第91話:死んだことになった英雄
夕刻を少し過ぎた頃。
俺たちを乗せた魔導馬車は、ようやくアルゼンへ到着した。
俺たちは宿を探すより先に、そのまま冒険者ギルドへ向かった。
ギルドの扉を開け、中へ入る。
夕方ということもあって、中には何人もの冒険者がいた。
俺はそのまま受付まで歩いていき、カウンターの向こうにいた職員へ声をかける。
「……討伐の報告と、借りていた武器の返却をしたい」
「はい。お預かりします」
「あぁ」
俺は荷物から、折れた聖銀の剣を取り出した。
「これを」
「…………?」
職員は最初、不思議そうな顔で剣を受け取った。
だが。
折れた刀身を見つめた瞬間、その顔から一気に血の気が引いていった。
「……これって……」
震える声が漏れる。
「モリア様にお貸し出しした……聖銀の……」
職員は口元を手で覆いながら、折れた刀身を見つめる。
「聖銀の剣が……ここまで折れるほどの戦いって……」
そして、ゆっくりと俺たちへ視線を戻した。
リリア。
セシル。
ミナ。
俺。
その目が、俺たち四人を順番に見ていく。
「……まさか……」
「…………」
俺は何も答えなかった。
その顔を見れば、職員も何かを察したらしい。
職員は折れた聖銀の剣を抱えたまま、近くにいた別の職員を呼び止めた。
何かを小声で伝えると、その職員が剣を受け取る。
そして、俺たちへ向き直った。
「……どうぞ。奥の支部長室へおいでください」
「あぁ」
俺たちは職員のあとについて、ギルドの奥へ向かった。
案内された支部長室へ入ると、中央に置かれていた革張りの長椅子へ腰を下ろす。
向かいには、この前会った支部長が座っていた。
俺は荷物からマンティコアの魔核を取り出した。
「これを……」
机の上へ置く。
大きな魔核を見た支部長は、一瞬だけ目を見開いた。
「……これは……」
「マンティコアの魔核だ」
「…………」
支部長はしばらく魔核を見つめていた。
だが、すぐに俺たちへ視線を戻す。
「……モリア様は……?」
「…………」
来たか。
分かっていたことなのに、喉の奥が少し詰まった。
ここで俺が答えれば、モリアは本当に死んだことになる。
ギルドにも、王都にも。
これまで勇者として生きてきたモリアという人間は、ここで終わる。
「……あの化け物を仕留めた帰りに、傷が悪化してな」
俺はゆっくりと言葉を続けた。
「……もう、埋葬は済ませてある」
「…………」
言っちまった。
たったそれだけの言葉なのに、妙に重かった。
今頃、本人は南へ向かう馬車に揺られている。
ちゃんと生きている。
なのに、ここではもう死者だ。
支部長はしばらく俺を見つめていたあと、ミナへ視線を向けた。
「……治癒士であるあなたも、その場に?」
「……はい」
ミナは少しだけ間を置いてから、静かに頷いた。
「……そうですか」
支部長は目を伏せた。
「あと……支部長さん」
「はい……」
「あなたには色々と世話になった。そう伝えてくれって……」
俺はそこまで言って、口を閉じた。
当然、そんな言葉をモリアから頼まれたわけじゃない。
全部、俺が今作った嘘だ。
「……そうですか」
支部長は小さく答えた。
しばらくして、ゆっくりと目を閉じる。
「……承知しました。モリア様の死亡については、こちらから王都へ正式に報告いたします」
「…………」
「あぁ……頼む」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がまた重くなった。
これでもう、後戻りは出来ない。
モリアはこれからノーラとして生きる。
勇者モリアという人間は、ここで死んだことになる。
部屋の隅に控えていたギルド職員がマンティコアの魔核を持ち上げた。
だが、すぐには部屋を出ていかなかった。
「…………」
魔核を抱えたまま俯いている。
よく見ると、その職員も唇を噛み締めていた。
「……すみません」
小さくそう言ってから、ようやく部屋を出ていった。
扉が閉まる。
部屋の中が静かになった。
「…………」
支部長は額を手で押さえ、大きく息を吐いた。
「……この支部では、モリア様の名前を知らない職員など、ほとんどおりません」
「……そんなにか?」
「えぇ」
支部長は俯いたまま頷いた。
「モリア様と、そのお付きだった魔導士様と聖職者様……あのお三方には、何度もこの周辺の街や村を救っていただきました」
「…………」
「危険な討伐依頼が入っても、モリア様が引き受けてくださったと聞けば……皆、ほっとしたものです」
支部長の声が、少し震えた。
「この人たちなら、きっと何とかしてくれる。そう思わせてくれる方々でした」
ポタッ。
何かが木の床へ落ちた。
「……?」
