第103話:聖女の戦い方
しばらく森の中を進んだあと、俺たちは村人から教えられていた場所へたどり着いた。
「……ここか」
思わず足を止める。
辺りの木々は何本もなぎ倒され、地面にはモンスターと思われる死骸や骨が散乱していた。
中には、明らかに大型のモンスターだったと思われる骨もいくつか混じっている。
折れた枝や抉れた地面を見る限り、かなり激しく争ったようだ。
「……結構ひどい有様だな」
俺は辺りを見回しながら呟いた。
「これ、食べられたの?」
セシルが、肉の残っていない骨へ目を向ける。
ルシアは小さく頷いた。
「そのようですね。モンスターが変異する際には、莫大なエネルギーを必要とします。これも、その前兆でしょう」
「こんなに大きなものまで……」
ミナは足元の骨を避けながら、周囲の木々へ目を向けた。
「ルシアさん。まだ、近くにいるんでしょうか?」
リリアも腰の剣へ手を添えている。
「まずは、確かめましょう。ユリウスさん、お願いします」
「……はい」
ユリウスは短く返事をすると、その場に跪いた。
そして、地面へそっと片手を触れる。
「……何をするんです?」
「魔力感知です」
ルシアが答えた。
次の瞬間、ユリウスの身体から魔力が静かに広がっていくのを感じた。
地面を伝い、森の奥へ。
かなり遠くまで伸ばしているのか、さっきまで聞こえていた鳥の声まで止んだような気がする。
「……こんなに広く」
セシルが小さく呟いた。
その目が、ユリウスの手元へ向いている。
エステルは少し位置をずらし、ユリウスの背後に立った。
ダグラスも大剣へ手を添え、俺たちが来た道のほうを確認している。
俺も無意識に、大槌の柄へ手をかけていた。
「……普通に探しているわけじゃないんですよね?」
「ええ」
ルシアは森の奥を見つめたまま答えた。
「こちらの魔力を、わざと相手に感知させています」
「……わざと?」
「隠れている相手を探すより、こちらに獲物がいると教えたほうが早いですから」
「……向こうから来てもらうんですね」
リリアの声に、ルシアが頷く。
「そのほうが、皆さんも備えられるでしょう?」
「はい……」
リリアはミナたちの位置を確認すると、俺の隣へ移動してきた。
つまり、今、俺たちは森の中に向かって、ここにいるぞと叫んでいるようなものらしい。
「……ユリウスさんは、このままで大丈夫なんですか?」
ミナが、地面に手をついたままのユリウスを見る。
「感知している間は、私たちが周囲を見ています。皆さんも、物音には気をつけてください」
エステルが答えた。
ミナは頷き、セシルと共に少し後ろへ下がる。
ユリウスは目を閉じたまま、微動だにしない。
俺たちも、その場で待つ。
何かが、この森の奥からこちらへ来るのを。
その時だった。
ユリウスが、ハッと目を開けた。
「かかりましたっ! 正面から来ますっ!」
そう叫ぶのと同時に、森の奥から獰猛な雄叫びが響いた。
「――グオオオオオッ!!」
次の瞬間、遠くで木がへし折れる音がした。
一本。
また一本。
何かが木々をなぎ倒しながら、一直線にこちらへ向かってきている。
「カイルさんっ!」
「あぁ! 来るぞっ!」
俺は背中の大槌を引き抜いた。
リリアも剣を抜き、身構える。
その後ろで、セシルが森の奥へ両手を向けた。
「ミナ、少し下がって」
「はいっ」
ユリウスも地面から手を離し、立ち上がっていた。
やがて木々の向こうから、巨大な影が飛び出してくる。
体長は四メートルほど。
全身を毛に覆われ、鬼のような顔をした巨人だった。
しかも、その両手には引き抜いたらしい太い木を一本ずつ握っている。
それを振り回しながら、こちらへ向かって突進してきた。
「オーガですか……」
