第86話:化け物同士
俺は目の前のマンティコアを睨みつけていた。
全身を切り刻まれ、血まみれになっているというのに、一向に闘志が衰えた様子はない。
どす黒い魔素が奴の周囲を駆け巡り、硬質化している毛皮は、さらに硬度を増しているように見えた。
俺の後ろから、苦しそうな呼吸が聞こえてくる。
「はぁ……はぁ……カ……イル……さん……」
リリアは剣を地面に突き立て、どうにか身体を支えていた。
俺は振り返らずに声をかける。
「もう魔力も空っぽだろ? ここは大人しく俺に任せておきな」
その時だった。
マンティコアが天を見上げる。
「グォォォォォォッ!!!」
凄まじい雄叫びが辺りに響き渡った。
奴の身体の周囲を駆け巡っていた魔素が、一気にその身体へ収束していく。
毛皮が、さらにどす黒く染まっていった。
「……まさか……」
後ろから聞こえたリリアの声が震えた。
「カイルさんっ!! モリアさんと二人を抱えて逃げてくださいっ!」
「そんなこと出来るわけねぇだろっ! いいから、ここは俺に任せておけ!!」
「ダメですっ!」
リリアは一歩も引かなかった。
「今の奴は明らかに異常です!! もしかしたら、変異が終わりつつあるかもしれないっ!」
変異が終わる……。
つまり、元からAAAランクだった化け物が、Sランクの正真正銘の化け物になるってことか……。
俺はゆっくりと息を吐いた。
「……だから、どうしろってんだ……」
「え……?」
「満身創痍のお前に残ってる手段なんて、命を燃やす聖剣くらいしかねぇだろ……」
「っ……!」
リリアが、ひゅっと息を吸った。
図星か……。
だが、次に聞こえてきた声には、はっきりとした覚悟が籠もっていた。
「……それが勇者の役目です。仲間を生かすためなら、自分の命はどうなっても……」
俺は今にも飛び掛かってきそうなマンティコアを睨んだまま答える。
「俺は、そんなもんが本当の勇者の在り方だなんて思わねぇよ」
「……っ」
「遺されたほうは、どうするつもりだ」
その瞬間、モリアのあの寂しそうな顔が頭をよぎった。
「っ! でも、こんな状況でどうしろっていうんですか!?」
張り裂けんばかりのリリアの叫びが響く。
「足掻くんだよ。死ぬ気で」
俺はそう言いながら、右拳をありったけの力で握り込んだ。
……大丈夫だ。
怖くねぇ。
「足掻いたって、どうにかなる相手ですか!?」
リリアが絶望したように声を上げる。
……本当に怖いのは。
「俺はリリアに死んでほしくない」
「……カイルさん……?」
「どうにかなる相手じゃなくても、俺がどうにかする。リリアがこの先、普通の幸せな暮らしを出来るってんなら……」
俺は地面を蹴った。
「カイルさんっ!!」
後ろからリリアの叫び声が響く。
俺はもう、マンティコアしか見ていなかった。
俺は前世で一回死んでる。
前世でどう生きたのか。
楽しかったのか。
そんな記憶はほとんど残っちゃいない。
それでも、少なくとも今のこいつらが置かれてる状況よりは、遥かにマシだったはずだ。
リリアたちは、まだ戦いのない暮らしすら経験してない。
それなら――
「おらぁぁぁぁぁっ!!」
俺はマンティコアの顔面を、全力で殴りつけた。
ズガンッ!!
「グォッ!!」
マンティコアの頭が大きく揺れる。
直後、奴の前足が俺目掛けて薙ぎ払われた。
だが、俺は避けようとすらしなかった。
もう、覚悟は決まっていた。
「カイルさんっっっ!!!!!!」
リリアの絶叫が響く。
ズブッ!!
「ぐっ……!」
マンティコアの爪が、俺の脇腹へ深々と突き刺さった。
痛い。
当然だ。
腹にあんなもんが突き刺さってるんだから、痛くないわけがない。
なのに……。
妙に、その痛みが遠く感じた。
……なんだよ。
ロックベアと戦った時の再現みてぇじゃねぇか。
「……ここからは、化け物同士のラストバトルと洒落こもうや」
赤黒く変色した右腕から、さらに濃い煙が立ち上る。
血管が浮き上がり、筋肉が膨れ、指まで一回り太くなっていく。
もう、これを見て人間の腕だと思う奴はいないだろう。
俺はその右手で、マンティコアの頬を掴んだ。
「うおぉぉぉっ!!」
そのまま、力任せに握り込む。
ブチブチブチッ!!