見ると、支部長が俯いたまま泣いていた。
「半年前……お二人を失って、モリア様だけがこの支部へ戻ってきた時も……誰も、何と声をかければいいのか分かりませんでした」
支部長の拳が、小さく震える。
「それでも……生きて帰ってきてくださった」
「…………」
「だから皆、いつかまた……モリア様がこの扉を開けて、以前のように普通に帰ってきてくださる日が来ると、どこかで思っていたんです」
俺は何も言えなかった。
正直、意外だった。
俺が知っているモリアは、愛想がいいわけでもない。
誰にでも気軽に話しかけるような奴でもない。
それでも、この場所では。
あいつがいるというだけで、安心する人間がこんなにもいたらしい。
「……私は、ギルドの管理者です」
支部長は涙を拭うこともせず、続けた。
「AAAランクのモンスターを放置すれば、どれほどの被害が出るかも分かっています。誰かが討伐しなければならないことも……」
「…………」
「今回の討伐で、これから多くの人が救われる。それを喜ばなければならない立場です」
そこで言葉が止まった。
「……ですが」
支部長は唇を噛み締めた。
「私は……マンティコアの討伐報告なんかより……」
涙が、また一滴落ちる。
「もう一度、あの人がこの扉を開けて帰ってくるところを見たかったですよ……」
「…………」
胸の奥が痛んだ。
モリアは生きている。
今頃は、南へ向かう馬車に揺られているはずだ。
なのに、この人たちにとっては。
今この瞬間、本当に一人の英雄を失ったんだ。
「……国から選ばれた勇者だからといって、死ぬまで戦わなければならないのでしょうか」
「…………」
支部長は、膝の上で拳を握りしめた。
「仲間を失って、あれだけの傷を負って。それでも、また戦いに出ていく……」
声を抑えようとしているのか、そこで一度、言葉が途切れた。
「勇者が将来を望んで、一体何が悪いんでしょうか……」
「…………」
俺は何も言えなかった。
この人も、モリアに生きていてほしかったんだ。
俺たちがやったことを知ったら、どう思うんだろうな……。
「……支部長さん」
俺は少し声を落とした。
「気持ちは分かる。けど、そういう話が王都に伝わったら、あんたの立場まで悪くなるんじゃねぇか」
「…………」
支部長はしばらく黙っていた。
やがて、袖で目元を拭う。
「……えぇ。分かっております」
膝の上の拳は、まだ握られたままだった。
「勇者の方々に頼らなければ、この街も守れません。それでも……あの方まで失うとは、思いたくなかったんです」
「……あぁ」
支部長は大きく息を吐いた。
「失礼しました。あなた方も、戦いを終えて戻られたばかりでしたね」
俺は小さく首を振った。
こちらこそ、すみません。
そう言いそうになって、口を閉じた。
すると、部屋の扉が開いた。
「失礼します」
先ほどとは別の女性ギルド職員が入ってくる。
その手には、大きな革袋が握られていた。
職員は俺たちの前まで来ると、それを机の上へ置いた。
「……どうぞ。魔核の買取代金と、マンティコア討伐の報奨金です」
「お、おう……」
革袋を手に取る。
ずしっ、とかなりの重さが腕にかかった。
「……重っ」
中を覗いてみると、金貨が十数枚入っている。
魔核だけでも相当な額になるとは聞いていたが、討伐の報奨金まで入るとこんなになるのかよ……。
そんなことを考えていると、リリアがおずおずと口を開いた。
「あの……ぶしつけなことを聞いてしまうんですが……」
「はい?」
「聖銀の剣の修繕費は……どうなるんでしょうか?」
「あぁ……」
女性職員は一度、支部長へ目を向けた。
支部長は小さく頷く。
「……今回は、請求いたしません」
「え?」
「マンティコアを討伐していただいた功績があります。武器の損失については、こちらで負担いたします」
女性職員が、静かに続けた。
「……剣なら、また作れますから」
「…………」
俺は机の上へ視線を落とした。
その言葉の続きを聞かなくても、言いたいことは分かった。
「……ありがとうございます」
リリアが頭を下げる。
俺も礼を言ってから、もう一つの借り物を思い出した。
「それと……前に別のギルドで借りた大鉈も、戦いで粉々になっちまったんだが」
「お気になさらないでください。そちらも弁償は不要です」
「……いいのか?」
「はい。本来、AAAランクのモンスターに解体用の大鉈で挑むものではありませんから……」
女性職員は静かに続けた。
「今回の功績は、大鉈一本の損失を補って余りあるものです。破損の処理はこちらでしておきます」
「……そうか。ありがとな」
俺たちはもう一度頭を下げ、支部長室をあとにした。
廊下を少し歩いた、その時だった。
――ガシャンッ!!
