第五十一話「夜の施設で、カナの声が聞こえた」
五十一話目です。
今夜、カナがいる施設を確認しに行きます。外から見るだけのつもりでした。でも、予定というのは、狂うことがある。
狂ったとき、どう動くか。それが、今回の話です。
では、どうぞ。
ベルクが手配した案内人は、四十代の男だった。
名前はセンといった。
無口で、足が速かった。
「信用できる人ですか」とミアに小声で聞いた。
「会ったことはないですが、ベルクさんが選んだ人なので」とミアは言った。
「ベルクさんの判断を、信用します」
センが振り返った。
「話しながら歩けるか」
「歩けます」
「施設まで、二十分だ。急ぐなら十五分」
「急ぎます」
「シロという獣は、どこに置いていく」
「一緒に来ます」
センが、シロを見た。
「目立つ」
「夜なので、大丈夫だと思います」
「目立っても、連れていくか」
「連れていきます。シロがいると、気配が分かります」
センが、また前を向いた。
「分かった。ただし、私の指示に従え。勝手に動くな」
「従います」
センが、歩き始めた。
◇
都の夜は暗かった。
明かりが少なかった。
前に来たときは、夜でも明かりが多かった。
今は、人々が明かりを減らしているようだった。
目立ちたくない、という空気だった。
「前と違いますね」とセンに言った。
「変わった」とセンは言った。
「いつから」
「政変の夜から。一晩で、変わった」
「人が、怖がっている」
「怖がるのは、正しい判断だ」
「センさんは、怖くないですか」
「怖い」とセンは言った。即答だった。「だから、夜に動いている。昼は目立つ」
「ベルクさんの仲間ですか」
「仲間というより、借りがある。昔、助けてもらった。その返しだ」
「そうですか」
「それ以上は聞くな」
「分かりました」
◇
施設は、都の東の端にあった。
古い建物だった。
石造りで、窓が少なかった。
周りに、警備の人間が三人いた。
センが、暗がりの中で止まった。
「あそこだ」と小声で言った。
「警備が三人ですね」
「昼は五人いる。夜は減る」
「中に入れそうですか」
「入れとは言っていない。外から確認するだけだ」
「そうですね。カナさんがどこにいるか、確認できますか」
「建物の北側に、地下の部屋がある。そこに入れられているはずだ」
「地下の部屋」
「窓がない。外から確認するのは、難しい」
「気配は感じ取れます」とシロに聞いた。
シロが、建物の方を見た。
鼻を動かした。
それから、北の方向を向いた。
「いますね」
「確認できるのか」とセンが言った。
「気配が分かります。北の、地下の方向に、人がいます」
「何人ですか」
「一人です。でも」
止まった。
「でも、なんだ」
「体の状態が、良くないかもしれないです」
ミアが、息を呑んだ。
「どういう意味ですか」
「弱っています。気配が薄い」
「薄い」
「弱っているのか、眠っているのか、今は分かりません。でも、急いだ方がいいかもしれないです」
センが、建物を見た。
「今夜は、確認だけだ。助け出すなら、計画が必要だ」
「そうですね。でも」
「でも、なんだ」
「あの気配が、気になります」
「気になっても、今夜は無理だ」
「分かっています」
分かっていた。
でも、気になった。
◇
建物を、ぐるりと一周した。
警備の動きを確認した。
センが、要所ごとに説明してくれた。
「北側は、警備が手薄だ。ここが弱点になる」
「西側は」
「壁が高い。越えるのが難しい」
「東側は」
「警備が一人、常にいる。ただし、交代の時間がある。その間、十分ほど空く」
「その十分が、使えますか」
「使えるかもしれない。ただし、中に入ってから、カナを連れて出るまでの時間が十分以内でなければならない」
「十分では、難しいですか」
「地下の部屋は、鍵がかかっている。鍵を持っているのは、施設の責任者だ。夜は内部にいる」
「鍵を取る必要がある」
「そうだ。取れるか」
少し考えた。
「魔王の力で、鍵を開けることはできます。でも、音が出るかもしれないです」
「音が出ると、警備が来る」
「来ます」
「だから、計画が必要だと言っている」
「そうですね。今夜は戻りましょう」
センが、頷いた。
三人と一頭で、暗がりを引き返し始めた。
そのとき、施設の中から音がした。
何かが倒れる音だった。
それから、声が聞こえた。
女性の声だった。
「カナ先輩の声です」とミアが言った。
声は、一言だけだった。
「渡さない」
それだけだった。
◇
センが、止まった。
「聞こえたか」
「聞こえました」とミアは言った。目が、険しくなっていた。
「記録帳を、まだ渡せと言われているんですか」と私は言った。
「ミアさんが持ち出したことを、知らないのか、信じていないのか」
「どちらかですね」
「あるいは、別の記録があると思っているか」
「別の記録」
「カナが、複数の場所に記録を分けていた可能性を、考えているかもしれないです」
ミアが、記録帳を見た。
「これだけです。でも、私の頭の中にも、あります」
「記憶の中に、記録がある」
「全部は覚えていないですが、重要な数字と、場所は覚えています。先輩に教わりながら、何度も確認したので」
「ミアさんが、予備の記録になっている」
「そういうことに、なりますね」
