第38話:馬車の中、勇者の思惑
馬車に揺られながら、俺は窓の外を流れていく景色を眺めていた。
馬車の中では、俺が左側の端に座り、その奥からリリア、セシル、ミナの順に腰かけている。
向かいの席には、クラリス、ノア、エリオの順で座っていた。
リリアは腰に差していた剣を膝の上に置き、何かを考えるようにじっと眺めている。
その横では、セシルがリリアの肩を借り、気持ちよさそうに眠っていた。
ミナは鞄から教本を取り出し、静かに頁をめくっている。
向かい側に座るクラリスも、ミナと同じく教会関係と思われる本を熱心に読みふけっていた。
その隣では、ノアがクラリスの肩を借り、居眠りをしている。
エリオはいつも通り腕を組み、窓の外を流れる景色を眺めていた。
「……なぁ、リリア。聞きたいことがあるんだが、いいか?」
俺の声に反応し、リリアが膝の上の剣から顔を上げた。
「どうされました?」
「その……ずっと気になってたんだ。『勇者』って、なんなんだ?」
「なんなんだ、とは?」
「ほら、おとぎ話に出てくる世界を救う英雄。そういうものではないんだろ?」
俺は今まで、ずっと疑問に思っていたことを尋ねた。
リリアもエリオも、世界を救うために自ら立ち上がった英雄というより、何らかの義務に追い立てられて勇者をやっているように見える。
そもそも、第38勇者隊とはなんなのだろうか。
三十八組も勇者がいるということなのか。
「……そうでしたね。カイルさんは、そういう事情には疎いんでしたっけ」
リリアは少し考えるように視線を落とした。
「そうですね……なんと言えばいいのか……。確かに私たちは、王国に勇者として選別されてはいるのですが……」
リリアが言葉を選ぶように口ごもった、その時だった。
「……国の奴隷みたいなものだ」
エリオが窓の外を眺めたまま、冷たく言い放った。
「……奴隷だって?」
俺は思わず聞き返した。
「エ、エリオさん!? 言うに事欠いて、奴隷だなんて……!」
リリアは眉間に皺を寄せ、エリオを非難する。
だが、エリオは表情を変えようとはしなかった。
「違ってはいないだろう? 国から強制的に勇者をやらされ、危険なモンスターの排除を命じられる。それが僕らの任務だ。違うのか?」
「……違います」
リリアは膝の上の剣を見つめながら、小さな声で否定した。
「魔王を倒せば終わるんです。モンスターが人々を襲うように仕向けていると言われる魔王を倒せば……全部、終わるんです」
だが、その声には迷いが滲んでいた。
「……はっ」
エリオは小さく鼻で笑った。
「本当に倒せると思っているのか?」
「それは……」
「今まで、魔王領に踏み込めた勇者すら一人もいない。ましてや、四魔将の一人さえ倒せていないんだぞ。僕ら勇者隊は」
エリオは自嘲するように言葉を続ける。
「……でも、それをこれからやるんです」
リリアは剣の柄を握りしめた。
「やらないと、終われないんです……」
エリオはそんなリリアの顔を見ることなく、何かを思い出すように目を細めた。
「……四魔将の一人でも討ち取れば、勇者の任務から解放され、名誉国民として迎えられる。だったか」
その言葉を聞いた瞬間、リリアは顔を上げた。
明るい笑顔だった。
だが、その奥には、何かを覚悟したような危うさがあった。
「そうですっ! 四魔将を討ち取れば、この凄惨な任務から解放されるんです!」
リリアは自分に言い聞かせるように、声を弾ませる。
「そうすれば私たちも、ようやく争いとは無縁の、普通の暮らしができるようになるんですからっ!」
だが、エリオはその言葉を聞くと、深いため息を吐いた。
「……今まで、何人死んだと思っているんだ」
リリアの顔から、笑みが消えた。
「……それは……」
「初代の勇者は、何年も前に四魔将に敗れて死亡している。他にも何人もの勇者が行方不明になった」
エリオは淡々と告げる。
「魔王領どころか、最果ての北の地に辿り着く前に、任務で命を落とした者も少なくない」
そこで一度言葉を切ると、エリオはようやくリリアのほうへ視線を向けた。
「僕ら第35隊と、お前たち第38隊の間に編成された勇者隊も、すでに消息不明だと聞いている」
「……」
「それが何を示しているのか、分からないお前ではないはずだ」
リリアは何も答えなかった。
ただ、膝の上に置いた剣を、両手で強く握りしめている。
「でも……それでも……」
絞り出すような声が、リリアの口から漏れた。
「やらないと……。倒さないと、終われない……」
「リリア……」
ミナが教本を閉じ、心配そうにリリアの名を呼んだ。
肩を貸していたセシルも、いつの間にか目を覚ましていた。
だが、何も言わず、ただ静かにリリアの横顔を見つめている。
