第36話:討伐完了
ダイアウルフの巨体が大きく傾き、地面へ倒れ込んだ。
――ズズンッ!
その衝撃で砂埃が舞い上がり、足元の小石が小さく跳ねる。
しばらく様子を窺ってみたが、ダイアウルフが再び立ち上がる気配はない。
「……終わった、のか?」
俺は大鉈を握ったまま、周囲へ視線を巡らせた。
先ほどまで残っていたアッシュウルフも、すべて地面に倒れている。
新たな獣影も見当たらない。
どうやら本当に、これで終わりらしい。
そこで、リリアとエリオがほぼ同時に片膝をつく姿が目に入った。
「リリアッ!」
「エリオッ!」
ミナとクラリスが声をあげ、すぐさま二人のもとへ駆け寄った。
二人は心配そうに声をかけながら、それぞれ治癒魔法を施していく。
俺がその様子を少し離れた場所から眺めていると、隣で膝をついていたセシルが、ふらつきながら立ち上がった。
「カイル、約束破った」
セシルは据わった目で俺を見上げ、じっと睨みつけてくる。
「……破ってねぇよ。たまたま投げた石ころが、たまたま当たっただけだ」
「…………」
「それに、リリアに万が一のことが起きたほうが困るだろ? 今回はまぐれ当たりってことで、な?」
俺は両手を合わせ、セシルを拝むように頭を下げた。
「むぅ……」
セシルは納得していない様子で、頬を小さく膨らませる。
その時、治療を終えたリリアたちが、こちらへ戻ってきた。
リリアとエリオの顔には疲労の色が残っていたが、二人とも自分の足で歩けている。
ひとまず、大きな怪我はなさそうだった。
「どうですか、カイルさん!」
俺の前まで来たリリアは、少し得意げに胸を張った。
「私たちだって、ちゃんと強かったでしょう!」
「ああ。正直、驚いたよ」
俺が素直にそう答えると、リリアは嬉しそうに笑った。
「エリオもすごかったし、リリアも聖剣を随分器用に使えるようになってたな」
「えへへ……。前みたいに、一回使っただけで動けなくなるわけにはいきませんからねっ!」
リリアは照れくさそうに笑うと、隣に立つセシルへ顔を向けた。
「セシルも助かったよ。最初のロックバレットがなかったら、私が切り込む隙を作れなかったと思う」
「当然」
セシルは少しだけ胸を張った。
「それと……」
リリアは何かを思い出したように、俺の顔を見つめる。
「最後にダイアウルフの顔へ飛んでいった石……あれって、カイルさんですよね?」
「いやっ! あれはセシルだっ!」
俺は反射的に否定すると、隣に立っていたセシルの両肩を掴んだ。
「俺は今回は何もしてないぞっ! なっ、セシル!」
「えぇ……?」
突然話を振られたセシルは、心底困惑した顔で俺を見上げた。
「なっ?」
「…………」
頼む。
ここは話を合わせてくれ。
俺が必死に目で訴えると、セシルはしばらく俺の顔を見つめたあと、小さく息を吐いた。
「あー……うん。そうだね」
「ほらなっ!」
「…………」
リリアは俺とセシルの顔を、ゆっくりと交互に見比べた。
やがて何かを察したように、その口元をわずかに緩める。
「……分かりました。そういうことにしておきますね」
「そういうことってなんだよ。本当にセシルだからな?」
「はいはい。セシル、助けてくれてありがとう」
「……どういたしまして?」
セシルは釈然としない様子で答えた。
どうやらリリアには、完全に見抜かれているらしい。
その横で、エリオだけが訝しげに目を細めていた。
「……あの石からは、魔力をまったく感じなかったが?」
「エリオ」
「なんだ?」
「勇者っていうのは、もっと器が広くあるべきなんじゃないか?」
「……何の話だ?」
