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第三十一話 名前より先に値段を書くな、ですわ

 帰りの馬車の中で、クラリッサは珍しく黙っていた。


 ジャンも黙っていた。


 モルガナは二人を見て、少しだけ目を細めた。


「今日は、お二人とも静かでございますね」


「疲れましたわ」


 クラリッサは言った。


「怒るにも体力が要りますのね」


「今頃お気づきで?」


「わたくし、これまで自然に怒っておりましたから」


 ジャンが小さく笑った。


「君の自然は、周囲には災害に見えるものさ」


「ジャン」


「悪かった。今日は、少し言い過ぎた」


 クラリッサは彼を見た。


「あなたが謝ると、明日は雪でも降るのかしら」


「謝るのを取り消そうかな」


「だめです。記憶します」


「やっぱりそうなるのかあ……」


 馬車は夕方の王都を進んでいく。


 クラリッサは窓の外を見た。

 通りには商人がいて、荷車があって、店先には本当に値札が下がっている。

 布の値段。果物の値段。靴の値段。


 値段がつくもの。


 値段がつかないはずのもの。


 その境目が、今日だけは妙にぼやけて見えた。


「ジャン」


「何だい」


「わたくし、最初は自分の名札に腹が立ちましたの」


「そうだろうね」


「わたくしの名前より金額が大きいなんて、失礼だと思いました」


「うん」


「でも、リゼット様の名札も、ヴィオレーヌ様の名札も、同じでしたわ」


「そうだね」


「……あれ、全員が嫌だったのかしら」


 ジャンは少し考えた。


「全員ではないと思う。諦めている人もいる。慣れている人もいる。利用しようと思っている人もいる。条件が良く書かれていれば、それを武器にする人もいるだろう」


「では、わたくしが余計なことをした可能性も?」


「ある」


 ジャンは正直に言った。


 クラリッサは少しむっとした。


「そこは慰めるところではなくて?」


「慰めると、君はすぐ階段を二段飛ばしで調子に乗るじゃないか」


「わたくしを子供のように!」


「幼い頃から見ているからね」


 ジャンは続けた。


「でも、余計だったとしても、必要な余計だったかもしれない」


 クラリッサは彼を見た。


「どういう意味?」


「普段なら言えないことを、誰かが騒いだ時だけ言える人もいる。今日のリゼット嬢やヴィオレーヌ嬢みたいに」


「わたくし、騒いだだけ?」


「かなり騒いだ」


「ジャン」


「でも、ただ騒いだだけではない」


 クラリッサは、少しだけ表情を緩めた。


「それは褒め言葉?」


「半分くらい」


 モルガナが静かに言った。


「残り半分は、旦那様へのご報告で減るかと」


「お父様、また青ざめるかしら」


「今回は、白くなられるかもしれません」


「色の問題ではないですわ」


「お嬢様が色々となさるので」


 ジャンは手帳を開いた。


「どう説明するかな」


 クラリッサはすぐに言った。


「美しく書きなさい」


「いつも通りだね」


「今回は名札の問題ですわ。簡単でしょう」


 ジャンは少し考えた。


「縁談会における参加者情報の表示方法について、当事者が強い異議を示し、複数の令嬢が同調。会の進行に支障」


「つまらないですわ」


「つまらないほど単純明快な程度がいいものさ」


「では、欄外に」


「付け加えないからね」


「まだ言っておりません」


「どうせ、名前より先に値段を書くな、だろう」


 クラリッサは、わずかに悔しそうな顔をした。


「……あなた、わたくしを読みすぎですわ」


「今回も当たったね」


 モルガナが言った。


「お嬢様のお考えが、少しわかりやすくなってきたのでございましょう」


「それは成長?」


「場合によります」


「どういう場合?」


「騒ぎの前にわかれば成長でございます。騒ぎの後なら、いつも通りでございます」


 クラリッサは黙った。


 それから少しだけ、頬杖をついた。


「わたくし、今日は騒ぎの前にわかっていた気がしますわ」


 ジャンは窓の外を見た。


「そうかもしれない」


「もう一度」


「言わない」


「出し惜しみが多すぎますわ」


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