第88話:燃えた勇者の才能
地面に落ちたマンティコアの首。
その瞳からは、完全に生気が失われていた。
俺の手には、奴の首を斬り落とした際に折れた聖銀の剣が握られている。
「はぁっ! はぁっ!! ……どうだよ、バケモンがっ……うっ……」
自然と握っていた手から力が抜け、折れた聖銀の剣を手放した。
ガランッ!
乾いた音が鳴り響く。
地面に落ちた聖銀の剣は、そのままモリアの足元まで転がっていった。
俺は荒い息を吐きながら、ゆっくりと視線を上げる。
そこには、憑き物が落ちたかのような穏やかな笑顔を浮かべるモリアがいた。
「……やったな、カイ……ル」
その直後。
モリアの身体が、ぐらっと傾いた。
「モリッ……ぐっ……!!」
咄嗟にモリアを支えようと左手を伸ばそうとしたが、強烈な眩暈に襲われる。
視界がぐにゃりと歪んだ。
ドサッ!
目の前で、モリアが地面へ倒れ込む。
俺も倒れまいと必死に足へ力を込めた。
だが、膝はガクガクと震え、その場に立っているだけで精いっぱいだった。
「はぁっ、はぁっ……! これが魔力切れってやつかよ……」
ふいに横を向く。
リリアはミナの肩を借りながら、どうにか気を失って倒れているセシルのところまで歩いていた。
(……こんな状態で、何度もリリアは立ち上がってたんだな……)
あいつも十分、無茶苦茶だ。
(……凄いやつだよ、ほんと……)
俺はリリアから視線を外すと、倒れているモリアのところまでゆっくりと歩き、その場に膝をついた。
「……おい、モリア……死んでねぇだろうな?」
軽口を叩きながら返事を待つ。
だが。
「…………」
いつまで待っても、モリアから返事はない。
「……っっ!!! おいっ!! モリアッ!!! モリアッ!!!!」
俺は動揺し、モリアの身体を仰向けにして揺さぶった。
「返事をしろっ!! モリアッ!!」
返事はない。
砕けた防具の隙間から見える身体は傷だらけで、服も血で赤黒く染まっている。
口元にも、乾ききっていない血が残っていた。
「……おい……嘘だろ……?」
強烈な焦燥感に駆られ、自然と声が大きくなっていく。
「起きろっ!! 起きろよっ!!! まだ人生こっからだろ!!! これから失った人生取り戻すんだろっ!!!」
それでもモリアは動かない。
「……くそっ!」
ぶるぶると震える右手を握り込む。
そのままモリアの顔の横の地面へ、八つ当たりするように拳を叩きつけた。
ドンッ!!
「まだそっち行くんじゃねぇよっ!! 二人だって、まだお前に来て欲しくねぇだろっ!!! なぁっ!!!」
俺はミナのほうを振り向き、大声を上げた。
「ミナッッ!!! 治癒魔法はまだ使えるかっ!?」
ミナは目を覚ましたセシルを起こし、介抱していた。
俺の声に、ビクッとミナの肩が跳ね上がる。
「は、はいっ!!」
「モリアを頼むっ!! このままじゃ――」
その時だった。
俺の頬に、誰かの手が触れた。
「……少しは寝かせろ……。あと、勝手に殺すな……」
「……え?」
その手は、モリアのものだった。
モリアは苦笑を浮かべながら、俺を見つめていた。
「……モリア……」
張り詰めていたものが、一気に抜ける。
「……無事……なんだよな?」
モリアがゆっくりと上半身を起こす。
「……無事といえば、無事ではあるがな……」
そう言うと、モリアは自分の手へ視線を落とした。
何度か指を握り込む。
そのたびに、表情が僅かに曇っていった。
俺は恐る恐る聞いた。
「……どういう意味だよ……」
モリアは少しの間、自分の手を見つめていたが、やがて諦めたように苦笑した。
「……私を勇者たらしめた魔力は、どうやら失われたか……少なくとも、当面の間は発現しないようだ……」
「……は?」
その言葉を聞いたリリアが、左腕を押さえながら、ミナに身体を支えられて俺たちのほうへ近づいてくる。
その一歩後ろからは、セシルも疲れ切った表情を浮かべながら、ゆっくりとついてきていた。
ミナはリリアを俺のそばへ座らせると、今度はすぐにモリアの横へ膝をついた。
淡い光が傷だらけの身体を包み、モリアが小さく息を吐く。
「……それって……勇者……いえ、正確には魔剣士特有のスキルが使えなくなった……ということですか?」
モリアは静かに頷いた。
「……魔剣士特有のスキル……?」
初めて聞く言葉に戸惑った。
「……すまん、魔剣士? お前ら、勇者なんだよな……??」
俺の言葉を聞いたモリアは、どう説明したもんか、といったような顔をした。
「勇者というのは、王都側が一般人や他の冒険者にも分かりやすいようにつけた呼び名に過ぎない」
「……呼び名?」
「ああ。これまで何十人もの勇者が選ばれてきた。それでも未だに、四魔将と呼ばれる存在を一人も倒せていない」
「……ああ」
言われてみれば、確かにそうだ。
俺が思っていた勇者とは、随分違うらしい。
「なるほどな……」
ようやく少し、腑に落ちた。
続いてリリアが俺に話しかけてきた。
「私の白金色の魔力の特性はスピードです。エリオさんは雷。モリアさんは炎ですね」
そこまで言われて、ようやく俺は理解できた。
「……なるほど。自分の得意分野を剣として発現させるようなもんか」
モリアは頷いた。
「……まぁ、そういうものだ。色々説明すると長くなるしな」
