第89話:モリアの行き先
モリアが興味深そうに俺へ尋ねてきた。
「……それは、以前に言っていた、偽名を使ってどこかの田舎で暮らすという話か?」
「あぁ、そうだ」
モリアはやれやれとでも言いたげに首を振った。
「だが、死んだことにすると言っても、そう簡単な話ではあるまい。それに、こんな怪しい女をどこの村が迎え入れて匿ってくれるんだ? 第一、王都からの役人の見回りを、ずっと避けられるわけでもあるまい」
「まぁ、それは……」
俺が答えるより先に、リリアが小さく首を傾げた。
「……王都からの役人でも来られないような村……」
その隣で、セシルも何かを思い出そうとするように天を仰ぐ。
「……どこかに、そんな村があったような……」
二人の視線が、ゆっくりと俺へ向いた。
ミナがポンと手を叩く。
「あっ……! カイルさんの故郷じゃないですかっ!?」
モリアが疑うように眉をひそめた。
「王都からの役人が来られない……そんな村が本当にあるのか?」
「来ない……っていうより、行けないと言いますか……」
リリアが気まずそうに苦笑する。
セシルも隣でこくりと頷いた。
「あの辺の街には、Bランク冒険者くらいしかいないから……護衛をつけても、カイルの村に着く前に死ぬかも」
「…………」
二人の話を聞き、モリアの表情がますます怪訝なものに変わっていく。
「一体、どんな村なんだ……カイルの故郷は……」
「いやぁ……慣れると快適なんだがな。多少デカい獣が出てくるくらいで」
「ブラックボアがぽんぽん出没して、野兎の代わりにホーンラビットが出るところが……ですか?」
ミナがぼそっと呟いた。
モリアの肩から、すっと力が抜ける。
「……なんだ、その終末的な村は……」
完全に呆れていた。
(……やっぱ俺の村、おかしいってよ……村長……ザック……)
モリアは、俺の顔を見なかったことにするように咳払いをした。
「だが、仮にそこまで辿り着けたとして……私のような女を、本当に受け入れてもらえるのか?」
「ラウムに着いたら、俺の名前を出してザックって奴を頼ってくれ」
「ザック?」
「あぁ。俺の兄貴分みたいな奴だ。あいつなら事情を聞けば、受け入れてどうにかしてくれるはずだ」
ザックなら、俺が事情もなくこんな頼み事をするとは思わないだろう。
少なくとも、いきなりモリアを追い返したりはしないはずだ。
「……随分と信頼しているんだな」
「まぁな。ガキの頃から世話になってるから」
モリアは少しだけ考え込む。
「……しかし、今の私には片腕しかない。勇者としての力も失った。村で何か役に立てるとも思えんが」
「着いた途端に働けなんて言わねぇって」
俺は思わず苦笑した。
「まずは身体を休めろよ。その先のことは、ザックと相談すりゃいい」
「……そうか」
モリアは小さく頷いた。
「もし本当に、死んだことに出来るのなら……悪くないかもしれんな」
どうやら、少しはその気になってくれたらしい。
そんなモリアを見ていたリリアが、何かに気づいたように目を見開いた。
「……あれ?」
「ん?」
「もし……本当にモリアさんがそれで勇者を辞められるなら……」
リリアは俺たちの顔を順番に見た。
「私たちも……同じようにすれば、勇者を辞められたりするんでしょうか……?」
「……リリア?」
ミナが少し驚いたように名前を呼ぶ。
だが、リリアは何かを思いついた子供みたいに、少しずつ表情を明るくしていった。
「だって、もしみんなで名前を変えてラウム村に行けたら……もう戦わなくてもいいんですよね?」
そして、ちらりと俺を見る。
「カイルさんも、いつかは村に戻るんですよね?」
「そりゃ、あそこは俺の故郷だしな。畑だって残してある」
「……だったら」
リリアは少しだけ嬉しそうに笑った。
「みんなで一緒に暮らせたら……それも楽しそうだなって」
「…………」
セシルが少し考えるように首を傾げた。
「……リリアたちと一緒なら、別に悪くはないかも」
「本当っ?」
「うん。あの村も嫌いじゃないし」
そこまで言うと、セシルは少しだけ眉を下げた。
「でも……ずっと街に遊びに行けないのは、ちょっと嫌」
「えっ」
「お洒落もしたいし、美味しいものも食べに行きたい」
