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異世界米農家の憂鬱  作者: とんぷぅ
第4章 補助金申請書が稲より育つ国
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4-7 利権は、悪人の顔をしてやって来ない

その夜。


 タケルは、農場の机に座り、これまで集めた資料を広げていた。


 農業機械導入支援金。


 共同施設整備助成金。


 専門家相談費用助成金。


 地域農業活性化事業補助金。


 どれも、表向きは農業を支えるための制度だった。


 だが、制度を調べるほど、気になる点が増えていった。


 設備の導入を支援する制度がある。


 設備を販売する企業がある。


 設備の導入を勧める団体がある。


 団体は、行政に支援の拡充を要望する。


 行政は、予算を確保する。


 予算がつけば、設備の需要が生まれる。


 設備が導入されれば、運営や保守の仕事が生まれる。


 施設を維持するために、翌年度も予算が必要になる。


 もちろん、設備が本当に必要で、農家の利益につながるなら、それは悪いことではない。


 しかし、誰もが自分の仕事を守ろうとした結果、事業を続けること自体が目的になってしまったら。


 誰もが正しいことを言いながら、誰も全体の利益を確かめなくなったら。


 そのとき、利権は生まれる。


 必ずしも、裏金が飛び交う必要はない。


 誰かが明確な犯罪を犯す必要すらない。


 予算が増えれば仕事が増える人。


 施設が作られれば利益が出る人。


 制度が複雑なほど仕事が増える人。


 制度の要件を決める会議に参加できる人。


 その人たちの意見ばかりが政策に反映されれば、結果として、制度は特定の人たちに有利な形へ傾いていく。


 そして、その費用を負担するのは、税金を払う人々だ。


 タケルは、机に手を置いた。


「……誰か一人を捕まえれば終わる話じゃないな」


 コメリアが、温かいお茶を持ってきた。


「何がですか?」


「利権だよ。悪い人が一人いて、そいつを追い出せば解決する。そういう話なら簡単なんだが」


「違うんですか?」


「制度が複雑で、予算の使い道が分かりにくくて、成果を確かめる仕組みが弱い。そこに、予算を増やしたい人や、仕事を得たい人や、立場を守りたい人が集まる」


 タケルは、書類の山を見た。


「その一人ひとりが、必ずしも悪人とは限らない。自分の立場から見れば、合理的な行動をしているだけかもしれない」


「でも、全体としては農家が困ることがある」


「そうだ」


 タケルは、ゆっくりとうなずいた。


「だから、誰が悪いかだけを調べても足りない。どんな制度なら、誰かが自分の利益を優先しても、全体が大きく歪まないのか。そこまで考えないといけない」


 そのとき、机の上に置いてあった書類の一枚が、風でめくれた。


 農業支援制度の審査要領だった。


 タケルは、その一文に目を留めた。


『採択された事業については、事業実施者による成果報告をもって、所定の実績確認とする』


「……成果報告をもって、実績確認?」


 タケルは、もう一度その文章を読んだ。


「事業を実施した人が、自分で成果を報告する。それをもって確認とするのか?」


「何か問題があるんですか?」


「報告そのものは必要だ。でも、それだけでは足りない場合もある」


 タケルは、紙に書き始めた。


 支援金を交付する前に、目的を明確にする。


 採択した理由を記録する。


 事業の実施後に、成果を確認する。


 必要なら、第三者が検証する。


 同じ目的の事業が重複していないか調べる。


 利用されていない設備があれば、原因を確認する。


 そして、成果が出なかった事業は、失敗を隠すのではなく、次の制度設計に活かす。


「タケルさん、それを全部やるんですか?」


「いや。全部やろうとしたら、また書類が増える」


「……確かに」


「大切なのは、確認すること自体を目的にしないことだ。支援によって何を実現したいのか。そのために、何を確認すれば十分なのか。そこを考える」


 タケルは、紙の一番上に見出しを書いた。


 農業支援制度の改革案――支援金ではなく、成果を支援する。


「まずは、これをまとめよう」


 その瞬間、農場の扉が激しく叩かれた。


 ドンドンドン!


