↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界米農家の憂鬱  作者: とんぷぅ
第3章 倉庫に米はあるのに、なぜ市場にない?
PR
20/24

3-7 そして、米は動き始めた

数日後。


 市場に、久しぶりにまとまった量の米が並んだ。


 グラノー商会が、契約上の制約がなく、品質検査も済んでいた在庫の一部を出荷したのだ。


 もちろん、価格が一夜にして元どおりになったわけではない。


 高い仕入れ価格や輸送費は残っている。


 それでも、空だった店頭に米が並んだことで、買い物客の不安は少し和らいだ。


「買える米があるって、ありがたいねえ」


 年配の女性が、米袋を抱えて笑った。


 タケルは、その様子を遠くから見ていた。


「よかったですね、タケルさん」


 コメリアが言った。


「まだ、何も解決していないよ」


「でも、米は届きました」


「そうだな」


 タケルはうなずいた。


 市場に米がないという問題は、少し改善した。


 しかし、なぜ需要予測が現実とずれたのか。


 なぜ流通在庫が十分に把握されていなかったのか。


 なぜ、備蓄や出荷の判断が遅れたのか。


 農家が作付面積を減らすだけで、供給は本当に安定するのか。


 問題は、まだ山ほど残っていた。


 そして何より、米の価格が下がれば、今度は農家が苦しくなる可能性もある。


 消費者が安く買えること。


 農家が適正な収入を得られること。


 商人が必要な費用を回収できること。


 小売店が事業を続けられること。


 行政が安定供給を支えること。


 それらは、別々の目標ではないはずだった。


 だが、今の制度では、互いに引っ張り合う目標として扱われていた。


「タケルさん」


 コメリアが尋ねた。


「次は、何をするんですか?」


「まずは、今回の出荷を記録する。何袋を、どこから、いくらで仕入れて、どれくらいの費用で運び、どれくらいの期間で売れたのか」


「また記録ですか?」


「会社員時代に学んだことがある。改善は、気合いで始めても、数字がなければ続かない」


「でも、数字だけでは改善できませんよね?」


「……そのとおりだ」


 タケルは、少しだけ笑った。


「だから、現場の声も一緒に記録する」


 コメリアは満足そうにうなずいた。


 そのとき、タケルの背後から聞き覚えのある声がした。


「稲穂殿。少々、お時間をいただけますかな」


 振り返ると、農政局の監督官が立っていた。


「今回の米の出荷について、報告書を提出していただきたい」


「もちろんです。出荷実績、費用、販売状況をまとめます」


「それとは別に、農家の生産調整への影響を確認するための書類も必要です」


「……別に?」


「さらに、商会の在庫情報を収集するための調査票と、試験的な流通改善に関する申請書もございます」


 監督官は、厚い封筒を差し出した。


「こちらが必要書類の一覧です」


 タケルは封筒を受け取った。


 中には、書類の一覧表が入っていた。


 一覧表の最後には、こう書かれていた。


『必要書類の詳細については、別紙「必要書類一覧の解説書」をご参照ください』


 タケルは、ゆっくりと顔を上げた。


「……コメリア」


「はい」


「俺たちは今、米不足を解決しようとしているんだよな?」


「そのはずです」


「なのに、俺の目の前では、紙不足が解決されようとしている」


「紙は、ずいぶん豊作ですね」


 タケルは、封筒をそっと閉じた。


「よし。次の改革目標が決まった」


「農政改革ですか?」


「いや、まずは書類の生産調整だ」


 コメリアは、とうとう声を上げて笑った。


 タケルも笑った。


 だが、笑いながらも、彼は封筒を捨てなかった。


 制度には、制度を作った理由がある。


 記録が必要な理由もある。


 確認が必要な理由もある。


 問題は、それらが積み重なり、現場の仕事を止めてしまうことだ。


 必要な手続きは残す。


 意味のない重複は減らす。


 数字は集める。


 しかし、数字だけで現場を裁かない。


 タケルは、そう決めた。


 米の問題は、農家だけの問題ではない。


 商人だけの問題でも、行政だけの問題でもない。


 だからこそ、誰か一人を悪者にするのではなく、みんなが自分の役割を果たせる仕組みを作らなければならない。


 それができなければ、今年の米不足が解消しても、来年は米余りに苦しむかもしれない。


 そして、米が余れば、また農家に作るなと言うのだろう。


 タケルは、空を見上げた。


「……次は、需要予測だな」


 その瞬間。


 封筒の底から、一枚の通知書が落ちた。


『来年度の生産計画に関する説明会のお知らせ』


 タケルは、紙を拾い上げた。


 開催日時は、明日の朝八時。


 開催場所は、王国農政局。


 備考欄には、こう書かれていた。


『出席にあたっては、前年度の生産実績、次年度の生産予定、流通改善に関する報告書、その他必要と認められる書類を持参すること』


「……明日?」


「明日ですね」


「報告書は?」


「まだ作っていませんね」


「必要書類一覧の解説書は?」


「封筒の中です」


 タケルは、しばらく空を見上げていた。


 そして、静かに言った。


「異世界に来ても、会議の前日は残業か……」


 コメリアは、笑いすぎて涙を浮かべていた。


 こうしてタケルは、米の流通という巨大な問題に、ほんの小さな穴を開けた。


 だが、その穴から見えたのは、倉庫に積まれた米だけではなかった。


 制度の隙間に置き去りにされた現場。


 予測と実績のずれ。


 誰も全体を見ていない仕組み。


 そして、責任だけが末端へと流れていく構造。


 タケルは、封筒を抱えて歩き出した。


 次に戦う相手は、米不足ではない。


 米不足を何度でも生み出してしまう、仕組みそのものだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。