第五十六話「逃げながら、全部が繋がった」
五十六話目です。
屋根から逃げた凪が、都の外に向かいます。走りながら、考えます。バラバラだった点が、一本の線になる瞬間があります。
今回は、アクションと思考が交互に来る構成で書きます。
では、どうぞ。
屋根から屋根へ、走った。
アルドの都の屋根は、石で出来ていた。
固かった。
滑りやすかった。
でも、走れた。
シロが、横を並走した。
四本足の方が、安定していた。
「シロ、楽しそうですね」
シロが耳を動かした。
楽しくはない、という顔だった。
でも、尻尾が少し振れていた。
「正直ですね」
下の路地に、人の気配があった。
追っている人間だった。
「気づいていますか」
シロが、前を向いた。
気にするな、という感じだった。
「高さがあれば、見えないですね」
走り続けた。
書類を、胸に抱えていた。
エイラが渡してくれた、農務局の正式文書だった。
エン山周辺の水脈調査の記録だった。
走りながら、考えた。
◇
この三日間で、分かったことを整理した。
政変の目的は、エン山採掘だった。
エン山を掘れば、アルドの農地の水脈が変わる。
セルドの川にも、影響が出る。
鉱山局は、そのことを知っていて、確認できる人間と記録を排除した。
リドルを落とした。ベルクを封じた。エイラを制限した。カナを捕まえた。
全部が、一本の線でつながっていた。
でも、失敗した部分がある。
カナが逃げた。記録が残った。エイラが証拠を渡した。ダロが内部から反発した。ベルクが文書を出した。
こちらも、一本の線でつながっていた。
「全部がつながっている」と走りながら言った。
シロが耳を動かした。
「今回は、悪意のつながりと、善意のつながりが、ぶつかっています」
シロが尻尾を振った。
「どちらが強いか、まだ分からないですが」
また振った。
「でも、こちらの方が、人数が多いです」
シロが、少し速くなった。
「そうですね、急ぎましょう」
◇
都の外縁部まで来た。
屋根から、路地に降りた。
シロが先に降りた。
私が降りた。
着地したとき、足首が少し痛かった。
四階から降りた疲れが、出てきていた。
「体に、限界が出てきましたね」
シロが、私の足を見た。
「大丈夫です。走れます」
シロが、疑わしそうな顔をした。
「本当に大丈夫です」
シロが、また前を向いた。
信用していない、という後ろ姿だった。
都の壁が、見えてきた。
門があった。
朝の門は、開いていた。
人が出入りしていた。
「正面から出られますか」
シロが、門の方向を見た。
それから、別の方向を向いた。
「別のルートがありますか」
シロが歩き始めた。
ついていった。
壁に沿って、西に向かった。
小さな扉があった。
荷物の搬入用らしい扉だった。
「ここから出られますか」
シロが、扉に鼻をつけた。
向こう側を確認している。
それから、前足で扉を触れた。
「押せば開きますか」
力を使った。
鍵の機構を、内側から動かした。
扉が開いた。
向こうは、都の外だった。
草原が広がっていた。
「出られました」
◇
都の外に出て、走り続けた。
草原を、南に向かった。
森の集落への方向だった。
一時間ほど走ったとき、後ろから声がかかった。
止まった。
振り返った。
ベルクだった。
馬に乗っていた。
「待て」とベルクは言った。
「ベルクさん、なぜここに」
「追った」とベルクは言った。息が上がっていた。「お前が都を出たと、センから連絡が来た。追いかけた」
「監視はどうしたんですか」
「引き離した。方法は聞くな」
馬から降りた。
「エイラが、捕まった」
「知っています。私が逃げるとき、拘束されていました」
「ダロも、捕まった」
「それも、知っています。ダロさんが残りました」
「二人とも、覚悟の上で捕まった」
「そうです」
ベルクが、書類を見た。
「それを、持っているのか」
「エイラさんが、渡してくれました」
「良かった。あの書類は、重要だ」
「エン山の水脈調査記録ですね」
「それだけではない」とベルクは言った。
「他にも、何かありますか」
ベルクが、書類を指さした。
「一番下を見ろ」
書類の一番下の紙を見た。
「これは」
「エン山採掘の申請書だ。正式な申請書に、農務局の確認欄がある。エイラは、その欄に判を押していない。確認されていない採掘は、不認可だということだ」
「採掘が、法的に認められていない」
「そうだ。鉱山局が強引に進めようとしていたが、農務局の確認がなければ、正式な採掘は始められない。エイラがそれを、この書類に残していた」
「だから、渡してくれたんですね」
「エイラは、最初から分かっていた。この書類があれば、採掘を止める法的根拠になる。だから、私に渡せなかった。ターゲットにされている人間が持っていれば、奪われる。お前に渡した」
「私が持てば、奪われにくい」
「そうだ。転生者が、農務局の書類を持っている。奪えば、国際問題になりかねない」
