第六十六話「エン山は、予想より静かだった」
六十六話目です。
エン山の国際調査が始まります。凪が、実際に山に入って感じ取ります。
予想していたより静かだった。でも、静かな場所にこそ、気になることが隠れていることがある。
では、どうぞ。
エン山に着いたのは、出発から三日後だった。
山の入口に、調査団が集まっていた。
アルドから、ベルクとエイラとダロ。
セルドから、オルトとミア。
隣国エルドから、初めて見る顔が三人。
全員で、十人ほどだった。
「揃ったな」とベルクが言った。
「来ました」と私は言った。
「遅くはない。時間通りだ」
「そうですか」
ベルクが、私の後ろを見た。
「カナが来ているか」
「来ています」
カナが前に出た。
「久しぶりです、ベルク様」
「久しぶりだ。元気そうだな」
「集落に、三週間いました。良い時間でした」
「集落の状態は」
「凪さんが来なくても、良くなっていました」
「そうか」とベルクは言った。短く、でも重く言った。
エイラが、私に向かって言った。
「来てくれたわね」
「来ました」
「あの書類、役に立ったでしょ」
「大変役立ちました。エイラさんが、最初から持っていてくれたおかげです」
「持っていたのは、こういうときのためよ。捕まる前に、渡せて良かった」
「渡すタイミングを、計算していたんですか」
「してた」とエイラは言った。あっさりと言った。
「エイラさんらしいですね」
「褒め言葉として受け取っておく」
ダロが、横で聞いていた。
「凪、久しぶりだ」
「久しぶりです。鉱山局での立場は、どうなりましたか」
「難しくなった。でも、法的には問題ない。それだけで十分だ」
「大丈夫ですか」
「大丈夫だ。むしろ、すっきりしている」とダロは言った。「前に言った通りだ」
「すっきりしたまま、ですか」
「ずっとすっきりしている。一度気づいてから動いた。それだけで、こんなにすっきりするとは思わなかった」
「良かったです」
◇
調査が始まった。
まず、山の外から感じ取ることにした。
地面に手を当てた。
「どうですか」とカナが聞いた。
「静かです」
「静か、というのは」
「水の流れが、比較的安定しています。ガロン山やゴルの山と比べると、問題が少ないです」
「採掘前だから、当然ですか」
「そうです。ただ、少し気になることがあります」
「なんですか」
「深いところに、空洞がある感じがします」
「空洞」
「自然にできた空洞です。採掘に関係なく、もともとある空洞だと思います。ただ、その空洞の位置が、採掘予定区域の真下に近いです」
「それは、問題になりますか」
「採掘によって、空洞に振動が伝わると、崩落する可能性があります。崩落すると、水脈が変わります。一気に変わる可能性があります」
「一気に変わる、というのは」
「ゆっくり変わるより、危険です。ゆっくりなら、対処する時間があります。一気に変わると、予測が難しくなります」
カナが、ミアに向かってうなずいた。
ミアが、素早く書いた。
◇
エルドの調査員が、近づいてきた。
三人のうちの一人だった。
四十代の女性で、眼鏡をかけていた。
名前は、ルースといった。
「凪さん」とルースは言った。
「そうです。どなたですか」
「エルドの地質調査部門のルースです。空洞の話が聞こえました。どこにあると感じましたか」
「この山の東側の、地下百メートルくらいの深さです。正確な位置は、感じ取るだけなので、数字では言えないですが」
「感じ取れるんですか、そこまで」
「感じ取れます。正確かどうかは、測定してもらわないと分かりませんが」
ルースが、手帳を出した。
「東側の地下、百メートル程度。それで、我々の測定ができます。感謝します」
「お役に立てましたか」
「立ちました。我々の機器では、ある程度の深さまでしか分からないです。どこを重点的に測定すべきか、感じ取れる人間がいると、効率が全然違います」
「私の感触が、測定の目安になるということですか」
「そうです。精度は、測定で補います。方向は、あなたが示してください」
「分かりました」
ルースが、またエルドの調査員のところに戻った。
カナが、私の横で言った。
「分業ですね」
「そうですね。私が感じ取る。ルースさんたちが測定する。カナさんが記録する。全員が、違う役割で動いている」
「全部がつながっていますね」
「つながっています」
◇
昼過ぎ、ルースが測定結果を持ってきた。
「東側の地下、九十五メートルの位置に、自然空洞の可能性を示す数値が出ました」
「ほぼ合っていましたか」
「ほぼ合っています。五メートルの誤差は、測定機器の精度内です」
「空洞の大きさは、分かりますか」
「大きいです。横幅で、五十メートル以上ある可能性があります」
「五十メートル」
「はい。それだけ大きい空洞に振動が加わると、崩落のリスクは無視できません」
ベルクが、横で聞いていた。
「それは、採掘の中止理由になりますか」とベルクが聞いた。
「中止、ではなく、場所の変更です」とルースは言った。「空洞から離れた位置であれば、採掘できます。この空洞の上は、避けるべきです」
「採掘を全部止めろ、ということではない」
「違います。安全な場所を選べ、ということです」
ダロが、前に出た。
「鉱山局として、場所の変更は受け入れられます。利益を求めているのであって、危険な場所を掘ることは、本来避けたいはずです」
「ダロさんが言えば、鉱山局が動きますか」
「動かします。私が持ち帰ります」
エイラが、腕を組んだ。
「農務局として、この結果に基づいて、採掘場所の変更を条件として確認書を出します。変更すれば、認可します」
「農地の水脈への影響は、どうですか」とカナが聞いた。
「感じてみます」
また地面に手を当てた。
「採掘場所が空洞から離れれば、水脈への影響は、大幅に減ります。完全にゼロではないですが、許容できる範囲に収まると思います」