ルシアが、その姿を見ながら静かに呟いた。
俺は思わず叫んだ。
「巨人種かっ!」
頭に浮かんだのは、以前エリオたちと死ぬ気で討伐したサイクロプスの姿だった。
あの時のことは、今でも忘れられない。
俺は叫ぶと同時に、右腕へ魔力を集中させる。
ビキビキと音を立てるように筋繊維が膨れ上がり、皮膚が赤黒く変色していく。
握っていた大槌の柄から、ミシミシと軋む音がした。
相手は、木を二本も武器代わりにして突っ込んでくる巨人種。
手加減なんてしていられない。
「……へぇ。お前、そんなこと出来るようになったんだな」
ダグラスは俺の右腕を見て、興味深そうに言った。
「ダグラスッ! 何を呑気なっ!? 気ぃ抜いてると死ぬぞ!」
だが、俺が構え直すより先に、ルシアがひらりと前へ出た。
「私が出ます。ダグラス、いつも通りに」
武器も持たず、無防備なままオーガへ向かって歩き始める。
ダグラスは背中の大剣へ手を掛けると、
「あいよ」
それだけ答えた。
しかも、オーガを見るでもなく、周囲の森へ視線を巡らせ始める。
「ユリウス、他に寄ってくる奴がいねぇか見とけ。カイルとリリアは、後ろの三人を頼む」
「分かりました」
ユリウスが即座に答える。
「……っ!? ダグラスッ! ルシアさんを見殺しにする気か!?」
「……ルシアさん、一人で?」
リリアも、前へ出かけた足を止めていた。
だが、ルシアは俺たちを見ることもなく、淡々と答えた。
「問題ありません。それに、まだ変異も始まっていませんから」
「お二人とも、ここでお願いします。ルシア様は大丈夫ですから」
エステルが声をかけてくる。
その落ち着き方が、今はかえって信じられなかった。
ルシアは地面を蹴り、颯爽と駆け出す。
……そう、颯爽と、だ。
リリアの聖剣スキルみたいに、一瞬で間合いを潰すような速さじゃない。
ただ身体強化を施して、真正面から走っているだけ。
速いことは速い。
だが、俺でも目で追える程度だった。
オーガはルシアを迎え撃つように、片手に握った大木を大きく振り上げた。
そして、そのまま力任せに振り下ろす。
「ルシアッ!!」
「ルシア様っ!」
俺とミナの声が重なった。
だが、大木がルシアを捉える、その寸前。
ルシアは身体を僅かに傾け、紙一重でそれを躱した。
そのまま勢いを殺すことなく、オーガの脇へ滑り込む。
「……え?」
避けた。
そう思った。
少なくとも、俺の目にはそれしか見えなかった。
だが、その直後。
オーガが握っていた大木が、何の前触れもなく細かく裂け、そのままバラバラになって地面へ崩れ落ちた。
「…………」
斬ったのか?
いつ?
俺には、剣を振った瞬間すら見えなかった。
慌ててルシアへ視線を戻す。
その両手には、いつの間にか光り輝く二振りの剣が顕現していた。
「……二本?」
リリアが目を見開く。
セシルも、前へ向けていた手を僅かに下げていた。
オーガは、手に残った木の切れ端をルシア目掛けて勢いよく投げつけた。
ルシアは身体を沈めるように上体を捻り、両手の剣を大きく後ろへ引いた。
木の切れ端が、眼前まで迫る。
その時だった。
それまでとは比べものにならない速度で、ルシアの両腕が動いた。
光の剣が何度も閃く。
次の瞬間には、飛んできた木の切れ端が細かく砕け、その場にばらばらと散っていた。
「……あれって……魔力で、自分の腕を無理やり動かしてる……?」
リリアが、僅かに恐れを含んだ声で呟いた。
俺はその言葉を聞いて、マンティコア戦でのリリアを思い出す。
折れた左腕を、魔力で無理やり動かしていた時のことだ。
「……おい。あれって、相当な負荷がかかるんじゃないのか……?」
俺が声を上げると、ダグラスは周囲を見ながら鼻で笑った。