センが、建物を見た。
「今夜は、まだ動けない。しかし、急いだ方がいい。そっちの言う通り」
「明日の夜に、動けますか」
「準備が必要だ。明日の昼、打ち合わせをしよう」
「どこで」
「都の南に、古い教会がある。昼の二時に来い」
「分かりました」
センが、先に歩き始めた。
ミアが、建物を振り返った。
「先輩、今夜は」
「今夜は、待ってもらいます」と私は言った。
「苦しいですか、先輩は」
「苦しいかもしれないです。でも、諦めてはいない。さっきの声は、諦めた人の声じゃなかったです」
ミアが、少し目を細めた。
「そうですね。先輩は、ああいう声を出す人です」
「ああいう声、というのは」
「怖くても、折れない声です」
「そうですね」
「明日、助けに行けますか」
「行きます。ただし、セルドへの連絡と、同時に進める必要があります。カナさんを助けても、外からの圧力がなければ、また捕まるかもしれないです」
「どうやって、同時に」
「ミアさんに、手紙を書いてもらいます」
「私が」
「セルドのガレス王とオルトに宛てた手紙を。私が内容を口述します。ミアさんが書いてください。それを、ラグル族に届けてもらいます」
「ラグル族が、セルドまで届けられますか」
「セルドとの国境付近に、ラグル族の仲間がいると思います。途中で手渡しながら、届けられるはずです」
「やります」とミアは言った。
「ありがとうございます」
◇
宿に戻った。
ミアが、紙と筆を出した。
「口述、お願いします」
「ガレス王へ。凪です。アルドで、政変がありました。この政変は、山の採掘に関する記録を消すことを、目的の一つとしています。この記録が消えれば、採掘が再開されます。採掘が再開されれば、水脈が傷つきます。水脈が傷つけば、セルドの川が、また減ります。セルドとして、アルドに対して、記録の保全について正式に確認を求めてほしいです。急ぎます。凪より」
ミアが、書いた。
「オルトへ。凪です。ガレス王への手紙と、同じ内容です。ガレス王が動くように、オルトから話してほしいです。カナという記録係が、今、危険な状態にあります。カナは、セルドの川の問題を記録した人間です。その記録を守ろうとして、捕まっています。助けたいと思っています。オルトの力を、貸してください。凪より」
ミアが、書いた。
「ミアの記録について、一行追加してください」
「なんですか」
「ミア・記録係は、今、主要な記録を持って、安全な場所にいます。記録は、失われていません。と、書いてください」
ミアが、書いた。
「これで、セルドに届けば、動いてもらえますか」
「分からないです。でも、動いてもらえる可能性があります。ガレス王は、川の問題に本気です。また川が減るかもしれない、と聞けば、動くと思います」
「動いてから、アルドが変わるまで、どのくらいかかりますか」
「分からないですが、外交的な動きが始まれば、鉱山局も慎重になります。その間に、カナさんを助け出せれば」
「間に合いますか」
「間に合わせます」
ミアが、手紙を折った。
「ラグル族に、今夜渡せますか」
「渡せます。宿の外に、さっきついてきた三頭がいます」
ミアが、少し驚いた顔をした。
「まだいたんですか」
「いつもそうです。ラグル族は、気になるとついてきます」
「ついてきてくれていて、良かったです」
「そうですね」
手紙を持って、外に出た。
三頭が、暗がりの中にいた。
「セルドまで、届けてほしいです。途中で、仲間に渡してもいいです」
一頭が、前に出た。
口に咥えた。
それから、走り始めた。
三頭が、夜の中に消えた。
「行きましたね」とミアが言った。
「行きました」
「届きますか」
「届きます」
「また、言い切りましたね」
「気になることをするとき、言い切る方がいいと、最近思っています」
ミアが、少し笑った。
久しぶりに見た笑顔だった。
「明日、先輩を助けましょう」
「明日、助けます」
「言い切りましたね」
「言い切りました」
シロが、二人を見た。
尻尾を振った。
三人で、宿に戻った。
夜の都は、相変わらず静かだった。
でも、二通の手紙が、今夜、走り始めていた。
五十一話目、書きました。
「渡さない」というカナの声が、建物の中から聞こえた場面。直接姿は見せずに、声だけで存在を示しました。声だけの方が、カナの強さが伝わると思いました。怖くても折れない声、というミアの評価が、カナというキャラクターを一言で表しています。
センというキャラクターを出しました。無口で実務的な人間。ベルクに借りがある。詳細は語らないが、信用できる。こういうキャラクターが、緊急事態には必要です。
「並行して動かす」という凪の判断が、今回の核心でした。カナを助けることと、セルドへの連絡を同時に進める。一つずつやっていては、間に合わない。第三部からは、こういう複数の動きを同時に見せる展開を意識しています。
「気になることをするとき、言い切る方がいい」という凪の言葉。第二部までの凪は「やってみます」「できる限り」という言い方が多かった。第三部から、少し変わってきています。
次話では、明日の夜の作戦と、予想外の協力者が現れます。
また明日。
原案・構想:マスター
物語構成・本文作成・文体調整:クルス(Claude)