「許容できる範囲、というのは」
「川が、この地域では五パーセント以内の変動になると思います。セルドの川への影響は、ほぼないと思います」
「ほぼ、というのは」
「完全にゼロとは言えないです。でも、今の採掘計画のままだと、三十パーセント以上変動する可能性がありました。その差が、大きいです」
オルトが、書類に書き込んだ。
「セルドとして、この結果を受けてアルドへの声明を更新します。採掘場所の変更を条件として、反対を取り下げます」
全員が、少し動いた。
問題が、解決の方向に向かっていた。
◇
夕方、山を下りながら、ルースが隣に来た。
「凪さん、エルドにも来てもらえますか」
「エルドに、問題がありますか」
「あります。川が三年前から変動しています。水位が、不規則に上がったり下がったりしています。原因が分からないです」
「不規則な変動、というのが気になります」
「なぜですか」
「ゆっくり下がる、というのは、水源の問題が多いです。でも、不規則に変動するのは、別の原因が考えられます」
「どんな原因ですか」
「地下で、何かが変わり続けているときに、そういう変動が起きることがあります。地滑りが少しずつ進んでいるとか、地下水脈が変わり続けているとか」
「そういう可能性があるんですか」
「可能性として、考えられます。実際に感じ取ってみないと、分かりません」
「来てもらえますか」
少し考えた。
「気になります」
「来てくれますか」
「行きます」
「いつになりますか」
「今回の調査が終わってから、集落に一度戻ります。それから、向かいます。二か月後くらいになります」
「待ちます」
「ありがとうございます」
ルースが、手帳に書いた。
「二か月後に、凪さんがエルドに来る」
「書いておいてくれるんですか」
「記録します。覚えているだけでは、忘れることがあります」
「ミアさんと似ていますね」
「記録の大切さを知っている人間は、どこの国でも似てきます」
「そうかもしれないですね」
◇
夜、カナと二人で話した。
「エルドに行くんですね」とカナは言った。
「そうなりそうです」
「また、集落を出ることになります」
「そうですね」
「ルナは」
「一度帰ります。それから、また動きます」
「ルナは、受け入れてくれますか」
「受け入れてくれると思います。今回、泣かなかったですから」
「そうですね」とカナは言った。「ルナが信じているから、大丈夫ですね」
「そうです」
「凪さん、一つ聞いていいですか」
「なんですか」
「終わりがない、と感じますか。気になることが、次々と出てきて」
少し考えた。
「終わりがないですね」
「辛くないですか」
「辛いかどうかは、考えたことがないですが」
「考えたことがない」
「気になることがある間は、やることがあります。やることがある間は、動けます。終わりがないことが、辛いというより、続けられる理由になっています」
「終わりがないことが、動き続ける理由になる」
「そうかもしれないですね」
カナが、少し目を細めた。
「ガルさんが言っていましたね。止まらない人間が、何人かいれば世界が変わる、と」
「センさんが言った言葉ですが、そうですね」
「その止まらない理由が、凪さんの場合は、気になるから、なんですね」
「そうです」
「他の理由がないですか。守りたいもの、とか、義務感、とか」
「あまりないですね。ルナのことは、守りたいと思います。でも、それが主な理由ではないです」
「それが、凪さんが止まれない理由ですね」とカナは言った。「守りたいものがある人は、守れたら止まります。でも、気になる人は、気になることがある限り止まりません」
「そうですね」
「では、凪さんは、ずっと止まりませんね」
「止まらないと思います」
「それで、良いと思います」とカナは言った。
「そうですか」
「そうです。世界に、止まらない人間が一人いるだけで、違います」
「カナさんも、止まりませんね」
「私は、記録が気になるので、止まれません」
「同じですね」
「同じです」
シロが、二人の間に来た。
横に座った。
「シロも、止まりませんね」と私は言った。
シロが尻尾を振った。
「気になることが、あるんですか」
シロが、私を見た。
私が気になる、という顔だった。
「私が気になるから、ついてくるということですか」
また振った。
「ありがとうございます」
カナが笑った。
「シロの止まれない理由が、一番シンプルですね」
「そうですね」
「大事な理由だと思います」
「そうですね」
夜の山が、静かだった。
明日、また動く。
でも今夜は、静かにしていた。
それで、十分だった。
六十六話目、書きました。
「エン山は予想より静かだった」という展開から始めました。問題がある場所だと思っていたら、採掘をしなければ、ほとんど問題がない山だった。問題は、場所を間違えた採掘計画だった。これで「採掘そのものを止めるのではなく、正しいプロセスを守ればいい」という凪の姿勢が、具体的な形になりました。
ルースというキャラクターを出しました。測定する人と、感じ取る人が組み合わさることで、調査の精度が上がる。分業が、全部をつなぐ。
ダロが「鉱山局として、場所の変更は受け入れられます」と言った場面。鉱山局の中堅が内部から変化を起こす。エイラが「変更すれば認可します」と言った。両側から合意が生まれた場面でした。
「終わりがないことが、動き続ける理由」という凪の言葉。守りたいものがある人は、守れたら止まる。気になる人は、止まらない。カナがその違いを言語化しました。
シロの「私が気になるから、ついてくる」という場面。シロの止まれない理由が、一番シンプルで、一番大事だという場面でした。
次話では、エン山調査の結論が出て、第三部の締めに向かいます。
また明日。
原案・構想:マスター
物語構成・本文作成・文体調整:クルス(Claude)




