八章 柵の向こう側
「一位以外はゴミなんだって。僕の人生は、父さんの見栄を飾るための履歴書だった。空っぽのまま落ちていくのが、僕の最初で最後の自由だ」「明日、学校で使うノートを隠されることも、上履きに画鋲を入れられることもないんだね。神様、お願い。来世は、ただの石ころにして」「母さんのオムツを替えて、弟に夕飯を食べさせて。僕の青春は、ずっと台所とトイレの匂いがしてた。もう、重いんだ。僕の体も、誰かの人生を背負うことも」「僕がもっといい子だったら、パパとママは喧嘩しなかった?僕が生まれたから、二人は不幸になったんだよね。僕が消えたら、二人は仲直りしてくれるかな」「スマホの通知が鳴るたびに心臓が跳ねる。顔も知らない人たちが、私の死を望んでる。わかったよ、望み通りにするね。これでタイムラインは平和になるの?」「何のためにこんなに苦しい思いをして勉強してるのか?今もゴールも孤独なら今リタイアしたって同じだろ」「あいつの手の感触が、どうしても消えない。お風呂で何度洗っても、皮がむけるまで擦っても、汚れが落ちないの。この体ごと、地面に叩きつけて壊してしまいたい」
読み飛ばしたくなる? 聴きたくないよね?
空が雲に覆われて、ただでさえ光を感じない目の前に厚いモヤがかかる。そんな日は子どもたちも大気の重さに耐えられないのか、僕の上に何重にも覆い被さる。重くはないが、天井から雨漏りがするように、じんわり感情が下へ滲んでくる。そこに自分の境界を作らないと、飲み込まれてしまう。
僕は湿ってしまいそうな体を起こし、ダウンジャケットを着て、外へ出かけた。天気が悪い日は、外に出るようにしている。チャンネルを少しずつ合わせて、町の声を聴く。
「『普通はこうだよね』って言われるたびに、胸の奥が冷たくなった。偽物の私として愛されるより、本物のまま消える道を選ぶよ」「お母さん、今日のご機嫌はどうかな。殴られるのは痛いけど、無視されるのはもっと怖い。冷たいコンクリートの方が、お母さんの手より優しい気がする」「『根性がない』『死ぬ気でやれ』って言われたから、本当に死ぬ気で跳ぶよ。顧問の先生、これで僕に根性があるって認めてくれますか?」「鏡を見るたびに吐き気がする。こんな顔で外を歩いて、笑われて、いっそ、誰にも認識されないくらい、ぐちゃぐちゃになってしまいたい」「お腹空いたな。真っ暗な部屋で一人で待つのは、もう飽きたよ。鳥みたいに飛べたら、パパがいる遠い街まで行けるかな」「誰のせいでもない。みんな優しかった。でも、毎日息をするのが苦しいの。空気が重くて、光が眩しすぎる。永遠に覚めない、一番深い眠りに」
ビルの下は、高さに関わらず空を飛んだ子どもたちの声で溢れている。
そこに、ナカノの声がないか。僕は心を潰しながら、ずっと捜してきた。
どんな子も不思議と自ら来てくれる僕のそばに、ナカノだけがいないから。
クリスマスイブに僕は実家へ帰った。父と弟は、寺に似合わないクリスマスツリーを飾り、野菜や大豆で工夫して作ったパーティー料理を食卓に並べて待っていた。「チキンなしか」と僕が言うと、弟のアキラは父に見えないようにファムチキを見せてくれた。いい坊主だ。
「コージは、いつになったら帰ってきてくれるのかなぁ」
大豆肉のハンバーグを食べながら、父が大きい独り言を言う。
「お父さんは、コージもアキラも、元気でいるところをそばで見たいんだぁ。心配だなぁ」
「父さん、僕をハゲにしたのに足りないの?」
後継になったアキラが冗談めかして言う。本気かもしれないが。
「イケメン兄弟住職のいる寺とか、人気出そうじゃんかぁ。無理ならイトウちゃんでもいいよ」
