七章 隣人のメリークリスマス
クリスマスの朝。その家にやっと来たのは、真っ赤なライトをピカピカに光らせた、赤と白のソリだった。
「たまには帰ってきてよ」
弟から連絡があったのは十二月に入った頃。
寺の家を出て、ある意味出家した僕は、実家はもうないものとして生きていた。一人ででも、今の自分が、できる限りのことをする。そう決めて大学進学もしなかったし、その挙げ句が引きこもって投資で日銭を稼ぐニートである。しかしこの環境が、自分の生き方を最大限に引き出せている。何の不満もない。朝、目が覚めると一番に「まだ生きてる」と思い、その日の真っ白なページに何を書くか、それから決めることができる。それが僕の選んだ人生だった。
周りに目をやれば、家を出ても帰ってきていいと言ってくれる父と弟がいる。亡き母の代わりのように見守ってくれる大家さんがいる。今も僕の横でまるで部屋の主のようにくつろぎ漫画を読んでいるイトウがいる。十分だ。
十分だ……と、思わなければ生きていけない。
返事を返さないまま日が過ぎ、いつの間にか世界はクリスマスの光とメロディしかなかった。
動画と漫画とゲーム漬けの僕も、毎日ニュースなどは見るようにしているので、季節感に疎いわけではない。しかしイトウはバカにする。
「ねえ、コージ。クリスマスって知ってる?」
無視する。おかしな提案を聞くだけ無駄だ。
「あ、ごめんごめん。お寺の子には関係ないよね? これは失敬申した」
そう言ってまた漫画に目を落とした。煽りが下手すぎる。
「クリスマスって言えば、小学生の頃、子供会のパーティーがあったよな。お前と行ったな」
「えっ。コージ、クリスマス知ってるの?」
「もういいよそれ。何なの用件は」
僕が面倒になって聞いてやると、イトウは素直だからすぐ本題に入る。
「アキラがさ、お兄ちゃん帰ってこなくて寂しいって」
なるほど。こいつは僕の実家にも飯を食いに行っているのか。
「今年は家族一緒にクリスマスしたいってさ。お兄ちゃん」
「お兄ちゃん言うなキモい」
そう返しつつ、一瞬なら顔を出してもいいか。そんな気持ちになってきた。
寒さでメンタルが沈み、見上げれば大体曇天で、反面、賑やかな行事が目白押しの冬は、人が死にがちだ。僕の部屋に、ただ暖まりにくる子も多くなる。こういう生活を選んでもう慣れた。と言いたいところだけど、昨日は入浴中に風呂場のドアを外側からバン! バン! と叩かれたのはびっくりした。三姉妹までビクッとしていた。うっすらと見えた小さい手と、叩かれた位置の低さが、僕の胸をギュッと締め付けた。
「じゃじゃーん! ここがスズキコージの家でーす!!」
クリスマスイブ、イトウはコージの家の前にいた。一歩後ろに、謎の外国人の男女がいる。
普段から「何も盗むもんないから」とか言ってコージは家の鍵を閉めない。入るも出るも自由だ。イトウは親友のその慢心をついて、不法侵入しようとしている。
「オー、ココが、コージホーム」「チイサイネー」
男女は適当に感想を言っている。
「何か見える?」
勝手に家の中に案内したイトウが聞く。
「ミエルとイウカ、ネ……」「キッズをメニメニーパッキンしたようなホームよ」
「なるほど、フルスロットルか……」
コージが聞いたら塩水をかけて追い返すような会話を三人でしている。
イトウは街でブラブラしてる時に、この外国人夫婦にナンパされた。可愛いからでも格好いいからでもない。
「エクスキューズ……ユー、ベビーいるね」
「は? 自分のお洋服のことしか考えてないJDに言うことじゃないんですけど」
二人は霊感のある夫婦だった。赤ちゃんを両手両足頭部にくっつけて普通に歩いているイトウに声をかけたのも無理はない。コミュ力お化けのイトウがそこから二人と仲良くなるのに五秒かからなかった。そこでコージの話が出たんだろう。『子どもの霊が集まる家』を二人に見せると言って連れてきたのだ。まんまとコージが実家に帰っている、クリスマスイブに。
「計画通り」。イトウはニヤリとした。
霊感夫婦は入りづらそうに部屋の中へ移動した。空間という空間に子どもの霊がいるのだ。物理的にも入りづらいだろう。その点イトウは何も見えないので、いつも通りベッド横の自分のポジションに行く。
「じゃあ、買ってきたもの食べよー!」
オードブル代わりのコンビニサラダ、ピザとチキン、そして何故か肉まん。昆布おにぎりも納豆巻きもある。三人がそれぞれ食べたいものを買っただけで、パーティーでも何でもないメニューだった。でも好きなものを並べるだけでも楽しい。
「ねえねえ、アレとレイはこの部屋、どんな感じで見えるの?」
「ザッツライ……ベイビー、チャイルド、ジュニア、オコサマばかりね。みんなゴースト」
「カナシイ子ばかりじゃないわ。ベリーファンでここからゲットアウトしたくない子もいるわ」
「ふーん。だからゾワ~んってする場所とあったかい場所があるのかな」
二人はチキンを持ちながら、部屋の中を見回している。普通に他人の家で飲み食いしている。
「サムハウ、不安そうなフェイスの子が多いかも」
「不安……? あ、わかった!!」イトウの頭上に電球が光った。
「アタシさぁ、頭悪いし特技もなかったし、いい子じゃなかったから、クリスマスイブにサンタさんが来るか、毎年不安だったんだよね」