「仲間が活躍したんだぞ。そこは細かいことを気にせず、素直に褒めてやるべきだろ?」
「いや、僕が言いたいのは――」
「勇者だろ?」
俺は真剣な顔でエリオを見つめた。
エリオはしばらく納得できない様子で俺を睨んでいたが、やがて何かを察したように肩を落とした。
「……そうか。分かった」
「うん。それでいい」
俺が満足げに頷くと、リリアが隣でくすりと笑った。
「カイルさんって、本当に分かりやすいですよね」
「何がだよ」
「なんでもありません」
リリアは楽しそうに笑ったまま、それ以上は追及してこなかった。
危ないところだった。
……いや、たぶん全然誤魔化せてないけど。
俺は内心でため息をつきながら、地面に倒れたダイアウルフへ目を向ける。
「さてと……。話もまとまったところで、使えそうな素材を回収するか」
俺はダイアウルフのそばまで歩き、手にしていた大鉈を構え直した。
その巨体は、近くで見るとアッシュウルフとは比べものにならないほど大きい。
エリオの聖剣によって胴体の一部は焼け焦げていたが、背中から後ろ脚にかけての毛皮は、まだ綺麗な状態で残っていた。
「この辺りなら、十分に使えそうだな」
毛並みに手を滑らせると、硬さの中にもわずかな柔らかさがある。
アッシュウルフの毛皮よりも厚く、防具や外套へ加工すれば、かなり丈夫なものになりそうだった。
俺は傷んでいない部分を選びながら、大鉈の刃を慎重に入れていく。
「……相変わらず、手慣れているな」
背後から、エリオの呆れたような声が聞こえた。
「農民は獲物を解体する機会が多いからな」
「ダイアウルフを解体する農民が、どこにいるんだ……」
「ここにいるだろ」
「そういう意味ではない」
エリオの言葉を聞き流しながら、俺は作業を進めた。
しばらくして、使えそうな毛皮を剥ぎ終える。
続いてダイアウルフの胸部へ大鉈を差し込み、硬い筋肉と骨を避けながら切り開いていくと、その奥に黒い塊が見えた。
「おっ、あったぞ」
俺は手を差し入れ、その塊をゆっくりと取り出した。
現れたのは、大人の拳よりも一回り大きな黒い魔核だった。
表面には鈍い光が走り、手のひらへずっしりとした重さと、濃密な魔力の感触が伝わってくる。
「ダイアウルフの魔核……」
クラリスが興味深そうに覗き込んだ。
「この大きさなら、かなり高値になると思います」
「毛皮も状態の良い部分は残ってるし、こいつは期待できそうだな」
俺は回収した魔核を布で包み、剥ぎ取った毛皮の上へ置いた。
「いよっし! そんじゃあ、帰ってギルドに報告しますか」
俺たちはそのまま岩肌の道を下り、カラントの街へ戻るのだった。
***
カラントの街へ戻った俺たちは、その足でギルドへ向かった。
昼を少し回ったギルドの中には、依頼から戻ってきた冒険者たちの姿がちらほらと見える。
俺たちが扉を開けて中へ入ると、何人かの冒険者が、俺の背負っている大きな毛皮へ視線を向けてきた。
「依頼の報告に来た」
エリオが受付へ声をかけると、女性職員が俺たちのもとへ駆け寄ってきた。
「お帰りなさいませ。皆様、ご無事で何よりです」
「ああ。問題ない」
「アッシュウルフ十体と、それらを率いていたダイアウルフを討伐した」
「討伐に成功されたのですね!」
職員は安堵したように胸元へ手を添えた。
「しかも、アッシュウルフが十体も従っていたとは……。事前に確認されていたよりも、群れの規模が大きかったようですね」
「ああ。最初に倒した二体とは別に、ダイアウルフが残りの八体を従えていた」
「承知しました。そちらについても、王都への報告書に記載いたします」
