幸せ」を手に入れようと必死だった。
なのに、なぜ自分の手から恋はすり抜けていったのか。なぜ誰と抱き合っても、心の奥底には冷たく乾いた風が吹き抜けていたのか。
答えは、最初から、ずっと目の前にあったのだ。
彼女たちとデートしている時、心の中で真っ先に浮かんでいたのは「この店、千秋も好きそうだな」という思いだった。
旅行に行って綺麗景色を見た時、隣の彼女ではなく「千秋に見せてやりたいな」と考えていた。
何かに傷つき、惨めな思いをするたび、巧の足が自動的に向かっていたのは、他の誰でもない、千秋の部屋だった。
「あ……っ……」
喉から、苦しい吐息が漏れた。
巧は、「男が好き」だから千秋を求めていたのではない。「千秋という存在そのもの」が、最初から巧の世界の中心を占めていたのだ。
世間の同性愛を嫌悪し、テレビのCMを見て露骨に眉をひそめていたあの日々。
「生理的に受け付けない」「身近にいたら引く」と強い言葉で吐き捨てていたのは、同性愛そのものへの嫌悪などではなかった。
(俺は……怖かったんだ……)
もし、自分の中にあるこの感情が「恋」だと認めてしまったら。
もし自分が男を、千秋を求めていると自覚してしまったら。
千秋に拒絶され、蔑まれ、これまで築いてきた「幼馴染」という絶対的な関係すら壊れてしまうのではないか。
千秋の隣にいられる唯一の切符を、失ってしまうのではないか。
その恐怖から逃げるために、巧は「自分は正常な男だ」という仮面を必死に被り、女性と付き合っては挫折し、その傷を癒やしてもらうために千秋の部屋へ逃げ込むという、最悪で卑怯なループを繰り返していたのだ。
巧が恐れていたのは「同性愛者になること」ではない。「千秋を失い、千秋のいない世界で生きていくこと」だったのだ。
(……お前だったんだ……っ)
初恋も、執着も、救いも、帰る場所も。
巧が生まれてからこれまで積み重ねてきたすべての感情の行き先は、最初から千秋ただ一人にしかなかった。
「お前しか……いなかったのに……っ!」
自分の愚かさと、その無自覚な愛の陰で、二十年もの間、千秋がどれほど絶望的な孤独と痛みに耐えてきたか。
自分が「お前が女ならよかったのに」なんて惨い言葉を投げつけた時、千秋がどんな思いで本を閉じ、理性を砕かれたか。
自分が吐き捨てた「気持ち悪い」という言葉が、千秋の胸をどれほど深く切り裂いたかを悟った瞬間、巧の胸に激痛が走り、目から溢れ出た涙がボロボロと畳を濡らした。
「千秋……千秋……っ」
名を呼ぶだけで、胸が千切れるほど愛おしく、苦しい。
千秋のいない日常なんて、巧にとっては呼吸をするのも息苦しい地獄でしかなかった。
逃げるのは、もうやめだ。
仮面を被るのも、自分の心に嘘をつくのも、全部終わりにする。
巧は震える手で涙を拭い、千秋の元へ向かうために、強く床を蹴って立ち上がった。