「稲穂タケル殿! 農政局から緊急の通知です!」


 役所の使者が、息を切らして立っていた。


「明日の朝、農政局へ出頭してください!」


「また説明会ですか?」


「いえ! 支援制度に関する重要な協議です!」


「……何の?」


 使者は、書類を差し出した。


「農業支援制度の利用促進に関する意見交換会です!」


 タケルは、通知書を受け取った。


 開催目的には、こう書かれていた。


『各種支援制度の利用率向上及び、制度活用に関する課題の把握について』


 タケルは、目を閉じた。


「コメリア」


「はい」


「今度は、補助金の利用率を上げるための会議らしい」


「必要な人に支援が届くようにする会議ですか?」


「そうであってほしいな」


 タケルは、通知書の裏面を見た。


 そこには、会議の参加団体一覧が記されていた。


 農政未来連盟。


 農業機械産業協会。


 王国農業総合コンサルティング。


 地域水利施設連合会。


 そして、農政局の支援事業担当部署。


 タケルは、ゆっくりと紙を机に置いた。


「……制度を利用する人たちが、制度を利用しやすくするための会議を開くのか」


「何か変ですか?」


「いや。変とは限らない」


 タケルは、静かに笑った。


「ただ、そこに支援を受けられなかった農家が何人いるのか。申請を諦めた人が何人いるのか。支援を受けたのに経営が改善しなかった人が何人いるのか」


 彼は、窓の外を見た。


「その人たちの声が、会議室に届いているか。それを確かめたい」


 コメリアは、しばらく考えてから言った。


「タケルさん。明日の会議、私も行っていいですか?」


「もちろんだ」


「私、農家の娘ですから。書類の書き方は分からないけど、田んぼで何が起きているかなら話せます」


 タケルは、笑った。


「それが一番大切なんだ」


 彼は、机の上の資料をまとめた。


 支援制度は必要だ。


 農家だけでは負担しきれない設備投資もある。


 災害への備えも、地域の水路の維持も、環境を守る農業も、将来の担い手を育てることも、社会全体で支える意味がある。


 しかし、支援金を配ることが目的になれば、制度は歪む。


 予算を確保することが目的になれば、必要性の薄い事業まで生まれる。


 団体の声が大きいほど有利になれば、声を上げられない農家は取り残される。


 そして、制度が複雑なままであれば、その複雑さを解決するための新たな仕事が生まれ、複雑さそのものが維持されてしまう。


 タケルは、最後に一枚の紙を取り出した。


 そこに、こう書いた。


 支援制度は、誰のために存在するのか。


 その問いに答えられない制度は、どれほど立派な名前を持っていても、農家を救うことはできない。


 そして翌朝。


 タケルとコメリアは、王国農政局へ向かった。


 会議室の扉を開けると、すでに大勢の人が着席していた。


 壇上には、農政未来連盟のバルド理事。


 その隣には、農業機械産業協会の代表。


 反対側には、支援制度を担当する農政局の幹部。


 テーブルの上には、分厚い資料が並んでいた。


 議題は、ただ一つ。


 「支援制度の利用率を、いかに向上させるか」


 タケルは、空いている席に座った。


 そして、心の中でつぶやいた。


「さて……今度は、誰のための改革なのかを見せてもらおう」


 会議が始まった。


 その瞬間、バルド理事が笑顔で口を開いた。


「まずは、支援制度の利用率向上に向け、新たな広報事業と専門家派遣事業を提案したいと思います」


 タケルは、天井を見上げた。


「……専門家派遣事業?」


 コメリアが、小声で尋ねた。


「タケルさん。今度は、何が始まるんですか?」


 タケルは、深いため息をついた。


「おそらく、補助金を利用するための補助金を、もっと利用しやすくするための補助金だ」


 コメリアは、口を押さえた。


 笑ってはいけないと思った。


 だが、どうしても我慢できなかった。


 そしてタケルは、笑うことができなかった。


 会議室の向こう側では、次年度の予算案が、すでに立派な冊子になりつつあった。


 農家の田んぼでは、まだ一粒の米も収穫されていないというのに。

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