俺は受付台の前へ背負っていた毛皮を下ろすと、その上に布で包んでいた魔核を置いた。
「こいつが、そのダイアウルフから取り出した魔核だ」
布を開くと、大人の拳よりも一回り大きな黒い魔核が姿を現した。
表面には鈍い光が走り、内部には濃密な魔力が渦巻いている。
「お、おい……あれ、本当にダイアウルフの魔核じゃないか?」
「でかいな……。俺が見たやつより一回りは大きいぞ」
「勇者隊が二つも揃っているとはいえ、よく仕留めたな……」
周囲にいた冒険者たちが、魔核を見ながらざわめき始めた。
女性職員も魔核の大きさに目を見張りながら、慎重に手へ取った。
「報告されていた個体は、通常よりもかなり大型だったようですね」
職員は魔核を、受付台の奥に置かれていた鑑定用の魔道具へ載せる。
しばらくすると、魔道具の表面に淡い光が灯った。
「間違いありません。討伐対象となっていたダイアウルフの魔核です。それも、これほど大きく状態の良いものは、なかなか市場へ出回りません」
「やっぱり、それなりの値段になるのか?」
「はい。ギルドで買い取らせていただけるのでしたら、銀貨二十枚でいかがでしょうか?」
「二十枚か……」
俺は魔核を見ながら少し考える。
以前売ったアッシュウルフの毛皮が銀貨八枚だったことを考えれば、十分な値段だろう。
何より、魔核を別の店へ持ち込んで、一から値段を交渉するのも面倒だ。
「それで頼むよ」
「ありがとうございます」
職員は丁寧に頭を下げると、今度は依頼書を確認し始めた。
「依頼達成の報奨金として、銀貨十五枚をお支払いします。魔核の買い取り額と合わせて、合計で銀貨三十五枚となります」
「三十五枚か。結構な額になったな」
「はい。その場でお渡しできます」
職員は受付台の下から革袋を取り出し、中身を確認してから俺たちへ差し出した。
俺はそれを受け取り、近くにあった空いているテーブルへ移動する。
革袋の中身を広げると、三十五枚の銀貨がテーブルの上で音を立てた。
「二つの勇者隊で山分けだな」
「それなら、そちらが十八枚でいい」
エリオが迷うことなくそう言った。
「いいのか? エリオは四体まとめて倒したうえに、ダイアウルフへとどめを刺しただろ」
「だが、残りのアッシュウルフとダイアウルフの動きを止めたのは、リリアたちだ。それに……」
エリオは一瞬だけ、俺のほうへ視線を向ける。
「誰かの援護がなければ、最後の一撃も入らなかった」
「誰かって誰だろうなぁ」
俺が何食わぬ顔で答えると、エリオは呆れたようにため息をついた。
「……もういい」
俺は銀貨を数え、十八枚をリリアたちの分として取り分ける。
残る十七枚を、エリオへ差し出した。
「んじゃあ、俺たちが十八枚で、エリオたちが十七枚な」
「ああ。それで構わない」
「やったーっ! 銀貨十八枚ですっ!」
リリアが嬉しそうに声をあげる。
「また美味しいものが食べられる」
「お前ら、金が入るたびに飯の話をするなよ……」
俺が呆れている横で、セシルも満足そうに銀貨を眺めていた。
どうやら否定する気はないらしい。
「そういや、この毛皮はどうなるんだ?」
俺は足元へ置いていたダイアウルフの毛皮を指差した。
職員は申し訳なさそうに頭を下げる。
「申し訳ございません。当ギルドでは、魔核や討伐証明部位の買い取りは行っておりますが、毛皮については専門の設備がないため、お引き取りできないんです」
「そうなのか」
「商業区にある素材屋でしたら、買い取っていただけると思います」
素材屋と聞いて、俺の頭に一人の男の顔が浮かんだ。
以前、アッシュウルフの毛皮を売った店だ。
「なら、ちょうどいい店を知ってる。そっちへ持っていくか」