「キモいこと言うなよ。もともと僕は除霊も浄霊もできないんだ。仕方ないだろ」
「兄ちゃん、能力は飾りだよ。兄ちゃんは、僕にはないものを持ってる」
「だからと言って、町中の霊を連れて帰って寺を溜まり場にしちゃダメだろ」
僕は手元にあったシャンメリーを一気飲みした。
滅多にしない帰省なので、頃合いを見て、踏み出してみた。
「裏の、祠なんだけどさ」
二人は浅く頷いた。
「見てきたら、やっぱり壊されてるね」
「防犯カメラをつけようかって相談したんだけど、父さんが渋ってね」
一呼吸おいて、父が少し小さな声で言った。
「仏様も、神様も、人間も、人外も、見張られていると知れば真実を見せはしないんだよ」
この家のどこにあったのだろう、洒落たワイングラスに入ったコーラを一口飲んで続ける。
「コージや私たちができるのは、これからもずっと変わらず、ナカノちゃんを、大事な人だと思い続けることだけだ」
クリスマスイブは実家に泊まって、クリスマスの朝に帰った。朝の空気は澄んでいて、雲は白い。遠くで救急車か何かのサイレンの音が走っている。
その後、我が家の惨状を目にするまでは、穏やかだった。
見知らぬ外国の方二名と一緒になって、眠りこけているイトウの口を塞いだ。徐々に鼻息が荒くなり、奇声を上げて飛び起きる。
土下座して平謝りするイトウと、ソーリーソーリーと僕を拝んでいる二人を横目に、ふっと部屋の中の軽さを感じた。何人か、いなくなっている子がいる。
「え、えっとね、このお二人はね、アレ・ミエルさんと、レイ・ミエルさんって言ってね、霊感があるご夫婦でね……」
雑な紹介を受けながら、僕は光へ向かった子たちにそっとお別れの挨拶をした。
いつの間にか、隣にセミの子がいた。夏にしか出てこない子なのに。
セミの子は、僕のスマホを指差して見て、見て、と言っている。
誘導されてアクセスしたネットニュースのページには『親から性的虐待を受けていた少女、精神病棟から飛び降り』という記事があった。
※以下センシティブな表現があります。閲覧注意※
FILE:07 『空へ飛んだ十三人の子どもたち ~届かなかった声~』 著:霊能力者・郷家愛山
これまで取材してきた、未成年の自死について。蒼海県雲雀市の寺院の跡取りである新井裕也(仮)氏から話を聞くことができた。故人の声はセンシティブなので公開しないで欲しいと言う前提で、彼らを『柵の向こう側』へ飛ばせてしまった理由、動機をまとめていただいた。
・成績不振と教育虐待【17歳・男子高校生】
・いじめとグループからの疎外【12歳・女子小学生】
・ヤングケアラーとしての疲弊【15歳・中学男子】
・親の離婚と自責の念 【10歳・男子小学生】
・SNSでの誹謗中傷【14歳・中学女子】
・将来への絶望【18歳・浪人生(男子)】
・性的被害のフラッシュバック【13歳・中学女子】
・性的マイノリティの孤立 【16歳・高校女子】
・実の親からの身体的虐待 【11歳・女子小学生】
・部活動での体罰・追い込み【15歳・中学男子】
・容姿コンプレックス(醜形恐怖症)【17歳・高校女子】
・過度な孤独【9歳・男子小学生】
・希死念慮(理由なき絶望)【18歳・女子高校生】
彼らを追い詰めたのは、鬼のような親でも、冷酷な加害者でもない。取り巻く大人たちが共有する「あるべき姿」という名の幻想だ。彼らの声は我々が、自分たちに都合の悪いノイズとして意識的に遮断してきただけなのだ。(中略)私が霊能力者として彼らの残影に触れて確信したことがある。彼らが求めていたのは、決して「死」ではない。「ただ、ここにいてもいい」という許可だった。それは文字通り居場所であり、ありのままを認める者の存在だと感じている。