そう言いながら、いつも背負っているリュックの中からガラクタを出し始めた。
「養子だからさ、親と血が繋がってないんだよね。だから、好かれたくて頑張るんだけど、何も上手くいかないの。そんな自分が嫌でさー。それでも親は優しい顔でこっちを見るから、アタシはうまく笑えなくて、無表情になっちゃって。悪いことしたなぁ」
今日ろくなもの入ってないよーん。と言って、小学生の工作に使うようなプリンの容器や紙パック、百均のモール、折り紙、カラーフィルムを取り出す。昔から物を作るのが好きで、素材となるようなものがあれば取っておいたり買ったりして持ち歩いていた。
「でも、サンタさんは毎年きてくれた。アタシの欲しいものとはなんかちょっと違うなーってプレゼント、たとえば型番が違ったり、一世代古いものだったりしたけど、必ず届けてくれた」
アレとレイは穏やかな顔で耳を傾け、イトウを手伝い始めた。
オーナメント、くす玉、小さなクリスマスツリー。幽霊の子どもたちは興味があるのか、いつもよりラップ音が多かった。いたずらっ子は出来たばかりのくす玉をすぐに割り、カラフルな中身が飛び出して、子どもたちはキャアキャア騒いだ。
「ソービューティフォー! エクセレント!」「やだー楽しい!!」
イトウの目は空中を舞うカラーフィルムのかけらに反射して、七色に光っていた。
「アタシ、プレゼントもサンタもいらなかったんだ! 大切な人と、笑って一緒に過ごすのが楽しかった!」
アレとレイも笑って、子どもたちは三人の周りを飛び回っていた。
「イトー、このキッズ、リァリーハングリー」
夫婦には手作りのクリスマスツリーの下にしゃがみ込む、小さな男の子が視えていた。手のひらに乗せてギュッとしたら、バラバラに壊れてしまいそうな、すでに骨のような男の子。そしてその隣に寄り添うようにくっついている、女の子の姿もあった。
「どうすればいい? こういう時はお供え的な?」
「ヤー、このパンとキャンディを」そう言ってレイはお皿の上に食べ物を置いて、ツリーの下に置いた。
「ウレシソウデス。シスターも食べて」
レイがそう言うと、女の子は笑って、一口つまんで食べるふりをした。
男の子はお皿を持って、口をパクパクしている。霊体が小さすぎて、声が聞こえない。
レイはその子をそっと手に乗せ、耳を近づけた。
「お、か、さ、ん。おか、あ、さん?」
アレは、マミーにあげたいんだね。と言った。男の子は頷いて、光の粒になって消えた。
子どもたちのためにお皿に乗せたもの以外、イトウは清々しく完食した。その周りを小さい子たちが笑ってくるくる飛んでいる。
「今日くらい。イブの夜くらい、みんな笑っているといいなぁ!」
メリークリスマス! 三人はそう言って、手作りのプレゼントの山の中で眠りについた。
サイレンが一度も鳴らない夜。今年のイブの夜に、サンタのソリは来なかった。
※以下センシティブな表現があります。閲覧注意※
FILE:06 ルポ・孤立の断層――なぜ10歳の聖夜は「小さな命の灯火」を消したのか
2024年12月25日。世界中が華やぐクリスマスの朝、蒼海県豊穣市の一角にある老朽化したアパートで一人の少年が静かに息を引き取った。D君(10歳)の死因は餓死。飽食の時代と言われる現代日本で、なぜ育ち盛りの少年が食べ物を失い、命を落とさなければならなかったのか。
■2024年春:途絶えたライフライン
夫によるDVで離婚した後、母・M子さんはパートを掛け持ちしてD君を育てていたが、自身の体調不良が重なり、職を転々とするようになる。「人に頼ることは恥だと思っていた」後にM子さんは、周囲にそう漏らしている。児童手当、児童扶養手当、また生活保護という行政の補助があったことを、彼女は知らなかった。あるいは周囲の「自己責任」という目を恐れ、知る機会さえ得られなかった。冬が近づくにつれ、母子の食卓から色が消えた。電気とガスが止まり、カセットコンロ一つで凌ぐ日々。D君は母に心配をかけまいと、「お腹空いてないよ」と笑ってみせていた。
■12月24日:最後のクリスマスイブ
イブの夜、M子さんは最後の数百円を握りしめ、コンビニで小さな菓子パンを一つ買った。「明日の朝、あの子に食べさせよう」と枕元に置いた。しかし、D君にはもう、それを口にする力は残っていなかった。夜中、D君は「寒いね」とつぶやき、母の腕の中で眠りについた。
■12月25日:あまりに遅すぎた119番
午前8時。目を覚ましたM子さんは、隣で眠る息子の体が異常に冷たいことに気づく。いくら揺すっても、名前を呼んでも、D君の瞳が開くことはなかった。「起きて。パン食べよう」近隣の住民が錯乱したM子さんを見つけ、119番通報をしたとき、D君はすでに心肺停止状態だった。搬送先の病院で医師が確認したのは「高度の栄養失調による餓死」。M子さん自身も重度の栄養失調と貧血で、そのまま入院を余儀なくされた。
【取材後記】事件後、疎遠になっていた実親や元夫は「そこまで困っているとは知らなかった」「行政がなんとかするべきだった」と責任を回避する言葉を繰り返した。D君の枕元に残されていたのは、一口もつけられなかった菓子パンと、学校の授業で書いたと思われる「将来の夢:警察官になってお母さんを守りたい」という震える文字の作文だった。




