4-6 支援金を守るために、農家を選ぶ
数日後。
農政局から、タケルのもとへ一通の通知が届いた。
『新規就農者向け経営基盤強化支援事業の申請受付について』
タケルは、すぐに封を切った。
今回の支援は、農業を始めたばかりの人が、農地や設備を整え、経営を軌道に乗せるためのものだった。
対象者には、一定額の設備導入支援金が交付される。
タケルにとっても、利用できる可能性のある制度だった。
「今度こそ、必要な支援かもしれない」
彼は、申請要件を読み進めた。
ところが、途中で手が止まった。
『申請者は、過去三年間の農業経営実績、販売実績及び経営改善実績を提出すること』
「……俺、新規就農者なんだが?」
さらに読み進める。
『導入する設備について、導入前後の収益改善効果を具体的に示すこと』
「だから、これから始めるんだって!」
コメリアが、書類をのぞき込んだ。
「過去三年間の実績が必要なんですか?」
「そう書いてある」
「新規就農者向けなのに?」
「そのようだ」
「……変ですね」
タケルは、申請要件の末尾を見た。
『ただし、認定農業経営体等からの事業承継により、一定の実績が確認できる場合は、この限りではない』
タケルは目を細めた。
「なるほど。事業承継なら、前の経営者の実績を使えるのか」
「作蔵おじさんの農場なら、過去の記録が残っているかもしれません」
「調べてみよう」
二人は、作蔵が残した書類を確認した。
収穫量、出荷記録、農地の管理記録、農機具の修理履歴。
古い記録が、箱の中から次々と出てきた。
「これなら、実績の資料を作れそうだ」
タケルが喜んだのも束の間。
別の要件が見つかった。
『事業承継に伴う経営改善計画について、地域農業計画との整合性を確認できること』
「地域農業計画?」
「地域の農業を、今後どうしていくか決めた計画のことでは?」
「そうらしい。……どこで確認できるんだ?」
コメリアは、農政局の案内をめくった。
「地域農業計画は、農業協議会で確認するようです」
「では、協議会に行こう」
翌日、二人は地域農業協議会を訪ねた。
そこで出会ったのは、地元の有力農家や農業関連団体の代表者たちだった。
「稲穂作蔵さんの後継者か」
協議会の代表が、タケルを見た。
「はい。作蔵の農地を継承しました」
「なるほど。ところで、君は今後、どれくらいの規模で農業をやるつもりだ?」
「まずは三ヘクタールの農地で、安定して米を生産し、販売できる体制を整えたいと考えています」
「三ヘクタールか」
代表は、隣に座る男と顔を見合わせた。
「この地域では、今後、農地を集約して大規模経営を進める方針になっている。
個々の小規模農家が設備を導入するより、地域全体で共同施設を整備したほうが効率的な場合もある」
「共同施設ですか?」
「そうだ。大型乾燥施設、共同保管施設、農業機械の共同利用。
地域の農業を守るためには、集約化が必要なのだ」
タケルは、うなずいた。
「共同利用には利点があると思います。
ただ、利用する農家の数や、施設までの距離、利用料、維持費も確認する必要がありますよね?」
「もちろんだ」
「では、この地域の共同施設は、どれくらい利用されているのでしょう?」
代表は、少し言葉を詰まらせた。
「施設によって異なる」
「利用率の資料はありますか?」
「詳細は、運営団体に確認してもらいたい」
「維持費は、どのように負担していますか?」
「利用料や関連する支援金などを組み合わせている」
「では、利用料を払えない農家がいた場合は?」
「……個別の事情によるな」
タケルは、静かにうなずいた。
この協議会も、地域の農業を守ろうとしているのだろう。
共同施設が必要な地域もある。
農地の集約化によって、効率が改善する場合もある。
しかし、地域の方針が先に決まり、その方針に合わない農家が支援から外れてしまうとしたら。
農家を支える制度が、農家の選択肢を狭めることになりかねない。
「稲穂君」
協議会の代表が、声を低くした。
「地域の農業を守るためには、全体の方針に協力してもらう必要がある。
個々の事情ばかり主張していては、政策は進まない」
「それは理解しています」
「ならば、まずは地域計画に沿って、共同施設の利用を検討してもらいたい」
「検討はします。ただ、俺の農場に本当に必要な支援が何かは、自分でも確かめたいんです」
代表は、少し不満そうに口を結んだ。
「……そうか」
タケルは、協議会を後にした。
コメリアが、隣を歩きながら尋ねた。
「タケルさん。支援制度って、こんなに難しいものなんですか?」
「支援する側にも、守りたいものがあるんだろう」
「地域全体の効率とか?」
「そうだ。
予算を無駄にしたくない。
施設を維持したい。
地域の農業を衰退させたくない。
どれも大切な目的だ」
「でも、その目的が優先されすぎると、目の前の農家が見えなくなる?」
「……そういうことだ」
タケルは、農政局から受け取った申請書を見つめた。
支援金をもらうためには、過去の実績が必要だった。
過去の実績を証明するには、事業承継の手続きが必要だった。
事業承継の手続きを進めるには、地域計画との整合性が必要だった。
地域計画に合致するためには、地域の方針に沿う必要があった。
そして、地域の方針を決める場には、すでに大きな声を持つ人たちが集まっていた。
制度の入口は開かれている。
しかし、その先には、いくつもの門がある。
門を通る方法を知っている人は、支援を受けやすい。
知らない人は、入口で立ち尽くす。
タケルは、ようやく理解した。
この国の農業支援制度は、単に書類が多いだけではない。
誰が制度を作り、誰が条件を決め、誰が恩恵を受けるのか。その構造そのものが問題なのだ。