硬質化した毛皮ごと、奴の頬肉を抉り取った。
「グォォォォォォッ!!!」
マンティコアの絶叫が轟く。
俺はそのまま、さっきまで使い物にならなかった左腕で、脇腹に突き刺さった爪を握り込んだ。
「……っ!」
力を込める。
ボキボキボキッ!!
マンティコアの爪が砕けた。
そのまま左腕を振り上げる。
「おらぁっ!!」
ズドンッ!!
拳が奴の頭蓋を殴りつけた。
マンティコアの頭が大きく沈み、その頭蓋がわずかに凹む。
俺は脇腹に残った爪の欠片を掴み、そのまま引き抜いた。
ブシュッ!!
血が噴き出す。
「…………」
そこで俺は気付いた。
左腕もだ。
右腕だけじゃない。
左腕も赤黒く変色し、すでに人間のものとは思えないほど膨れ上がっていた。
「グルルルル……!」
マンティコアの身体から、再び大量の魔素が噴き出す。
凹んだ頭蓋が、見る見るうちに元へ戻っていく。
凄まじい速さだ。
だが。
それは、俺も同じだった。
爪の欠片を引き抜いた脇腹の傷が、すでに塞がり始めている。
流れていた血も止まっていく。
痛みも、さっきよりさらに薄れていた。
怖さもない。
むしろ。
身体の奥が、妙に熱い。
俺はそのまま、全力で奴を殴りつけた。
ズガンッ!!
「グォッ!!」
マンティコアの頭が大きく揺れる。
だが、奴も負けじと前足を振り抜いてきた。
ドゴッ!!
「ぐっ……!」
肩口にまともに食らい、身体が横へ流される。
俺は踏ん張ると、そのまま奴の前足を掴んだ。
「おらぁっ!!」
引き寄せる。
体勢を崩したところへ、拳を二発叩き込んだ。
ズガンッ!!
ドゴッ!!
「グォォッ!!」
一発殴られたら、二発で返す。
二発ぶん殴られたら、四発で返す。
奴が爪を振るえば腕で受け、その隙に懐へ潜り込む。
腹へ拳を叩き込み、仰け反ったところへ顎を殴り上げる。
だが、奴も俺を押し潰すように前足を振り下ろしてきた。
ズドンッ!!
「がっ……!」
頭の中が真っ赤に染まる。
膝が落ちかける。
それでも地面を踏みしめ、無理やり身体を起こした。
殴られる。
傷つく。
それなのに、さっきまであったはずの恐怖が、どんどん薄れていく。
意識を保とうとすればするほど、傷口が熱を持ち、肉体の再生も加速していった。
奴も同じだった。
俺の拳を受けるたび、その衝撃でリリアたちがつけた傷が次々と開いていく。
肩。
胸。
前足。
傷口から大量の血が噴き出す。
だが、そのたびにどす黒い魔素が集まり、無理やり傷を塞いでいった。
気付けば、拳を叩き込むたびに身体の奥から妙な高揚感が湧き上がっていた。
「我慢比べだなぁ!! 化け物がぁぁぁっ!!!」
俺は奴の前足を払い除け、大きく右腕を振り上げた。
「おらぁぁぁっ!!」
そのまま頭へ全力で拳を叩き下ろす。
ズドンッ!!
マンティコアの頭蓋が大きく凹んだ。
だが、次の瞬間には凹んだ部分へ魔素の光が集まり、見る見るうちに元へ戻っていく。
……頭だ。
頭を潰せ。
ふと、エリオの言葉が脳裏をよぎった。
……そうか。
お互い、頭を潰さねぇと終わらねぇってことかっ!
俺はもう一度、拳を振り上げた。
だが、その瞬間だった。
「グォォォォォッ!!!」
マンティコアの全身を覆っていた魔素が、一気に片方の前足へ集まった。
「っ!?」
速いっ!
反応しきれない。
俺は咄嗟に左腕を上げた。
ドゴォォォンッ!!!
「ガッ!?」
ガードした左腕ごと、身体が大きく吹き飛ばされる。
そのまま背中から石壁へ叩きつけられた。
ズガァァンッ!!
衝撃で石壁の一部が崩れ落ちる。
「……ぐっ……」
瓦礫を押し退けながら、俺は身体を起こした。
「…………?」
左腕を見る。
あり得ない方向に曲がっていた。
「カイルさんっ!!!! もう逃げましょう!!!」
リリアの緊迫した叫び声が聞こえる。
「…………」
聞こえてる。
リリアが叫んでるのもわかる。
なのに。
何を言ってるんだ……?
言葉の意味だけが、妙に頭へ入ってこない。
俺は黙ったまま、折れ曲がった左腕へ魔力を集中させた。
ボギッ!