「普通なら、すぐに筋繊維がズタズタになる。あの人は、傷んだそばから自己ヒーリングで治してんだよ」
「……動かしながら?」
「そういうこった。壊れる速度より、治る速度のほうが速ぇんだとさ」
「……治療を続けながら、あんな動きを……?」
ミナは、ルシアの腕を見つめていた。
「……それだけの魔力を、ずっと……」
セシルの声も、少し硬くなっていた。
「……なんだよ、それ……」
目の前では、ルシアが何事もなかったように二本の光剣を構え直していた。
オーガが目の前にいるというのに、その足取りは止まらない。
まるで相手の攻撃など、最初から脅威とも思っていないように、真っ直ぐ間合いを詰めていく。
「……カイルさん。私たちは、こっちを」
リリアが俺の横へ戻り、ルシアから視線を外さないまま言った。
「……あぁ」
俺も大槌を握り直し、セシルたちの前に立つ。
飛んでくる木片くらいは防がねぇと。
エステルは俺たちの後ろで、戦いとは反対側の森を見ていた。
セシルもルシアから目を離し、横手の木々へ視線を移す。
「ガァァァッ!!」
オーガが怒号を上げ、もう片方の手に残った大木を、ルシア目掛けて力任せに振り下ろした。
それでも、ルシアは止まらなかった。
光が何度か閃く。
次の瞬間、大木は振り下ろされる途中で次々と切断され、そのまま細かな木片となって周囲へ飛び散った。
こちらへ飛んできた一片を、リリアが剣で払い落とす。
俺も大槌を前へ出したが、残りは手前の地面へ落ちていた。
ルシアはその中を、何事もなかったように歩み続ける。
オーガとの距離だけが、どんどん縮まっていった。
「ァァァッ!!」
オーガが怒号と共に左足を大きく踏み込んだ。
地面が沈み、その巨体が一気に前へ出る。
続けて右腕を大きく振り上げ、その勢いのままルシアへ拳を叩き込もうとした。
だが、左足を踏み込んだ、その瞬間だった。
ルシアが僅かに身体を沈める。
次の瞬間、右手の聖剣が下から上へ一閃した。
スパンッ。
「……!!??」
踏み込んだばかりのオーガの左足が、そのまま宙を舞った。
支えを失った巨体が勢いを殺せず、ぐらりとルシアのほうへ傾いていく。
ルシアは、その姿を見上げていた。
普段の穏やかな表情とはまるで違う。
そこにあったのは、ただ目の前の敵だけを捉える、冷たい瞳だった。
その刹那。
三度。
光が、ほとんど同時に閃いた。
「ゴッ!?」
左腕。
右腕。
そして、首。
オーガの身体から三つが、ほぼ同時に斬り飛ばされた。
遅れて、巨大な身体が地面へ崩れ落ちる。
地面が揺れ、俺は思わず足を踏ん張った。
「……ふぅ。終わりました」
ルシアは、右足しか残っていないオーガの胴体を静かに見下ろした。
額には汗一つ浮かんでいない。
呼吸すら、ほとんど乱れていなかった。
「……もう……?」
リリアは剣を構えたまま、倒れたオーガを見つめていた。
「……うん。終わってる」
セシルが答える。
その声にも、まだ戸惑いが残っていた。
ユリウスはオーガを一度確認すると、再び森のほうへ意識を向けた。
「周囲の感知は続けます」
「おう。頼む」
ダグラスは短く答え、大剣を背負い直した。
ルシアが、こちらを振り返る。
さっきまでの冷たい目は、もういつもの穏やかなものに戻っていた。
「皆さん、お怪我はありませんか?」
「……俺たちは、何も」
「ルシア様の腕は、大丈夫なんですか?」
ミナが尋ねると、ルシアは自分の腕へ少し目を落とした。
「ええ。もう治っていますよ」
そう言って、何でもないことのように微笑む。
ミナは何か言いかけたが、結局、小さく頷くだけだった。
俺は、大槌を握ったままの右腕を見た。
まだ、赤黒く膨れ上がっている。
……俺が構えてる間に、終わっちまったのか。