「っ!?」
支部長室のほうから、何かが壁にぶつかったような大きな音が響いた。
続けて、さっきの女性職員の慌てた声が聞こえてくる。
「支部長っ!! 落ち着いてくださいっ!!」
「…………」
俺たち四人は、思わず顔を見合わせた。
「……行くか」
「……はい」
なんとも言えない空気のまま、俺たちはその場を離れた。
そのままギルドを出る。
外へ出たところで、リリアが振り返りながら小さく呟いた。
「……モリアさん、慕われていたんですね……」
「……みたいだな」
俺が答えると、セシルも珍しく真面目な顔をしていた。
「……滅多にないよ、こんなことって……」
「そうなのか?」
「うん」
すると、ミナも静かに頷く。
「……そうですね。普通は勇者隊なんて、本当に使い捨てだと言われていますからね……」
「…………」
俺はギルドの建物を振り返った。
モリア。
実力がとんでもないのは、嫌というほど分かっていた。
だが……。
「……モリア、実力もさることながら、人望もあったのか……」
俺は小さく呟いた。
その日の夜。
俺たちはアルゼンで宿を取ったあと、夕食を食べるために近くの大衆酒場へやってきた。
店に入ると、酒と料理の匂いが鼻をついた。
冒険者たちの騒がしい声が、あちこちから聞こえてくる。
「四人だ」
「はいよ。そこの端の席使ってくれ」
店員に案内され、俺たちは店の端にあるテーブル席へ腰を下ろした。
俺はメニューを広げながら三人を見る。
「まぁ、今日は報酬もたんまり貰ったし、好きなもん食おうか」
「じゃあ、肉盛り定食でっ!」
「私も」
「お前ら本当にそれ好きだな……」
リリアとセシルは、迷うことなく肉盛り定食を選んだ。
「ミナは?」
「私は日替わり定食にします」
「じゃあ俺もそれでいいや」
注文を済ませて少し待つと、次々と料理が運ばれてきた。
リリアとセシルの前には、相変わらず山盛りの肉。
俺とミナの前には、焼いた魚と野菜、それにスープの付いた日替わり定食が置かれる。
「いただきますっ!」
リリアが早速、肉へ手を伸ばす。
俺も魚をほぐしながら食べ始めた。
「……うん。普通にうまいな」
朝からずっと移動していたこともあって、腹も減っている。
そのまま黙々と飯を食べていた時だった。
隣のほうで酒盛りをしていた冒険者の一人が、突然立ち上がった。
「みんなっ! 聞いてくれっ!」
「ん?」
大きな声に、俺も思わず顔を向ける。
男はかなり酒を飲んでいるらしく、顔が真っ赤になっていた。
手にはまだ酒の入った木製のジョッキを握っている。
「ギルドで聞いたんだが……」
男は酒場の中を見回した。
「あの英雄モリアが、この世を去ったそうだ!」
「…………」
一瞬。
酒場の喧騒が止まった。
「……は?」
「モリアって……あの第25勇者隊の?」
「嘘だろ……?」
すぐに、あちこちから声が上がり始める。
さっきまで騒がしかった酒場が、今度は別の意味でざわつき始めた。
「……モリア様が……?」
酒場のあちこちから、信じられないという声が漏れる。
すると、さっき立ち上がった冒険者の男が、手にしていたジョッキを強く握った。
「……俺はっ!」
男の声が、酒場に響く。
「俺は英雄モリアに憧れていたっ!」
「…………」
「いつか俺も、あの人みたいに強くなりたいって……ずっと思ってた!」
男はそう叫ぶと、ジョッキを高く掲げた。
「英雄モリアにっ!!」
その言葉に、近くにいた別の冒険者も立ち上がった。
「……俺もモリアの力になりたかった……」
別の男も、静かにジョッキを掲げる。
「一度でいいから、一緒に戦ってみたかったよ……」
「俺は昔、助けてもらったことがある」
「……あの人が来てくれた時は、本当に安心したもんな」
ぽつり、ぽつりと声が増えていく。
冒険者だけじゃない。
酒場にいた街の人たちも、手にしていた杯やコップをゆっくりと持ち上げていった。
「……英雄モリアに」
「モリア様に……」
