五章 「ただいま」がなくなった家
僕が知らない時代があった。この世に生まれて十九年だから当たり前だけど。
昭和は令和と名前が似ていても全く違った時代だと、ドラマや映画を見ればわかる。発展の途中で、不便で、たくさんの道具に溢れていて、それらを駆使して遠回りする。自由で、不自由だった時代。
今、寝転がってスマホ一つで動画を常に一.五倍速で見て、面白くないと思ったらすぐに違うものを見始める僕には、生きにくい時代だったんだろうなと感じている。
我が家にいる子どもたちは、いろいろな時代の子だ。そのうちの一人は、僕がここに引っ越してきてすぐの春頃からだろうか。玄関から微動だにしない。自分の家に霊がいるかどうかがわかるという、頭の中で家中を歩き回るみたいな心理実験? があるが、僕の場合は玄関にすでにその子がいるので即終了だ。
その影の横を通って外に出る時「行ってきます」と言う。その子が。
だから僕は「行ってらっしゃい」と言って、いつも出かけている。
今日はナカノの命日だ。商店街の花屋で仏花を二つ買い、駅前で待ち合わせ時間を待つ。相手は言うまでもない。
駅の改札前をぶらついてると、昔はここに伝言板という黒板があったんだなとか、遅刻しかしないイトウは友だちをたくさん失くすだろうなとか、昭和に想いを馳せることができた。
そして小一時間は想いを馳せた。まだイトウは来ない。
もう今来ても一人で行く。商店街の奥から「ぉーーぃ」と手を振って小走りして来るイトウを横目に、僕は改札の中に入った。
イトウとナカノと僕。三人、三歳から同じ保育園に通って、六歳まで一緒に育った。ナカノは僕が病気をして幽霊が視えるようになったことも知ってるし、イトウが昔から適当なヤツだってことも知ってる。でも、僕がタトゥーを入れたこと、イトウが女になったことは知らない。
ナカノは、三人一緒に小学校へ入学する前に、一度消えてしまったからだ。
僕とイトウはナカノの家に行ったことがなかった。同じ保育園に通っていても、一人だけ学区が違うようで、家の場所も知らない。ナカノを迎えに来るのはいつも腰が曲がったおじいさん。運動会や発表会でも両親の姿を見たことはなかった。
ナカノの親のこと、ナカノが消えたこと。生きているのかどうかさえ、僕たちは記憶を喪失していた。寺の坊主である父は何か知っているだろうが、言わないということは、僕には察するか考えないようにするか、どちらかしか選択肢がないと受け止めるしかなかった。
その後まもなくして、ナカノは戻ってきた。僕たちは安心して、また一緒に遊ぶようになった。でもナカノは小学校に行ってないし、毎日同じ服を着ているし、帰る家がないと言って夜はどこかへ行ってしまう。
だから僕たちはナカノの家を作ることにした。僕の家の裏の、林の中に。最初は下手くそな小鳥箱みたいなものしか作れなかった。でも僕たちが大きくなって、器用になって、色々できることが増えていくごとに、ナカノの家は豪華になっていった。ナカノはどんな家がいいとか絶対に言わない。めちゃくちゃボロボロでも、一日しか持たなかったダンボールハウスでも、ナカノは飛び上がって喜んでくれた。
ナカノはずっと僕たちのそばにいたのだ。変わらず、三人で一緒にいた。辛いことがあった時には寄り添ってくれたし、楽しい時は大きな口を開けて笑っていた。
ナカノの姿は他の人には見えなかった。イトウはどうだったかわからないけど、そんな無粋なことを聞きたくなかった。でも僕に見えるということは、そういうことであって、ナカノの家は、いつからかなんとなく祠のような形になっていった。土粘土で狛犬もどきを作って、少しずつ薄くなっていくナカノを守ってくれるように、一緒にいられるように願っていた。
でもそんなナカノの家が、誰かに壊された。
その日に、ナカノは本当に消えてしまった。僕らが十四歳になった時だった。
悔しいことに同じ電車に間に合ったイトウが、肩で息をしながら普通に話しかけてくる。
「はあ、はあ、お花、綺麗! ありがと!」
仏花に綺麗というのは的確かわからないが、僕もこの、故人を偲ぶ花束は凛として綺麗だと思う。
僕らは電車に乗って、山へ行く。海よりレジャー施設より、花や木や森が好きだったナカノ。
保育園でもいつも花壇や園庭の植木を見ていた。チューリップやパンジーの種を先生と一緒に植えていたし、枇杷の木の実が膨らんでくれば教えてくれたし、水仙の周りの雪を払ってあげていた。梅の花が落ちてしまったら桜の木の下で微笑んでいて、夏は緑の濃い影の中にいた。