ボキボキボギッ!!
嫌な音が左腕から響く。
曲がっていた骨が動き、肉が盛り上がり、無理やり元の位置へ戻っていく。
普通なら、見てるだけでも吐き気がしそうな光景だ。
なのに。
何も感じない。
ただ、腕が治った。
それだけだった。
「…………」
音が鳴り終わった頃には、折れていた左腕は元通りに繋がっていた。
だが。
腕が治るのと同時に、俺の中で何かが壊れていくのを感じた。
「……くはっ」
自然と笑い声が漏れた。
「くはははっ!! いいねいいねっ!! 最高じゃねぇかっ!!」
俺は再び地面を蹴り、奴へ向かって駆け出した。
「……っ!」
マンティコアが、一瞬だけ怯んだような表情を見せる。
知るかよ。
俺はそのまま奴の顔面を殴りつけた。
ズガンッ!!
「どうした化け物!! びびっちまったか!?」
続けて二発、三発と拳を叩き込む。
ドゴッ!!
ズガンッ!!
「グォォッ!!」
その時、不意にあの夢の男の言葉が頭をよぎった。
(残念だな……魔王を討つ切り札になれるかと思ったが)
……そうだな。
確かに、人間のままじゃ無理だろう。
こいつより遥かに強いであろう魔王なんて、俺じゃ太刀打ちできねぇ。
人間のままじゃな……。
自然と口元が歪んだ。
「わりぃなっ!! 夢物語の英雄様じゃなくてよぉ!!」
俺はもう一度、マンティコアを殴りつけた。
ズガンッ!!
奴もすぐさま反撃してくる。
鋭い爪が俺の腹へ突き刺さり、そのまま肉を抉った。
「ぐっ……!」
だが、構うもんか。
痛みなんて、もうほとんど気にならない。
俺は腹を抉られたまま、奴の前足目掛けて拳を振り下ろした。
ドゴォンッ!!
ビギギギッ!!
硬質化した表面に亀裂が走る。
「グォッ!?」
そのまま拳を押し込むと、亀裂の隙間から血が噴き出した。
「でもよぉっ!!」
俺は奴の前足を掴み、そのまま力任せに引き寄せた。
体勢を崩したマンティコアの顎へ、思い切り蹴りを叩き込む。
ドガンッ!!
その反動で、腹に食い込んでいた爪が引き抜かれた。
ブシュッ!!
腹から血が噴き出す。
それでも、俺は止まらなかった。
「誰かを救うのに、英雄である必要なんかねぇんだよっ!!」
一歩、大きく踏み込む。
右拳をありったけ引き絞った。
「おらぁぁぁぁぁっ!!!」
ズガァンッ!!
全力の右ストレートが、マンティコアの顔面へ突き刺さる。
「グォォッ!!」
奴の巨体が大きく後ろへ押し戻された。
口元から血が溢れ、地面へぼたぼたと落ちていく。
「……どうした、化け物」
俺は右拳を構え直した。
「まだ互いに頭潰せてねぇんだ。勝負はこれからだっ!」
「グルルルル……!」
俺は腹へ意識を集中させた。
魔力を一気に傷口へ流し込む。
ジジジジッ!!
焼けるような音とともに、抉られた腹の肉が盛り上がっていく。
穴が塞がり、流れていた血も止まった。
「……ふぅ」
……さて。
俺の魔力は、あとどれくらい残ってる。
それに……。
奴の魔力は、あとどれくらい残ってるんだ……?
その時だった。
後ろから、ミナの声が聞こえた。
「#%◆▲ッ!!! *◇※■ッ!!!」
「…………?」
何を言ってる?
確かにミナの声だ。
なのに、言葉として頭に入ってこない。
耳の奥では、いつの間にかキィィンという高い音が鳴り続けていた。
マンティコアの唸り声。
奴が地面を踏みつける音。
奴の呼吸。
そういう音だけは、嫌になるほどはっきり聞こえる。
なのに。
「#%◆▲ッ!!! *◇※■ッ!!!」
後ろから聞こえる声だけが、途中から潰れてしまう。
もはや、何を言っているのかわからない。
でも、ミナが何かを必死に叫んでいるのだけはわかった。
声のする方向をちらりと見る。
ミナが、さっき俺が叩きつけられて崩れた岩壁のそばにいた。
瓦礫の隙間から、何かを引っ張り出している。
一本の剣だ。
ミナはそれを両手で掴むと、俺のほうへ投げた。
剣が宙を舞う。
ザクッ!!