「……それは、私もしたいけど……」
「でしょ?」
リリアの勢いが少しだけ弱くなる。
今度は二人の視線がミナへ向いた。
「ミナは?」
「私も、みんなと一緒に暮らすこと自体は嫌じゃありませんよ」
「じゃあ――」
「でも、それと名前を変えて逃げ続ける生活は別です」
リリアの言葉が止まった。
「……そうなの?」
「はい」
ミナは少し困ったように笑った。
「名前を変えれば、それで全部終わるわけじゃありませんから」
リリアはしばらく黙ると、今度はモリアへ視線を向けた。
「……モリアさんは、それでもいいんですか?」
「何がだ?」
「あの村に行ったら、自由に街へ遊びに行くことも難しくなりますよ。お洒落だって、買い物だって……」
「…………」
モリアは少しだけ考え込んだ。
「……カイルには、少し話したんだがな」
そこで一度、言葉を切る。
「私は正直……生きてこの山を下りることになるとは思っていなかった」
「モリアさん……」
「婚約者と義弟の仇は討てた。それだけで、今の私は十分なんだ」
モリアは静かに笑った。
「この先に何をしたいのかも、まだ分からん。だから今は、街へ遊びに行けないと言われても……さほど困らないのさ」
さっきまで明るかったリリアの表情が、少しだけ曇った。
俺はそんなモリアを見ながら、口を開く。
「だから俺は、こいつにはラウム村に行ってほしいんだよ」
「カイルさん……?」
「モリアの性格だ。放っておいたら、勇者の力を失っても無理やり任務を続けるだろ」
「…………」
モリアは何も言わない。
「そのうち、死に場所でも探すみたいに無茶を続けて……今度こそ本当に死ぬ」
俺はモリアへ視線を向けた。
「俺はそんなの嫌なんだよ」
「……お前は」
モリアが少し困ったように笑う。
「随分と勝手なことを言うな」
「ほっとけ」
「だが……」
モリアは少しだけ目を伏せた。
「悪くはない」
そして、小さく息を吐く。
「カイルが、あとは平穏に過ごせと言うなら……しばらく、その言葉に甘えるのも悪くないかもしれんな」
「最初からそう言やいいんだ」
「簡単に言うな。世話になる側にも、多少は気を遣うんだぞ」
そう言い返すモリアの顔に、僅かにいつもの調子が戻っていた。
そこでミナが、少し言いづらそうに口を開いた。
「……モリアさんを匿うことだって、本当はかなり危ない話なんですよ」
「……やっぱりそうなのか?」
「当然です」
ミナは小さく息を吐いた。
「もし生きていることが知られたら、モリアさんだけの問題では済みません。カイルさんの村にも迷惑がかかる可能性があります」
「…………」
「だから私は、簡単に賛成とは言えません」
ミナはそこで一度モリアを見た。
「でも……まずモリアさんを、勇者の任務から離す必要があると思います」
「……私を?」
「はい。このまま一人で戻したら、また無茶をするでしょうから」
「……否定はできんな」
「ですよね……」
ミナが困ったように眉を下げた。
「だからモリアさんの件は、まず安全に休める場所を作ることを優先したいです」
そして、今度はリリアへ向き直る。
「でも、リリアたちは違います」
「……私たちは?」
「まだ他の方法を探せます」
リリアは黙ってミナを見る。
「名前を変えて何十年も見つからないように暮らすなんて、本当に平穏な生活だと思いますか?」
「…………」
「もし見つかったら、リリアたちだけじゃありません。カイルさんも、村の人たちも巻き込むことになります」
リリアは一度俺を見て、それから俯いた。
隣でセシルも考え込むように口を閉じている。
「……私も、それは嫌」
セシルがぽつりと呟いた。
「みんなと暮らすのはいい。でも、いつ追っ手が来るか気にして暮らすのは嫌」
「……そう、だよね」
リリアの声が小さくなった。
「私は……逃げることより、ちゃんと終わらせる方法を探したいです」
ミナが静かに続ける。
「時間はかかるかもしれません。でも、勇者として功績を積んでいけば、任務を離れられる道だって見つかるかもしれません」
「……そんな方法、本当にあるのかな?」
「分かりません」
ミナは素直にそう答えた。
