第22話:熊と農民と勇者と…旅の終わり?
ロックベアが、再び地面を蹴った。
俺の棍棒には深いヒビ。
ダグラスの大剣にも、刃の根元から細い亀裂が走っている。
まずい。
そう思った瞬間だった。
「――間に合いました」
後方から、静かな声が聞こえた。
次の瞬間、リリアが駆け出す。
速い。
ホーンディア戦で見せた時よりも、さらに速い。
白金色の光を纏った剣を手に、リリアは一直線にロックベアへ迫った。
その剣は、もはやただの刃ではなかった。
白金の輝きが刀身から溢れ、洞窟の暗がりを焼くように照らしている。
――グォォォッ!!
ロックベアがリリアへ向けて、巨大な腕を振るう。
だが、リリアはそれを正面から受けなかった。
一歩目で右へ。
二歩目で左へ。
三歩目でさらに低く沈み込む。
蛇行するような軌道で駆けながら、ロックベアの爪撃を紙一重で躱していく。
一撃。
二撃。
三撃。
分厚い爪が空を裂くたび、洞窟の壁が削れ、石片が飛び散った。
それでも、リリアには届かない。
「すげぇ……」
思わず声が漏れた。
あれは、力任せの剣じゃない。
速さと間合いと、ほんのわずかな隙を拾う剣だ。
リリアはロックベアの懐へ滑り込むように踏み込んだ。
その瞬間、剣に宿る白金色の輝きが、さらに大きく膨れ上がる。
「はあああああっ!!」
リリアが剣を振り上げた。
狙いは、ロックベアの首。
その一撃が通れば、終わる。
そう思った。
だが、ロックベアもまた、ただの獣ではなかった。
ほとんど本能だったのだろう。
ロックベアは首の前に、太い右腕を差し出した。
白金色の刃が、その腕へ深々と食い込む。
肉を裂き、骨へ届き、黒ずんだ血が噴き出した。
それでも。
刃は、止まった。
「……っ!」
リリアの表情が歪む。
光の刃はロックベアの腕に半ばまで食い込んでいる。
だが、切り落とせていない。
「私の限界でも、腕一本、落とせないのっ……!?」
リリアは歯を食いしばり、さらに力を込めた。
白金色の魔力が震える。
しかし、ロックベアはその状態のまま、もう片方の左腕を振り上げた。
狙いは、リリア。
動けない彼女を、そのまま叩き潰すつもりだ。
「リリアッ!」
俺は考えるより先に駆け出していた。
間に合うかどうかなんて、考えている暇はない。
足が洞窟の床を蹴る。
割れかけた棍棒を握りしめ、リリアとロックベアの間へ身体を滑り込ませる。
振り下ろされる巨大な左腕。
その爪撃に合わせて、俺は棍棒を振り上げた。
――バキィッ!!
嫌な音がした。
ザックから受け取った棍棒が、ロックベアの一撃に耐えきれず、粉々に砕け散る。
破片が宙を舞った。
駄目だ。
止められない。
なら、俺にできることは一つしかなかった。
リリアを後ろへ突き飛ばす。
「カイルさんっ!?」
彼女の声が聞こえた。
次の瞬間、俺は自分の身体を盾にして、ロックベアの左腕の爪撃を受け止めた。
衝撃が、全身を貫いた。
右肩と右脇腹に、鋭い爪が深々と突き刺さる。
「ぐ、ぁ……っ!」
今まで体験したことのない痛みが、右半身を焼いた。
視界が白く弾ける。
呼吸が詰まり、膝が落ちそうになる。
だが。
まだ、動ける。
右手には、砕けた棍棒の残骸が握られていた。
ロックベアの一撃で折れたせいか、その先端は鋭く尖っている。
俺は痺れかけた右腕に、無理やり力を込めた。
「……こ、のっ……!」
動け。
動けよ。
ここで止まったら、リリアが潰される。
俺は歯を食いしばり、折れた棍棒をロックベアの左手のひらへ突き立てた。
――グサッ!
肉を裂く嫌な感触が、右腕に伝わる。
――グォォォッ!!
