第21話:洞窟の主
ロックヴァイパーを討伐した俺たちは、さらに洞窟の奥へと進んでいた。
進むにつれて、湿った土の匂いに、獣の体臭のようなものが混じり始める。
足元には、砕けた骨。
壁には、深く抉られた爪痕。
どう見ても、ここから先はさっきまでとは空気が違った。
「……近いな」
先頭を歩くダグラスが、低く呟く。
セシルの浮かべた光球が、通路の奥を照らした。
そこには、今までよりも広い空洞があった。
そして、その中央。
岩の塊のような巨体が、うずくまっている。
灰色の外殻。
太い前脚。
地面を抉るほどの爪。
ひと呼吸するたびに、洞窟の空気が震える。
岩陰に隠れた俺たちがそれを見ていると、
「……あれが、この洞窟の主……」
リリアが小さく息を呑んだ。
「大きいですね……」
ギルドから体長七メートルとは聞いていた。
だが、実際に見ると、前世で見た小型トラック並みの大きさをした熊が、そこで眠っているようにしか見えなかった。
「あれがロックベアか……。さて、どうしますかね……」
上の岩を崩して、生き埋めに……いや、駄目か。
あの巨体から生まれる膂力を考えると、その辺の岩なんかじゃびくともしないだろう。
第一、俺ですら人間大の岩なら動かせるんだ。
あのロックベアなら、多少岩を被せたところで、普通に跳ねのけるかもしれない。
俺が悩んでいると、リリアが小さく呟いた。
「カイルさん、ダグラスさん。あのロックベア……何秒足止めできますか?」
リリアが、何か考え込んだ様子で俺たちを見つめてくる。
「……ま、正面から打ち込んで止められるとしたら、五秒が限界かもな。それ以上は俺の剣がもたねぇ……」
ダグラスは肩を竦め、苦笑しながら答えた。
ダグラスの大剣がもって五秒か。
あの爪からの衝撃は、相当に重いと見える。
となると……。
「なら、俺とダグラスを合わせて十秒ってとこか」
ザックから受け取った、この棍棒。
家の柱に使う特別硬い材質を使ってはいるが、鋼鉄よりも硬い、なんてことはないだろう。
そう考えると、耐久度はダグラスの大剣と同じくらいに見ておいたほうがいい。
リリアはそれを聞くと、すっと息を吐いた。
「……十分です。その隙に私が聖剣スキルの出力を引き上げて、やつの首を落とします……」
リリアの眼光に、白金色の魔素が宿る。
「なぁ、何も打ち合ってる最中に溜めなくても、やつが寝てる今のうちに練り上げるってのは無理なのか?」
俺は浮かんだ疑問を投げかけた。
不意打ちが成功するなら、試したほうがいい。
「……無理だよ、カイル。相手はAランクのモンスター。魔力感知だって、他のモンスターより優れてる。一瞬で練り上げて発動ならまだしも、じっくり溜めれば確実に気づかれる」
セシルが俺を見ながら、困ったように目を細めた。
「それに、一瞬で撃てば威力が足りない。ロックベアの首を落とすなら、リリアがちゃんと出力を上げる時間が必要」
「……なるほどな。あんだけの迫力を持つ技なら、感知もされちまうか……」
相手も野生の獣。
その辺は前世と同じく、勘が鋭いようだ。
俺も不意打ち作戦は諦めて、覚悟を決める。
「……なぁ、やつは、どこまで近づいたら俺たちに気づくかね……」
俺は新たに浮かんだ疑問を投げかけた。
「……そうだな。やつに二十メートルも近づけば、俺たちの体内の魔素を感知して飛び起きちまうだろうな……」
ダグラスはロックベアを睨みつけ、大剣の柄を握りしめた。
「……なら、セシルに頼みがある。みんなも聞いてくれ」
俺は思いついた作戦を、皆に小声で説明した。
うまくいくかどうかなんて、わからない。
ただ、試す価値はあるだろう。
説明を終えると、ミナが感心したように呟いた。
「……カイルさん……何を見たら、そんなの思いつくんですか……? もしかして、それも農民の知恵ですか?」
「……いや、今思いついたところだよ……。できるか、セシル?」
俺が尋ねると、セシルは力強く頷いた。
「任せて。やってみせる」
「まぁ、失敗したらしたで、ちゃんとフォローしてやるから安心しな。魔導の勇者様よ」
ダグラスがふっと笑うと、セシルは深々と頭を下げた。
「……ありがとうございます」
……セシル、慣れてない相手だと、本当に礼儀正しいな……。
俺たちは意を決して、ゆっくりと暗がりの中、ロックベアへ近づいていった。
そして、その瞬間だった。
ロックベアの赤い眼光が光り、こちらを睨みつける。
巨体が一瞬で持ち上がり、すぐさま臨戦態勢を取った。
大口を開け、巨大な咆哮と開戦の狼煙が――上がるはずだった。
「セシルッ! 今だっ!!」
俺はセシルに声を掛けた。
その瞬間、セシルが手のひらに光を生み出す。
小さかった光は一瞬で膨れ上がり、白く眩い球体へと変わった。
「閃光よっ!」
セシルが祈るように声を上げる。
次の瞬間、光の球が弾け飛んだ。
洞窟の奥が、まるで白昼のように照らされる。
その強烈な一瞬の光に、ロックベアは目をくらませ、両腕で顔を覆った。
……即席のフラッシュバン。
どうやら、うまくいったようだ。
俺とダグラスは、全力で洞窟の床を蹴った。
ロックベアとの距離を、一気に詰める。
「「――オオオオオッ!!」」
肩口まで引き絞った棍棒を、ロックベアの顔面めがけて全力で振り抜く。
同時に、ダグラスの大剣も横薙ぎに走った。
――ゴォンッ!!