***
俺たちはギルドを出ると、素材屋や道具屋が並ぶ商業通りへ向かった。
通りの奥まで歩いていくと、見覚えのある古びた木造の建物が見えてくる。
扉の上には、以前と変わらず、
『素材買い取ります』
と書かれた看板が掲げられていた。
俺が扉を開けると、奥のカウンターに座っていた恰幅の良い店主が顔を上げた。
「いらっしゃい……って、あんたはこの前の!」
「覚えてたか」
「そりゃあ、アッシュウルフの毛皮を持ち込んできた人を忘れるわけないでしょうよ。今日は何を……」
店主の視線が、俺の背負っていた毛皮へ移る。
俺がそれを床へ広げると、店主は椅子から勢いよく立ち上がった。
「こ、これは……!」
店主はカウンターを飛び出すと、毛皮の前へ膝をついた。
両手で毛並みを撫で、傷み具合を確かめながら、何度も角度を変えて眺めている。
「ダイアウルフの毛皮だ。少し焼けてるところはあるけど、背中から後ろは綺麗に残ってる」
「少しどころか、この状態なら十分すぎますよ!」
店主は毛皮へ顔を近づけながら、興奮した様子で声をあげた。
「この厚み……それでいて、この艶と手触り! これを外套に仕立てれば、防寒具としても防具としても一級品です!」
そして店主は、ゆっくりと顔を上げた。
「これはまさに、貴族様がお喜びになりそうな毛皮でございます!」
「やっぱり、貴族向けになるのか」
「もちろんですとも! これほどの品は、滅多に市場へ出回りません!」
店主は毛皮を名残惜しそうに撫でながら、しばらく考え込んだ。
やがて立ち上がると、俺の顔を真剣に見つめる。
「銀貨二十五枚で買い取らせていただきます」
「三十五枚だ」
「いきなり十枚も上げますか!?」
店主が目を剥いた。
「滅多に市場へ出回らないんだろ? しかも貴族様向けの一級品だ。銀貨二十五枚で仕入れて、いくらで売るつもりなんだよ」
「そ、それは商売ですから、多少の利益は必要でして……」
「多少ねぇ……」
俺は腕を組み、床に広げられた毛皮へ視線を落とした。
「別に、ここで売らなくてもいいんだぞ。次の街まで持っていけば、もっと高く買う店があるかもしれないしな」
「お、お待ちください!」
俺が毛皮を畳もうとすると、店主は慌てて両手を伸ばした。
「分かりました! 銀貨三十枚! どうか、三十枚で勘弁してください!」
「三十枚か……」
「これ以上は、こちらも利益が出るかどうかの瀬戸際です!」
店主は祈るように両手を合わせ、俺の顔を見つめてくる。
まぁ、以前のアッシュウルフの毛皮も、最初の提示額から随分と上がった。
今回も最初の二十五枚から五枚増えたのなら、十分な成果だろう。
「いいだろう。銀貨三十枚で取引成立だ」
「ありがとうございます!」
店主は満面の笑みを浮かべると、毛皮を傷つけないよう、大事そうに抱え上げた。
そして、俺たちへ銀貨三十枚の入った革袋を差し出してくる。
「いやぁ、また素晴らしい品をお持ちいただき、本当にありがとうございます。次もぜひ、うちへお願いしますよ!」
「ああ。また綺麗な毛皮が手に入ったら寄るよ」
俺が革袋を受け取ると、背後にいたエリオが呆れたように呟いた。
「……また値段をつり上げたのか」
「商売は情報戦だって、前にも言っただろ?」
「やっぱり、悪い大人」
セシルがぼそりと呟く。
「誰が悪い大人だ。適正価格で取引しただけだよ」
俺は銀貨の入った革袋を手の中で軽く弾ませる。
今回の依頼で得た銀貨は、報酬と合わせれば、かなりの額になった。
これなら、次の街までの旅費や食事代を差し引いても、十分に余裕がありそうだった。