俺のすぐ近くの地面へ、剣が突き刺さる。
続けて、リリアの声が聞こえた。
「#◆※▲ッ!! 聖銀#%◆ッ!!! *◇※■▲ッ!!」
聖銀。
その単語だけは、どうにか聞き取れた。
そして、地面に突き刺さった剣を見て気付く。
これ……モリアがこの山で無くしたと言っていた、聖銀の剣か。
俺はすぐさま剣を引き抜いた。
だが、その一瞬でマンティコアが距離を詰めてくる。
「グォォォッ!!」
「っ!」
前足が横薙ぎに振るわれた。
俺は咄嗟に聖銀の剣を構える。
ガギィィンッ!!
「ぐっ……!」
甲高い音と同時に、腕へ凄まじい衝撃が走った。
両足が地面を滑る。
今の俺でも、一撃を真正面から受ければ押し負ける。
「おらぁっ!!」
それでも踏ん張り、前足を押し返す。
奴の力が上なら、こっちは傷が塞がるまで何度でも食らいつけばいい。
体勢を戻す前に、一歩踏み込んだ。
そのまま奴の前足へ、聖銀の剣を突き立てる。
ガギンッ!!
「……っ!」
弾かれた。
刃は毛皮の表面を僅かに削っただけだった。
俺の拳なら衝撃を通せる。
だが、この硬質化を普通の剣で斬り裂くのは無理らしい。
そして、その一瞬の隙を奴は見逃さなかった。
「グォッ!!」
マンティコアが大きく口を開く。
俺の肩口から首筋へ、一気に牙を食い込ませた。
「◆#%※ッ!!!!」
「#%◆▲※■ッ!!!!!!」
後ろから、ミナとリリアの声が聞こえる。
だが、やっぱり何を叫んでいるのかはわからない。
「ぐっ……!」
奴の歯は何本も欠けている。
だから、一気に首を噛み千切られることはなかった。
それでも、とんでもない力だ。
肩の骨が軋む。
首へ食い込んだ牙が、少しずつ肉へ沈んでいく。
再生が追いついているうちはいい。
だが、このまま押し切られれば、いくら今の俺でもまずい。
「グルルルル……」
それがわかったのか。
マンティコアの瞳が細くなる。
口元まで、ニンマリと歪んだように見えた。
「…………」
俺の口元も、自然と吊り上がる。
「誘ってやったんだよ、バカがっ!!」
俺は右手に握った聖銀の剣を、奴の首筋へ思いきり突き立てた。
グサッ!!
「グォッ!?」
剣先が僅かに食い込む。
だが、そこまでだった。
奴の硬質化は、さっきまでより明らかに強くなっている。
俺の力だけじゃ、これ以上押し込めない。
それを悟ったのか。
マンティコアの噛みつく力が、さらに強くなった。
ミシッ……。
「ぐっ……!」
肩から嫌な音がする。
奴の目には、もう勝ったとでも言いたげな色が浮かんでいた。
その時、モリアの言葉が頭をよぎった。
「勇者が使う『聖剣』というスキルは、私たちの魔力を放出し、それを剣に固定することで成り立っている」
「固定化できなくても、魔力の放出部分だけならお前でも出来るはずだ」
俺は聖銀の剣を思いきり握り込んだ。
「……今なら、出来ると思う……」
右腕を流れている魔力。
それを、そのまま剣へ流し込む。
腕の中を通っている何かを、そのまま剣先まで伸ばすようなイメージ。
そして。
ありったけを、叩き込むっ!!
次の瞬間。
聖銀の剣から、漆黒の魔力が一気に噴き出した。
「っ!?」
マンティコアの表情が変わった。
さっきまで剣先しか刺さっていなかった聖銀の剣が、
ズブブブッ!!
一気に奴の首へ沈んでいく。
「グォォォォォッ!!!」
マンティコアが慌てたように顎へ力を込める。
首へ食い込む牙が、さらに深くなった。
ブシュッ!
俺の肩から血が噴き出す。
こっちの再生より、奴が噛み潰すほうが少しだけ速い。
「……ぐっ!」
だが、奴だって余裕じゃない。
漆黒の魔力を纏った聖銀の剣が、硬質化した首を少しずつ抉っている。
問題は、剣のほうだった。
俺の魔力に耐えきれないのか、聖銀の刀身までジリジリと削れていく。
俺の首が先か。
奴の首が先か。
それとも、この剣が壊れるのが先か。
「どっちの首が先に落ちるか、最後まで付き合ってもらうぞ! 化け物!!」
マンティコアの瞳が大きく見開かれる。
その瞳には、獰猛な笑みを浮かべる俺の顔が映っていた。