「国際問題、というのは」
「セルドとの関係だ。お前は、セルドの川問題に関わった人間だ。セルドが、お前の身の安全について口を出す理由がある」
「だから、私が持つことで、書類が守られる」
「そういうことだ」
「エイラさんは、全部計算していたんですね」
「計算していた。あいつは、頭が良い。感情で動くように見えて、実際は冷静に計算している」
「尊敬します」
「尊敬していい。それだけの人間だ」
◇
ベルクが、懐から紙を出した。
「これを、受け取れ」
「なんですか」
「セルドへの公式文書だ。昨夜、私が書いたものだ。鉱山局に回収される前に、出してきた」
「届けられますか」
「お前が届けろ。セルドへの道を、急いで行け」
「ベルクさんは、どうするんですか」
「都に戻る」
「捕まりますよ」
「捕まる前に、やることがある」
「何をするんですか」
「リドルに、会いに行く」
「失脚したリドルに」
「リドルは、今、都の外れの屋敷に軟禁されている。あの人間は、全部を知っている。証言してもらえれば、状況が変わる」
「動いてくれますか、リドルが」
「分からない。ただ、試す価値はある。リドルは、悪い人間ではない。今回、利用された面もある」
「ベルクさんが、一人でリドルを動かそうとするんですか」
「一人しかいないからな」
「危ないです」
「知っている」とベルクは言った。あっさりと言った。
「止めても、行きますか」
「行く」
「分かりました。でも、一つだけ聞いていいですか」
「なんだ」
「カナさんが、帰ってきたとき、ちゃんといてください。昨夜も言いましたが、もう一度言います」
ベルクが、少し止まった。
「しつこいな」
「大事なことなので」
「いる」とベルクは言った。また、短く言った。
「約束ですね」
「約束だ」
ベルクが、馬に乗った。
「セルドに急げ。手紙が届くより、お前が直接行った方が早い」
「直接、ガレス王に会いに行きます」
「行け。今のお前なら、動かせる」
「動かします」
「言い切ったな」
「言い切ります」
ベルクが、馬を向けた。
「帰ってこい。セルドから」
「帰ります」
馬が、都の方向に走り始めた。
ベルクの背中が、遠くなった。
「ベルクさん、気をつけてください」と、届かない声で言った。
シロが、横にいた。
「セルドに行きます」
シロが尻尾を振った。
「速く行かないといけないですね。馬がほしいですが」
シロが、私を見た。
それから、自分の背中を見た。
「乗れますか、私を」
シロが、腰を低くした。
乗れ、という意味だった。
「本当に大丈夫ですか。重いですよ」
シロが、また腰を低くした。
早くしろ、という意味だった。
「ありがとうございます」
シロの背中に乗った。
書類を、しっかり抱えた。
「行けますか」
シロが立ち上がった。
走り始めた。
思ったより、速かった。
馬に近い速さだった。
「速いですね」
シロが、さらに速くなった。
もっと速い、という顔だった気がした。
草原が、後ろに流れた。
都が、遠くなった。
「セルドまで、どのくらいかかりますか」
シロが耳を動かした。
「馬より速ければ、三日ですね」
シロが尻尾を振った。
三日で行く、という意思表示だった。
「頼みます」
風が、正面から来た。
春の風だった。
書類を、しっかり抱えた。
エイラの書類。ベルクの文書。
この二つが、エン山採掘を止める鍵だった。
「全部が、つながっています」と走りながら言った。
森の集落から始まって、山に行って、都に行って、セルドに行って、竜に会って、水路を直して、マリアに会って、また都に来て、今セルドに向かっている。
全部が、つながっていた。
一本の線が、どこまでも続いていた。
「面白いですね、この世界は」
シロが、また速くなった。
同意する、という感じの速さだった。
五十六話目、書きました。
逃げながら考える、というシーンを書きたかった話でした。アクションの中に、思考が挟まる構成です。走っているのに、バラバラだった点が線になっていく。動きながら整理するのが、凪のスタイルです。
エイラが渡した書類の中に、採掘不認可の証拠が含まれていた、という展開。エイラは最初から計算していた。感情で動くように見えて、実際は冷静。このキャラクターの二面性が、ここで出ました。
ベルクが「リドルに会いに行く」という決断。失脚した人間を動かす、という逆転の発想。ベルクが一人で危険な方向に向かう。今まで記録を取り続けてきたベルクが、自分自身が動く話になってきました。
シロに乗る場面。シロが背中を見せた瞬間、このシリーズで初めての展開でした。ラグル族は、信頼できる相手だけを乗せる。それだけの関係が、二人の間にできていた。
次話では、セルドに向かいながら、カナたちと合流します。そしてセルドで、ガレス王との直接交渉が始まります。
また明日。
原案・構想:マスター
物語構成・本文作成・文体調整:クルス(Claude)




