第32話:飯屋と気恥ずかしさ
昼過ぎ。
時刻は、ちょうど十四時を回ったところだった。
俺たちは繁華街にある、こじんまりとした飯屋の扉を開けた。
「いらっしゃい。何名さんだい?」
扉を開けるなり、恰幅の良い女性の給仕が声をかけてきた。
「七名だ」
「あら、多いね。それなら奥の席へどうぞ」
女性の給仕はそう言うと、奥にある暖簾がかかったスペースへ案内してくれた。
通りがかったカウンター席やテーブル席には、まだ数名の客が残っている。
耳に入ってくるのは、特に意味もない世間話の類ばかりだった。
どうやらこの店は、旅人向けというより、この街の住人たちが気軽に集まる憩いの場のようだった。
「ちょうど団体さん用の席が空いていてね」
暖簾を分けて入った先は、表の席よりも少し広めの空間になっていた。
中央には、十人ほどが座れる四角いテーブル席が置かれている。
俺は部屋の隅に大鉈を立てかけると、案内された席へ適当に腰を下ろした。
「はい、これがメニューね。水はここに置いておくから、好きにお飲みよ」
そう言われて、俺は渡されたメニュー表を受け取った。
「何がありますかね?」
「お肉がいい」
俺の両隣に、リリアとセシルがさも当たり前のように腰かけた。
そして、二人して俺の頬に顔が当たりそうな距離まで近づき、メニュー表を覗き込んでくる。
「……近いぞ、二人とも……」
俺が呆れたように声をかけると、リリアはきょとんとした顔で答えた。
「別に近くないですよ。気にしすぎですよ、カイルさん」
「照れてるカイル、可愛い」
「やめてやめて……」
なぜかリリアとセシルは、俺の頬を人差し指でぐりぐりと押し込んでくる。
その様子を呆れたように見ながら、ミナは向かいの席に座り、渡されたメニュー表に目を落としていた。
「こうして見るとカイルさん、娘か妹に絡まれてるみたいですね……。あ、私は焼き野菜とチーズの定食をください」
「あ、では私たちも同じものを……」
クラリスが給仕に声をかけた。
給仕の女性は、頼まれたものを紙に書き留めていく。
「んじゃあ、俺は厚切り肉と麦飯の定食を……」
俺はメニューを指差しながら頼んだ。
「私もそれでお願いします! 大盛りでっ!」
「私も大盛りでっ!」
リリアとセシルが、ほぼ同時に声をあげる。
給仕はそれを聞くと、にこやかに笑いながらメモを取っていた。
俺は、まだ決めかねている様子のエリオに声をかける。
「エリオも同じのでいいか? それとも肉は嫌いか?」
「あ、いや、別に嫌いじゃない。同じので大丈夫だ……」
エリオは、いつもの尊大な態度とは違い、どこかよそよそしい様子だった。
給仕はメモを取り終えると、満面の笑みで答える。
「焼き野菜とチーズが三つで、厚切り肉が四つね! すぐ用意するから、ちょっと待っててね!」
そう言うと、女性の給仕は暖簾をくぐり、厨房へ歩いていった。
すぐに厨房のほうから、
「あんたーっ、注文だよー!」
という大きな声が聞こえてくる。
俺はその声を聞きながら、水差しを手に取り、人数分の木のコップに水を注いでいった。
そのままコップを適当に配り、一番遠くに座っていたエリオにも水の入ったコップを手渡す。
「元気ないけど、どうした? どっか痛むのか?」
俺がそう声をかけると、エリオはコップを受け取りながら、気まずそうに視線を逸らした。
「……別にそういうわけじゃない。大丈夫だ」
「エリオは、普段私たちと食事を取ることが滅多にないので、こんな大勢で食べるのに慣れていないのかもしれません……」
クラリスが、どこか心配そうな顔でエリオを見つめる。
「そうそう。いつも『お前らは好きに食べてろ。僕は一人で食べる』とか言って、適当な屋台で済ませてることが多いからねぇ」
ノアは能天気そうに腕を頭の後ろで組み、天井を眺めながらそう言った。
エリオはそう言われると、ふいっと顔を背けた。
「……一人のほうが気楽だからな……」
そう口にした声は、いつものように強がっているはずなのに、どこか寂しげに聞こえた。
クラリスとノアを見やると、二人とも苦笑いを浮かべている。
その表情を見る限り、エリオがこうして一人で食事を済ませるのは、今に始まったことではないのだろう。
「……まぁ、お前が本当にそう思ってんなら、好きにすればいいけど、後悔はないようにな」