気付けば、酒場にいるほとんどの人間が、杯を掲げていた。
「…………」
そして。
誰からともなく、声が止まった。
さっきまであれだけ騒がしかった酒場が、嘘みたいに静まり返る。
全員が杯を掲げたまま、黙って目を閉じていた。
モリアのために。
「…………」
俺も箸を置いた。
リリアも。
セシルも。
ミナも。
誰も何も言わなかった。
俺たちだけが知っている。
モリアは死んでいない。
今頃は、ノーラとして南へ向かっている。
それでも。
この街にとって、英雄モリアは本当に死んだんだ。
俺は黙って、目の前の水の入ったコップを持ち上げた。
「…………」
短い黙祷が終わるまで。
誰一人、杯を下ろさなかった。
そのまま俺たちは、なんとも言えない空気のまま食事を終えた。
いつもなら、リリアとセシルがまだ何か追加で頼むところだが、今日は誰もそんなことを言わなかった。
店を出る頃には、酒場も少しずついつもの騒がしさを取り戻していた。
俺たちはそのまま宿へ戻った。
部屋に入ると、リリアがベッドの端へ腰を下ろす。
しばらく俯いていたが、やがて小さく口を開いた。
「……本当に、モリアさんを死んだことにして良かったんでしょうか……」
「…………」
俺もすぐには答えられなかった。
支部長も、職員たちも、酒場にいた連中も。
あそこまで悲しむとは、思っていなかった。
「……どうなんだろうな」
俺は頭を掻いた。
「正直、俺にも分からん」
「私も、モリアさんには生きていてほしいです。でも……」
リリアは自分の膝へ視線を落とした。
「あの人たちには、ずっと死んだと思わせるんですよね」
「あぁ……」
「それが、ちょっと辛いです」
すると、壁にもたれていたセシルが口を開いた。
「……でも、本当に死んだら、もう会えない」
リリアが顔を上げる。
「生きてれば、また会えるかもしれない。いつか、本当のことを話せるかもしれないし」
「…………」
「私は、そっちがいい」
リリアはしばらくセシルを見ていたが、やがて小さく頷いた。
「……それは、私も」
「俺だって、あんな人たちを騙したかったわけじゃねぇよ」
俺はベッドの端へ腰を下ろした。
「ただ、力を失ったモリアを、また一人で任務に戻すのは嫌だった」
「…………」
「あのまま無茶を続けて、今度こそ本当に死んだら……俺は、そのほうが耐えられねぇ」
誰も、すぐには何も言わなかった。
やがてミナが、小さく息を吐く。
「……私たちだけで決めたことではありませんよ」
「ミナ……?」
「モリアさんも、ノーラとして暮らすことを選んだんです」
ミナはリリアを見た。
「まずは、その選択を大切にしたいです。せっかく休めるところまで来たんですから」
「……そうですね」
「ただ……あの人たちに本当のことを話せないのは、私も辛いです」
リリアが小さく頷いた。
俺も、何も言えなかった。
モリアは生きている。
今頃は、南へ向かう馬車に揺られているはずだ。
それでも、あの支部長の泣いていた顔は、なかなか頭から離れなかった。
「……とりあえず、この街での依頼は終わりだろ」
「そうですね……」
「このまま北に行くとして、次の街ってどこだ?」
俺が尋ねると、リリアは少し考えてから答えた。
「ここから北なら、次はハルゼンですね」
「ハルゼンか……」
聞いたことのない街だ。
「じゃあ、明日はそこに向かおうか。リリアの腕もあるし、ゆっくり行こう」
「……はい」
リリアは吊っている左腕へ目を向けてから、頷いた。
セシルも壁から背中を離す。
「私も賛成」
「……そうしましょう」
ミナが続けた。
「少し、ここを離れたいです。今日みたいな話を聞き続けるのは……」
「……だな」
俺は小さく息を吐いた。
街を離れたところで、あの人たちを騙したことが消えるわけじゃない。
だが、ここに残って何を言えるわけでもなかった。
こうして俺たちは、翌朝、次の街――ハルゼンへ向かうことに決めた。