エリオは再び俺へ視線を向けると、面白くなさそうに言い放った。
「カイル。分かったか?」
「ああ……」
「これが勇者だ。これが僕たちだ」
エリオの表情には、希望も絶望も浮かんでいなかった。
「死ぬまで終われない、王国の戦闘部隊だ」
馬車の中に、重苦しい沈黙が落ちた。
勇者という言葉から、俺が思い浮かべていたもの。
人々から希望を託され、魔王を倒すために旅をする英雄。
どうやら、この世界の勇者はそんな華々しいものではないらしい。
王国に力を見いだされ、危険な任務を押しつけられる。
逃げることは許されず、任務から解放されるには、誰も成し遂げたことのない四魔将の討伐を果たすしかない。
なるほど。
それなら、リリアたちが王都からの任務をあれほど恐れていたのも無理はない。
「……でも、エリオ」
「なんだ」
「お前は、四魔将を倒すことが目的じゃなさそうだな」
俺がそう尋ねると、エリオの眉が僅かに動いた。
「……なぜ、そう思う?」
「リリアは、四魔将を倒して任務から解放されることを目指してる。良くも悪くも、それしか自分が助かる方法はないと思ってるように見える」
俺はリリアの顔を見た。
リリアは否定しなかった。
「でも、お前からはそういう必死さを感じないんだよ。諦めているっていうより、別の目的があるように見える」
エリオはしばらく黙って、俺の顔を見つめていた。
やがて諦めたように息を吐くと、窓の外へ視線を戻した。
「……僕は、四魔将を倒せるとは思っていない」
「エリオ……」
クラリスが本から顔を上げ、不安そうにエリオを見つめた。
「僕の目的は、勇者として任務を続け、報奨金を稼ぐことだ」
「報奨金?」
「ああ」
エリオは短く答えた。
「僕たちが世話になった孤児院には、多額の借金がある」
「孤児院に借金が?」
「建物の修繕費や、子供たちの食費を賄うために借りた金だ。僕は勇者として稼いだ金で、その借金を完済するつもりでいる」
「……恩返しか」
「そうだ」
エリオは淡々と答えた。
勇者として活動している間は、王国から支援金が出る。
危険な任務をこなせば、報奨金も支払われる。
エリオはその金を、自分が育った孤児院へ送り続けているのだろう。
「でも、それなら無茶な任務ばかり受けずに、少しでも長く生き残ったほうがいいんじゃないか?」
俺はエリオの横顔を見ながら続けた。
「お前が死んだら、そこで金を送ることもできなくなる。孤児院のためを思うなら、お前自身が生きていることだって――」
「いいんだ」
エリオは静かに俺の言葉を遮った。
「……何がいいんだよ」
「僕が恩を返したかった人は、もういない」
先程までの刺々しさが、エリオの声から消えていた。
「僕を育ててくれた先生は、ずっと前に亡くなっている」
「……そうだったのか」
「先生は、最後まで孤児院のことばかり考えていた。だから僕は、先生が守ろうとした場所を残したい」
エリオは窓の外を眺めたまま、静かに続ける。
「借金を返し終えれば、それでいい。それさえできれば、僕の役目は終わる」
「……エリオ」
クラリスが咎めるように名前を呼んだ。
だが、エリオはそちらを見ようとはしなかった。
「そのあとのことは、どうでもいい」
俺はエリオの横顔を見つめた。
恩返しをしたいという気持ちは分かる。
世話になった人が守ろうとした場所を、自分の手で守りたいという気持ちも。
だが、どうしてエリオがそこまで、自分の命を軽く扱えるのか。
俺には理解できなかった。
「……それは、本当に先生が望んだ恩返しなのか?」
俺が尋ねると、エリオの表情が僅かに強張った。
「自分が育てた子供が、死んでも構わないなんて顔で戦うことを、その先生は望んでいたのか?」
「……お前に、何が分かる」
「分からんよ。会ったこともない人なんだからな」
俺は素直に答えた。
「でも、孤児を育てて、借金までして、その場所を守ろうとした人なんだろ?」
「……」
「だったら、その人が守った子供には、ちゃんと生きていてほしいと思うんじゃないか?」
エリオは何も答えなかった。
ただ、腕を組んでいた手が、僅かに強く握られている。
クラリスもノアも、リリアたちも、誰一人として口を開こうとはしなかった。
馬車の車輪が地面を踏みしめる音だけが、規則正しく響いている。
俺は再び窓の外へ目を向けた。
勇者リリア。
勇者エリオ。
二人とも、目指しているものは違う。
だが、自分の命を削らなければ、そこへ辿り着けないと思い込んでいるところは同じだった。
……勇者ってのは、随分と面倒な生き物らしい。
そして俺は、そんな連中を放っておけるほど、器用な人間でもないようだった。