俺がそう声をかけると、エリオは俺のほうをじっと見た。
まるで、そんなことを言われるとは思っていなかった、というような顔だった。
「……考えておく……」
少し間を置いてから、エリオはそう一言だけ返した。
俺はその言葉を聞いて、一旦席に腰掛け直す。
すると、ノアが興味深そうに俺へ話しかけてきた。
「ってか、カイルさんって今何歳なの?」
「……んまぁ、一応十七だな……」
前世込みで言うなら、四十は超えているが、そこは言わないことにした。
ノアはその言葉を聞くと、頬杖をつきながら、ますます興味深そうに俺を見てくる。
「確かに見た目はそうなんだけどさぁ……」
「……そうですね。ちょっと、その歳では信じられないくらい落ち着いているというか……」
クラリスも頷きながら、まじまじと俺を見つめた。
「いやぁ、うちのエリオの態度に不機嫌になる人は数多く見てきたけど、カイルさんみたいな人はちょっと初めてかも……」
「時折、臨時でギルドから派遣される冒険者の方と何度かご一緒しましたが、最後は口すら利かなくなる、なんてこともよくございましたからね……」
ノアとクラリスはそう言いながら、エリオのほうをじっと見つめた。
見つめられたエリオは、頬杖をつくと気まずそうに顔を逸らし、指でテーブルをトントンと叩き始める。
聞こえていないふりをしているのだろう。
だが、その指先の動きは妙に落ち着きがなく、むしろ本人が気にしていることをはっきり物語っていた。
「……ま、その辺はご苦労様だな。でも、エリオにもエリオなりの考えとか、譲れないものとかがあるんだろうよ」
「…………」
俺の言葉を聞いたエリオは、テーブルを叩くのを止めた。
けれど、こちらを見ることはしない。
ただ、頬杖をついたまま、じっと壁を見つめていた。
何を考えているのかまではわからない。
だが、少なくとも、俺の言葉を聞き流したわけではなさそうだった。
クラリスは、少し驚いたように俺の顔を見る。
「……なんというか……その……本当に同年代ですか……?」
「……一応は……」
俺が苦し紛れに答えると、隣に座っていたリリアとセシルが、なぜかフンスッと胸を張った。
「それがうちのカイルさんの魅力なんですっ!」
「大体何言っても許してくれる」
二人がそう言うと、向かいに座っていたミナが俺をじっと見つめた。
「……お父さん」
「やめろ……」
俺は頭を抱えながら呻くのだった。
その様子を、クラリスとノアはなぜか微笑ましそうに見つめていた。
***
時刻は十五時過ぎ。
食事を終え、代金として銀貨一枚を支払った俺は、飯屋の女性給仕に声をかけた。
「おいしかったよ。また来るよ」
そう言うと、女性の給仕は嬉しそうにニンマリと笑った。
「ありがとねっ! いつでもおいでっ!」
その言葉を背中に受けながら、俺は飯屋を出る。
外では、リリアたちとエリオたちが待っていた。
その中で、エリオだけは腕を組んだまま、じっと俺を見ている。
「カイルさん。この度はご馳走していただいて、本当にありがとうございます」
クラリスが俺に深々と頭を下げた。
「いいって。気にすんなよ。また明日も一緒に頑張る仲間なんだからさ」
俺がそう言って笑いかけると、クラリスもまた、優しそうに微笑んだ。
その様子を少し離れたところで見ていたエリオは、ゆっくりと腕を解く。
「……カイル」
「ん?」
「飯のせめてもの礼だ。この僕が直々に稽古をつけてやる」
その言葉が発せられた途端、クラリスとノアは驚いたようにエリオへ振り返った。
「……あのエリオが……」
「他人にお礼をしたいですって……?」
よほど意外だったのか、二人はその場で固まっていた。
その反応を見て、エリオは気まずそうに頬を赤らめる。
「うるさいぞ、二人とも……」
そう小さくぼやいてから、エリオは改めて俺を見た。
「……どうだ? カイル」
まっすぐこちらを見てはいるが、その目にはわずかな不安が混じっているようにも見えた。
断られる可能性を考えているのだろう。
俺は一瞬、どう答えるべきか考えた。
その時、トン、と肘で腕を押される。
横を見ると、リリアが小さくガッツポーズをしていた。
……やれやれ。
「……せっかくの勇者様からの直々の稽古の申し出だ。ありがたく受けさせてもらうよ」
「そうか」
俺がそう答えると、エリオは満足げに笑うのだった。