ロックベアの悲鳴が、洞窟の奥に響き渡った。
「カイルッッッ!!」
叫び声のした方を見ると、そこにはダグラスがいた。
全身の筋力を強化しているのだろう。
大剣を握る腕は、今にも裂けそうなほど膨れ上がっていた。
次の瞬間、ダグラスはその剛腕で、大剣をロックベアめがけて全力で投げ放った。
――ドスンッ!!
重い音とともに、ダグラスの大剣がロックベアの右腕を貫き、そのまま首筋へ突き刺さる。
――ガアアアァァッ!!
ロックベアの絶叫が響き渡った。
俺は右手で突き立てた棍棒の残骸を離さないまま、左腕を伸ばす。
そして、ロックベアの首筋に突き刺さったダグラスの大剣の柄を掴んだ。
「ダグラスッ!!! ここは俺に任せて、みんなを連れて逃げろっ!!」
俺は力の限り、大声を張り上げる。
同時に、ロックベアに突き刺さった大剣の柄にさらに力を込め、ロックベアを地面にねじ伏せた。
「っ!? ばか野郎っ! お前はどうすんだっ!」
「こいつをぶっ倒したら合流するよっ!」
……できるはずがない。
すでに、爪撃を受けた右半身は痺れて感覚がない。
やつに突き立てた棍棒の残骸を、よくまぁ離さず握っていられるものだと、自分でも感心するほどだ。
だが、死に体の身体ひとつでパーティを全員生かして帰せるなら、十分釣りが出るだろう。
ダグラスは俺の考えを理解したようで、わなわなと顔を震わせながら叫んだ。
「……ここはカイルに任せて、一旦引くぞッッ!!!」
その声を聞いたセシルとミナは、びくりと肩を震わせた。
「そんなの……できるわけが……」
「カイルさんを置いて逃げるだなんて……」
セシルとミナが拒絶の言葉を吐く。
「……いいから行けっ!!」
俺はどうにか言葉を振り絞った。
目の前には、大剣を首筋に突き立てられ、地面に頭をこすりつけながらも、一向に闘志が失せることなく、全力で抵抗してくるロックベアがいた。
俺の腕力が緩むその時を、虎視眈々と狙っている。
その赤い眼光が、俺を睨みつけていた。
その時だった。
「……置いていきませんよ……」
リリアがふらふらとした足取りで俺に近づき、大剣を握る俺の左手に、そっと両手を重ねた。
「リリアッ!! 何考えてるんだっ!?」
俺が怒鳴りつけるが、リリアは凛とした表情で俺を見つめた。
「カイルさんの魔力を……借ります」
「は……?」
「たぶん…出来ると思うんです…」
その直後だった。
ひび割れたダグラスの大剣から、漆黒の魔力が湧き上がる。
同時に、俺の全身から何かを根こそぎ引き抜かれるような感覚が走った。
「ぐっ……なんだ、これ……っ!?」
黒い魔力が大剣を覆い、刃の形を変えていく。
白金色ではない。
聖剣と呼ぶには、あまりにも禍々しい。
だが、その力は確かに、ロックベアの首に食い込んだ刃をさらに深く押し込んでいた。
「カイルさんっ! 今です!! 引き斬ってください!!」
リリアが叫ぶ。
俺はそれに呼応し、残った力をすべて左腕に込めた。
「――オオオオオッ!!!」
黒い刃が、ロックベアの骨を噛み砕く。
――ギオォォォォォッッッ!!
断末魔の咆哮とともに、ロックベアの首が、ついに地面へ落ちた。
「へっ……よくやったな……リリア」
俺は薄れゆく意識の中、リリアへと声を投げかける。
「……カイルさん?」
リリアが俺を不安げに見つめる。
その顔が、次の瞬間、ぐにゃりと歪んだ。
気づけば、俺は床を見ていた。
「「カイルさんっ!!」」
「「カイルッ!!」」
リリアたちの絶叫と共に、俺の意識は暗闇へと沈んでいく。
……まぁ……農民にしちゃあ、よくやったほうだろ……。
……ダグラス……あとは……この子たちのことを……任せるよ……。
途切れる意識の中、俺が最後に願ったのは、リリアたちの行く末だった。




