一章 バスルームの三姉妹
僕は今、三姉妹と風呂に入っている。
四十四度、熱めの湯に浸かるのが僕の好みだ。
白濁色の入浴剤を入れると、湯の中は見えなくなる。さらに僕は今、濃い茶色のレンズが入ったサングラスをかけているので、目の前は湯気で曇り、ほぼ何も見えない。安心して欲しい。
こんなシチュエーション、世間一般的にはラブコメにしかあり得ないが、僕の未熟な倫理観でも、浴槽に入ってはしゃいでいる幼い少女たちの体を見るわけにはいかないのだ。それが十九歳、彼女もいない陰キャが厳守しなければならないルールだった。
今日は何分、お湯の温度が保つだろうか。そう考えていたら、メガネにお湯をかけられた。いつも浮かれている≒浮かんでいる三女だ。顎から上だけ水面に出している僕の体に捕まり、四方八方に水をかけまくっている。一方、二女はおとなしい。このお湯の温かさをゆっくり楽しんでいる。
彼女たちは人間ではない。幽霊だ。この部屋にはよく子どもの霊が来る。僕が視える人間だとわかる印でもあるのだろうか。
あれは中学生の時だったか、幼なじみと一緒にスーパー銭湯に行ったことがある。子どもの頃は親と行くことはあったが、友人同士で行くのは初めてだった。楽しみな気持ちと不安な感情が入り混じりながら『男湯』と書かれた紺色の暖簾をくぐる。
僕は昔から色付きの伊達メガネをかけていて、家の風呂にはメガネのまま入る。その日も服は脱いでそのまま入ろうとしたら「それはどうなの?」と幼なじみのイトウに言われて、慌てて外した。イトウは僕がいつもそのメガネをかけている理由を知っている。知りながら「どうなの? どうなの?」と煽ってくる。
僕はぎゅっと閉じたまぶたを緩めた。目の前にいたのは、焼けただれた人の形をした何か。天井から生える腕。ロッカーに半分埋まっている老人。風呂場で足を滑らせ倒れるというのを延々ループしている中年。この世のものではない者たち。それらを見ないように、僕は常に色付きメガネをかけていた。
僕は慌ててチャンネルを切り替える。イトウはさっさと体を洗い流して浴槽に入り、上がるまでずっとニヤニヤしながら僕の方を見ていた。この悪ガキが、数年後にギャル化するとは。人生とは不思議だ。
僕は意識を頭の片隅に閉じ込め、無心で体を洗い、烏の行水で、浴場を出て真っ先にメガネをかける。僕はここで寛ぐことなど全くできないことが改めてわかった。もう一人の幼なじみ、ナカノは、細かくブルブル震えている僕を心配して、ずっと隣に座っていてくれた。
熱めに給湯した風呂は、幽霊であるこの子たちが入っていることで、ぐんぐん下がっていく。今日ももって五分だ。僕の夢は、あったかいお風呂に浸かりながら動画を見ること。その夢が叶うのはいつだろう。でも、来た子どもたちを決して追い返したりしない。
浴槽から上がり、壁に手をついてタオルを取る。曇りが晴れたメガネの外側から見えるのは、いつもシャワーの横にずっと立っている長女の姿だった。なぜか彼女だけは絶対に浴槽に入らない。服も脱がない(脱いで欲しいわけではない)。
僕は狭い脱衣所で下着を履く。小さい洗面台の鏡には、全身タトゥーで埋められた自分の体が映っている。
Tシャツに頭を通す時、一瞬だけメガネを外した。視界の端に見えた長女は浴槽の方をじっと見ていた。そこでは二女と三女がまだ風呂を満喫している。微笑ましい。でもできれば、服を着たまま入ってくれればいいのにと思う。
「冷たくなる前に出なさいよ」
風呂場に向かってそう言うと、三女は手だけを出して「わかったわかった」というように振り、二女と消えていった。それを見届けるように、長女も消えた。
今日も満足したようだ。僕は極力、外出をしないので春秋冬は汗もかかないのだが、このために、風呂キャンはしないようにしている。
※以下センシティブな表現があります。閲覧注意※
FILE:01 2010年2月10日 北北東新聞夕刊
■自宅浴室に放置、幼い姉妹が凍死 虐待容疑で内縁の父を逮捕 豊穣市
【蒼海県豊穣市】10日午後、豊穣市瑞穂町の住宅で、この家に住む小学2年生の長女(8)と幼稚園児の次女(5)が、浴室で倒れているのが見つかった。県警豊穣署員が駆けつけたが、両名はすでに死亡しており、死因は極寒の浴室に長時間放置されたことによる低体温症(凍死)と判明。同署は同日夜、姉妹を虐待し死なせたとして、同居していた内縁の父、無職・S容疑者(仮名・34)を保護責任者遺棄致死の疑いで逮捕した。
■「しつけ」と称し冷水
捜査関係者によると、事件当時、姉妹の母親(30)は持病の治療のため県内の病院に入院中だった。S容疑者は母親の不在時に、姉妹に対して日常的に暴行を加えていた疑いがある。「しつけのつもりだった。死ぬとは思わなかった」と容疑を一部否認しているが、当時の豊穣市の最低気温は氷点下を記録しており、暖房のない浴室は極限状態にあったとみられる。