四季の中にナカノはいたので、僕たちは命日を年に四回作った。作ったというより、季節が移り変わってナカノの記憶が強くなってきた頃を、ナカノの命日と称して二人で出かけている。
今は春。近所の桜を見に行くのでもよかったが、今年は一面の桜色を見せてあげたくて、芝桜の名所にした。山の麓にある広い公園には売店があって、そこで桜がモチーフのキーホルダーを見つけて買う。ピンクが好きなイトウも真似して買っていた。
その帰り道、僕らは交通事故に遭った。地元に戻って、イトウが沿道の桜の木をぼーっと見ながら横断歩道を渡っていた。そこにタンクローリーがゆっくりと左折してきて、イトウはゆっくり普通にぶつかっていた。ヒールのある靴を履いていたので、豪快に転んだだけだったが。
ぶつかっても全然元気だったイトウは「一時停止、目視、安全確認!!」と運転手に怒りに言ったが、すみません、すみませんと平謝りする若いドライバーにそれ以上のことは言えなかった。服装はギャルだが体は鋼のイトウなので、心配する必要はない。僕は早く家に帰ろうと言った。
「なんでよ! 頭打ってるかもだし足首捻ったし痛い!」
イトウは異常な石頭だし両足で地団駄を踏んでいるし問題ない。
ただ、そんなイトウをなだめている間に目に入った、近くの電信柱に貼られた「交通安全」の古い紙と、お札。僕はそこに、うちの玄関にいる男の子が立っていることに気づいた。
この県道は見晴らしがいいが、大型車ばかり走る時間帯があり、交通事故が多い場所だった。
うちの玄関は暗いので今までわからなかったが、思い出せば、男の子の背中は大きかった。今見て気づいた、黄色い安全カバーがかけられたランドセル。
「そうか、君はここで」
小学校に入学した一年生。朝、元気に「行ってきます!」と言って家を出て、帰ることができなかった。「ただいま」って言いたかっただろう。親は、その言葉をずっと聞きたいと思っていただろう。ご存命ならば、今も。
僕も同じだ。ナカノが笑顔で帰って来られる家を、イトウと作り続けたのだから。
僕は桜色のキーホルダーを、その電信柱の下に置いた。置いて思ったが、花やお菓子などと違って、これはゴミのポイ捨てになるのではないか。
イトウが「何してんのー」と、さっき轢かれかけたことなどなかったかのように話しかけてきた時、ご高齢の夫婦がそこを通りかかった。
「あなたは、あの古い事故を知っているのかしら」
僕は一瞬の間を置いて、頷いた。ランドセルの男の子が、その老夫婦に抱きついていたから。
「そう、ありがとう。この綺麗なキーホルダー、あの子のために受け取らせていただきますね」
二人はお互いの目を見て、拾い上げたキーホルダーを見つめ、そっと撫でた。
僕は深くお辞儀をしてその場を離れた。そして離れた場所から耳のチャンネルを切り替えた。
後ろの方から「ただいま! ただいま!」という元気な声が、頭の中に響いてきていた。
※以下センシティブな表現があります。閲覧注意※
FILE:04 【ニュースデスク】1991年(平成3年)4月16日放送
キャスター:「……続いては、あまりにもやりきれない交通死亡事故のニュースです。
入学式を終えたばかりの、わずか六歳の命が、巨大なトラックの車輪に奪われました。
昨日午後三時すぎ、蒼海県雲雀市の県道交差点で、下校途中だった市立第一小学校一年の、Yくん(六)が大型トラックにはねられ、死亡しました。
Yくんは、青信号に変わった横断歩道で、教わった通りにしっかりと右手を挙げ、渡り始めたところでした。
そこへ左折してきた10トン大型トラックが、Yくんの小さな体に気づくことなく、そのまま巻き込んだものです。
警察の調べに対し、運転していた四十二歳の男性運転手は『タバコを吸いながら運転しており、灰を落とそうとして手元に目を向け、前方不注意になった』と供述しています。
長距離走行の疲れを紛らわせるための喫煙だったといいますが、その一瞬の油断が、入学したばかりの児童の未来を断ち切りました。
この事故を巡り、最愛の息子を失ったご両親は『これは単なる過失ではない、殺人にも等しい』として、運転手を厳罰に処すよう訴え続けてきました。
しかし本日、裁判所は『運転者の過失は限定的であり、悪質な意図は認められない』として、ご両親が求めていた過失致死罪の適用を棄却する判断を下しました。
物流を支える長距離トラックの過酷な勤務実態と、歩行者の安全。
その歪みが、またしても幼い犠牲者を生んでしまいました……。」