「でも、四魔将を倒す以外にも大きな功績を作る方法はあると思います。魔王軍について重要な情報を持ち帰るとか……」
そこで少しだけ笑う。
「数年かかったとしても、私はそっちを探したいです。そのほうが、あとで本当に安心して暮らせますから」
「…………」
リリアはしばらく黙っていた。
「……そっか」
やがて、少しだけ笑った。
「ミナは、ちゃんと先のことまで考えてたんだね」
「リリアが喜ぶの早すぎるんですよ」
「うっ……」
「リリアらしい」
セシルがぼそっと呟く。
「セシルまでっ!」
少しだけ、いつもの空気が戻った。
俺もミナの話はもっともだと思う。
モリアには、今のまま任務を続けさせたくない。
だが、リリアたちまで今すぐ逃げる必要はない。
「まぁ、そっちはそっちで方法を探せばいいだろ」
俺がそう言うと、リリアは少しだけ考え込んだあと、小さく頷いた。
「……そうですね」
そのやり取りを見ていたモリアも、ふっと小さく笑う。
「お前たちは、私と同じ道を選ぶ必要はないさ」
「……モリアさん」
「私はもう、戦う理由をほとんど失った。だが、お前たちにはまだ先がある」
モリアはリリアたちを見渡した。
「今から全部捨てて、私に付き合う必要などない」
リリアはモリアを見つめ、やがて小さく頷いた。
「……はい」
その後、ミナの治療が一通り終わったところで、俺たちはしばらくその場で休むことにした。
さすがに今すぐ動き出せるような奴は、一人もいなかった。
俺も岩に背中を預け、そのまま空を見上げる。
「……疲れた……」
「同感だ……」
すぐ隣では、モリアも地面に座り込んでいた。
「お前でも疲れるんだな」
「誰のせいだと思っている」
「マンティコアじゃね?」
「……まぁ、そうだな」
そんなくだらないやり取りをしながら、身体が動く程度まで休んだ。
さて、そろそろ山を下りようかと思ったところで、俺は転がっているマンティコアの死体へ目を向けた。
「……あ、そういや魔核」
危うく忘れて帰るところだった。
あれだけ苦労して倒した奴だ。
さすがに魔核まで山に置いて帰る気にはならない。
俺は重い身体を引きずるようにマンティコアの死体へ近づくと、どうにか魔核を回収した。
「……しかし、これ一体いくらになるんだろうな」
「今は査定額より、無事に山を下りることを考えてください……」
後ろからミナに呆れた声で言われた。
「へいへい」
俺は回収した魔核をしまうと、ついでにモリアの足元に転がっていた折れた聖銀の剣も拾い上げた。
それから、俺たちはゆっくりと山を下り始める。
当然、いつものような速度では進めない。
リリアは左腕を吊ったまま。
セシルもまだ顔色が悪い。
モリアに至っては、少し歩くたびに呼吸が荒くなる。
「……肩、貸そうか?」
「いらん」
「強がるなって」
「強がってなど……」
言い終わるより先に、モリアの足がふらついた。
「ほら見ろ」
「…………」
仕方なく、モリアは俺の肩へ身体を預けた。
「……世話になるな」
「今さらだろ」
後ろから、ミナの声が飛んでくる。
「カイルさんも無理しないでくださいね。あなたもほとんど魔力が残ってないんですから」
「分かってるって」
「さっきから、その言葉が一番信用できないんですよ……」
何も言い返せなかった。
山道を進みながら、時々モリアの様子を見る。
さっきまであれだけ暴れていた女とは思えないくらい、今は大人しい。
その表情は、マンティコアと戦う前より少しだけ穏やかに見えた。
仇は討った。
勇者としての力も失った。
これから先、どうなるかなんて俺にも分からない。
それでも、死ぬ場所を探すように戦い続けるよりは、ずっといい。
しばらくして、木々の隙間から山の麓が見えてきた。
「……見えましたっ!」
先を歩いていたリリアが声を上げる。
視線の先には、小さな村があった。
煙突からは細い煙が上がり、夕暮れの中、家々には少しずつ明かりが灯り始めている。
「やっと着いたか……」
思わず息を吐いた。
山を下り切る頃には、全員ほとんど口を開かなくなっていた。
そして日が沈みきる少し前。
俺たちはようやく、山の近くにある小さな村へと辿り着いた。




