2-4 家督を継ぐ者は、名前まで継ぐ
職員の説明によれば、この王国では、農業を営む家の家督継承に独特の制度があった。
農地や農業設備、共同水利組合の権利、農産物の出荷資格。
それらは、個々の申請者が一から取得するのではなく、家業を継ぐ者が戸籍上の継承を済ませることで、まとめて引き継ぐ仕組みになっていた。
ただし、これは誰でも自由に使える制度ではない。
家業を継ぐことが前提であり、家族関係や継承の意思、先代の権利関係などを確認したうえで、正式な手続きを行う必要がある。
そして、この仕組みにはもう一つ、奇妙な慣習があった。
「家督を継ぐと、名前も継承するんですか?」
「ええ。家の信用や契約関係を途切れさせないためです」
「でも、同じ名前の人が二人いたら混乱しませんか?」
「ですから、通称と戸籍上の名前を使い分けるんです」
職員は、戸籍の記載例を見せてくれた。
『戸籍上の名前:稲穂作一(継承)』
『通称:稲穂作一』
つまり、先代の本名を引き継いだ者は、戸籍上では『稲穂作一(継承)』と記録される。
普段の生活では、これまでどおり自分の通称を使う。
農地や契約の名義は、戸籍上の継承者として扱われる。
そうすることで、長年続いてきた農家の権利や契約を維持するのだという。
「……なるほど」
俺はうなずいた。
確かに、農地の権利や水利組合の契約を一つずつ更新するのは大変だ。
家業を継ぐ者がまとめて引き継げるなら、合理的な面もある。
問題は、そこではない。
「じゃあ、なぜ農政庁では、この制度を教えてくれなかったんですか?」
職員は、少し困った顔をした。
「さあ……。農政庁の方では、新規就農と家督継承を別の手続きとして扱っているんじゃないでしょうか」
「……」
俺は立ち上がった。
「つまり、窓口の担当者は、俺が新規就農だと思っていた」
「そういうことかと」
「でも、俺は叔父の農地を継ぐ立場だった」
「はい」
「だから、本来は戸籍の継承手続きを案内すべきだった」
「まあ、そうなりますね」
「なのに、誰もそれを確認しなかった」
職員は、申し訳なさそうに頭を下げた。
「ご不便をおかけしました」
俺は天井を見上げた。
会社員時代、業務改善の現場で何度も見た光景だった。
部署ごとに制度を分けている。
担当者は自分の範囲しか知らない。
全体を通して見れば一つの手続きなのに、利用者が自分で正解を見つけなければならない。
そして、誰も悪意を持っていないのに、全体としてはとんでもなく不便になる。
「……すごいな、この国」
俺は呟いた。
「制度を作る能力はあるのに、制度を利用する人の立場で考える能力がない」
「何かおっしゃいましたか?」
「いえ。こちらの話です」
俺は書類を受け取り、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。おかげで、ようやく農家になれそうです」
「それはよかったです」
職員はにっこりと笑った。
「では、継承の手続きはこちらで進めておきますね」
「お願いします」
「あと、念のため農政庁にも継承者としての届出を出しておいてください」
「……まだ書類があるんですか!?」
「一枚だけですよ」
俺は、その言葉を信じることにした。