鈍く、重い音が洞窟の奥に響き渡る。
俺たちは、ロックベアの咆哮すら潰すように、開幕の一撃を叩き込んだ。
手応えはあった。
棍棒を通して伝わってきたのは、骨ではなく、分厚い筋肉と岩のような硬さ。
それでも、ロックベアの巨体は大きく揺らぎ、二歩、三歩と後ろへ下がった。
顔を覆っていた両腕には、裂けたような傷が走り、黒ずんだ血が滲んでいた。
少なくとも、効いていないわけじゃない。
だが、倒れる気配はまるでなかった。
――グルルルルルッ……!
ロックベアの喉から、低く濁った唸り声が漏れる。
次の瞬間、やつは片腕を地面へ突き刺した。
そして、そのまま岩床を抉り上げるように振り抜く。
ガリリリリッ!!
凄まじい音とともに、洞窟の地面が砕ける。
抉り飛ばされた大小さまざまな石が、弾丸みたいにこちらへ飛んできた。
「石礫だ! 落とせ!」
ダグラスの怒鳴り声と同時に、俺は棍棒を振るう。
飛んでくる石を叩き落とすたび、手のひらに重い衝撃が走った。
隣ではダグラスが大剣の腹で石礫を受け、弾き、逸らしている。
叩き落とした無数の石が、辺り一面に飛び散った。
……やべぇな……なんつう攻撃範囲だよ……。
そう思った束の間だった。
周りに飛び散った石が、急に宙に浮いた。
「……っ!? この熊、デカいだけじゃなくて魔法も使えんのかよっ!?」
「……いや、違う! これはっ!」
ダグラスが叫び、俺はハッとして後ろを振り返った。
その目線の先には、セシルが指を広げ、ロックベアへまっすぐと向けていた。
……まさか……。
「セシルッ! よせっ!」
「放てっ!」
俺の制止が間に合わず、その瞬間、セシルの瞳が魔素の煌めきで蒼く輝いた。
セシルの声と同時に、無数の石弾がロックベアへ向かって撃ち出された。
石弾は次々とロックベアの顔面、肩、胸元へ叩き込まれていく。
鈍い音が連続して響いた。
灰色の外殻に傷がつき、分厚い毛皮の隙間から血が滲む。
だが――。
「……っ!!!」
ロックベアが怯むことはなかった。
むしろ、石弾を受けたことで狙いを変えたらしい。
赤い眼光が、セシルを捉える。
「まずい!」
ロックベアが地面を蹴った。
巨体に似合わない速度で、セシルへ突っ込んでいく。
「セシル!」
俺は考えるより先に走っていた。
ロックベアの前脚が振り下ろされる寸前、俺は横からセシルを抱きかかえる。
「きゃっ!?」
そのまま全力で横へ飛んだ。
直後、さっきまでセシルが立っていた場所を、ロックベアの爪が抉り取る。
岩床が割れ、破片が頬を掠めた。
危なかった。
あと一瞬遅れていたら、セシルの身体ごと持っていかれていた。
「カ、カイル……!」
「下がってろっ!!」
俺はセシルを背に庇いながら、棍棒を構え直す。
ロックベアがこちらを睨みつけていた。
その身体には、俺たちの攻撃でついた細かな傷がいくつも刻まれている。
それでも、やつはまるで気にしていない。
怒りで息を荒げながら、再び地面を蹴った。
「……俺の背中から離れんなよっ!」
巨大な前脚が振り下ろされる。
俺は棍棒を叩きつけるように振るい、その爪撃を弾いた。
ガァンッ!!
重い。
腕の骨まで響くような衝撃が走る。
二撃目。
三撃目。
ロックベアの爪が、嵐みたいに襲いかかってくる。
俺はセシルを背にしたまま、一歩も下がれない。
下がれば、後ろのセシルが巻き込まれる。
とはいえ、セシルが俺から離れれば、この熊はセシルを先に狙うだろう。
「ぐっ……!」
一秒。
二秒。
三秒。
たったそれだけの時間なのに、やけに長い。
背後では、リリアの剣に宿る白金色の光が、少しずつ強さを増している。
あと少し。
あと少しだけ、時間を稼げればいい。
そう思った瞬間、棍棒を振るう手の中で、嫌な軋みが伝わってきた。
「下がれ、カイルッ!」
ダグラスの声が飛んだ。
次の瞬間、ロックベアの横合いから大剣が叩き込まれる。
「おおおおおっ!」
ダグラスの一撃が、ロックベアの前脚を弾いた。
俺はセシルを後ろへ押しやり、どうにか飛び退いた。
代わりに、ダグラスが正面へ出た。
大剣を振り上げ、ロックベアの爪撃を叩き止める。
ガンッ!
ギィンッ!
ゴォンッ!
重い音が洞窟の奥に響き渡る。
ダグラスの足元が削れ、靴底が岩床を抉った。
それでも、彼は倒れない。
大剣を尋常ならざる速さで振るい、爪撃を受け流し、押し返した。
三秒。
たった三秒。
だが、その三秒で、ダグラスの大剣から嫌な音がした。
ピシッ、と。
刃の根元に、細いヒビが走る。
「ちっ……!」
ダグラスは舌打ちし、大きく後ろへ跳んだ。
ロックベアが低く唸りながら、俺たちを睨みつける。
俺とダグラスの攻撃。
セシルの魔法。
どれも確かに当たっている。
傷もついている。
血も流れている。
だが、倒れる気配はない。
むしろ、怒りでさらに獰猛さを増しているように見えた。
「……やべぇな」
俺は思わず呟いた。
そして、手元の棍棒を見る。
そこには、さっきまではなかった深いヒビが、根元近くまで走っていた。
「こっちもかよ……」