俺はそこまで聞いて、ようやく事の重大さが理解できた。
「……ってことは、さっきの話からすると……モリアはもう聖剣を使えないってことか……?」
モリアは静かに頷く。
「あぁ……。付け加えると、聖剣……まぁ、実際には魔導剣なんだが、あれを発現させた際に付与される特殊強化と身体強化も使えなくなった」
「……マジかよ」
あれだけの強さを支えていたものが、まとめて消えたってことか。
そこでモリアは、自虐的に笑った。
笑ってはいたが、その声にはいつもの力がなかった。
「ふっ……つまり今の私は、大した魔力も持たん、ただの剣士といったところだな」
だが、俺は自然と安堵して、モリアの手をそっと握りしめた。
モリアが少しだけ驚いたように俺を見る。
「でもよ……燃えたのが命じゃなくて良かったよ……ほんと……」
その言葉に、モリアの顔がゆっくりと綻んだ。
「そうだな……心配をかけたな、カイル」
そう言って、モリアは俺に優しく微笑んだ。
その笑顔を見て、ようやく少しだけ肩の力が抜けた。
そして、リリアたちのほうへ視線を向ける。
左腕を押さえるリリア。
その身体を支えるミナ。
さらに一歩後ろには、疲れ切った表情のセシルがいる。
その姿を見渡したモリアは、思わず苦笑した。
「だが……どうやら、一番心配をかけたのはお前のようだな」
モリアにそう言われ、俺が顔を上げる。
そこには、真剣な表情で俺を見つめるリリアと、怖いくらい黙ったまま俺を見下ろすセシルの姿があった。
「……カイル、魔力……ほとんど残ってない」
セシルが俺の前にしゃがみ込み、そっと頬に触れる。
頬に触れた指先が、ほんの少しだけ震えていた。
そして、少しだけ寂しそうに笑った。
「……また、無理させちゃったね……」
俺は頬に触れるセシルの手へ、そっと自分の手を重ねた。
「……いいんだよ。お前らが生きてて、本当に良かった」
そう言って、俺は転がっているマンティコアの死体へ目を向ける。
……本当に強かった。
素の身体の強度だけなら、サイクロプスのほうが上だったのかもしれない。
だが、魔力による硬質化や身体強化。
挙げ句には、戦いながら即席で魔法まで使えるようになる器用さ。
どこか一歩間違えていれば、誰かが死んでいただろう。
そう考えていると、リリアの声が聞こえた。
「……私、もっと強くなりますから……」
俺が振り向くと、リリアは真っ直ぐ俺を見ていた。
「もっと強くなって……カイルさんや、みんなを守れるくらい強くなります」
いつものような勢いはない。
それでも、その声だけは妙にはっきりしていた。
俺はその言葉を聞いて、自然と笑みが零れた。
「そうか……そうだな。じゃあ、俺も負けないくらい頑張らないとな……。女の子に守られるなんて、ガラじゃねぇし」
リリアが思わず声を上げた。
「……もうっ! 今でも十分すぎるほど強いじゃないですか!?」
俺はそんなリリアの抗議の声を笑って聞き流しつつ、目の前のモリアへ視線を戻した。
「……そんで、これからどうするんだ?」
勇者の聖剣スキルが封じられたモリアでも、そんじょそこらのモンスターには引けを取らないだろう。
……だが、あの爆発的な威力とスピードを失った彼女を、この先も旅に連れていって大丈夫なのだろうか?
北へ向かえば向かうほど、モンスターの脅威は上がっている。
ちとデカいだけの猪や、狂暴なだけの鹿どもとはもう比べ物にならない。
俺の質問の意味を汲み取ったのか、モリアはゆっくりと視線を落とした。
「……そうだな。もうこれ以上、北には進めないだろう」
少し間を置いて、モリアは寂しそうに笑った。
「お前たちの旅も、楽しそうだと思ったんだがな……」
リリアも寂しそうに呟いた。
「モリアさん……」
だが、モリアはすぐに表情を元へ戻した。
「だが、致し方あるまい。南のほうへ戻って、低ランクモンスターの排除でも続けるさ……」
口調も表情も、いつものモリアと変わらない。
けれど、その瞳にはどこか生気が感じられなかった。
(……こんな状態のこいつを、一人にしてもいいのか……?)
聖剣スキルも使えない。
おそらく王都から新しく派遣される魔導士や聖職者も、モリアは受け入れないだろう。
そんな状態で今まで通り王都からの任務を受け続ければ、いつかどこかで――。
失意のまま、命を落とすんじゃないだろうか。
「なぁ、ミナ」
モリアへの治癒を終えたミナは、今度はリリアの左腕に包帯を巻き、肩から吊るせるよう処置していた。
急に名前を呼ばれ、ミナが振り返る。
「はい、どうされました?」
「……これから俺が言うことは、耳を塞いでて欲しいんだ」
ミナはその言葉を聞くと、露骨に気まずそうな顔をした。
「……教会機関に所属してる私にそれを言うって、何か変なこと考えてませんか……?」
……まぁ、そうなるよな。
勇者や魔導士を助ける随行治癒士。
それと同時に、勇者の監視役でもあるミナに「聞かなかったことにしてくれ」と頼む内容なんて、もちろん――。
俺は一度、モリアへ視線を向けた。
モリアは何も聞かず、ただ続きを待つように俺を見ている。
「……モリアは、ここで死んだことにする」
「「「……えぇ!?」」」
リリアたちが揃って目を丸くする。
そんな中、モリアだけは驚くでもなく、興味深そうに俺を見つめていた。




