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第二十八話 困った時のジャン

 ヘルミーナ・ド・クラールの縁談会は、王都でも評判だった。


 ただし、その評判は少し妙な形をしている。


 悪い噂ではない。

 むしろ、実績はある。

 クラール夫人の縁談会で結ばれた家は多く、その中には、破産しかけた家を持参金で救った例もあれば、家格は高いが財産のない令嬢を、富裕な新興貴族家へ嫁がせた例もある。


 王都の社交界で、彼女はこう呼ばれていた。


 縁を整える未亡人。


 帳簿の読める貴婦人。


 結婚市場の女主人。


 その最後の呼び名を聞いた時点で、クラリッサ・ド・ラ・ギーズは眉を寄せた。


「市場?」


 朝食の席で、彼女は招待状を手にして言った。


「今、市場とおっしゃいました?」


 ベランジェ・ド・ラ・ギーズは、もはや朝食のたびに顔色を失う癖がついていた。

 人は習慣の生き物である。

 ラ・ギーズ家では、朝食と不安がよく同じ皿に載っていた。


「俗称だ。あくまで俗称だ」


「わたくし、野菜ではありませんわ」


「誰も野菜とは言っていない」


「魚でもありません」


「魚とも言っていない」


「では、なぜ市場なのです」


 ベランジェは答えに詰まった。


 それを見て、オルタンス・ド・ラ・ギーズが静かに紅茶を置いた。


「縁談というものが、家と家の条件を見比べるものだからです」


「お母様まで」


「綺麗な言葉で包むことはできます。けれど、実際に行われているのは、家格、財産、相続、持参金、後ろ盾、政治的な位置。そういうものの照合です」


「それは……」


 クラリッサは少し言葉を探した。


「ひどくありませんこと?」


「ひどいわね」


 オルタンスはあっさり言った。


 クラリッサは目を瞬いた。


 母は続ける。


「でも、そういうものです」


「そういうもの、と言えば、何でも済むのですか」


「済みません。けれど、皆そう言って済ませてきました」


 短い沈黙が落ちた。


 モルガナが、クラリッサの皿に焼いたパンを置いた。


「お嬢様。今朝は召し上がってくださいませ。腹を立てるにも、多少の支えが要ります」


「わたくし、今日腹を立てる予定なの?」


「予定ではなく、見込みでございます」


「縁談会へ行く前からその扱いはどうなのかしら」


「経験に基づいております」


 ベランジェが、小さく咳払いをした。


「ジャン君を呼んである」


「でしょうね」


 クラリッサは、妙に素直に言った。


 このところ、ジャン=バティスト・ド・シャトノワがいない縁談など、薄い椅子より心許ない。

 彼は口は悪いが、紙を読む目は確かだった。

 クラリッサを過度に褒めないところも、腹は立つが、信用はできる。


 モルガナは紅茶を注ぎ足した。


「今回は、縁談会そのものの形式を見ていただく必要がございますね」


「形式?」


 クラリッサが聞く。


「はい。クラール夫人の会は、たいへん整っていると評判でございます」


「整っているものには、だいたい何か隠れていますわ」


「お嬢様のお部屋は整っておりませんが、いろいろ隠れております」


「今その話は関係ありません」


「では後ほど」


「後ほどもしないで」


 ベランジェは、娘のやり取りを聞きながら、招待状を見つめていた。


「クラール夫人は、力のある方だ。断ると角が立つ。だが、出れば出たで……」


 彼は言葉を濁した。


 クラリッサは、招待状の上品な文字を見下ろした。


 そこには、こう書かれていた。


 各家のご令嬢、ご令息が、互いの条件を知り、よりよき縁を結ぶための親睦の場。


 条件。


 よりよき縁。


 親睦。


 綺麗な言葉が並んでいる。


 だが、紙の奥から、かすかに値札の匂いがした。


「参りますわ」


 クラリッサは言った。


 ベランジェは不安そうに顔を上げた。


「本当に?」


「ええ。見ないで怒るのは、少し品がありませんもの」


 モルガナが静かに言った。


「お嬢様が品を気になさるとは、今日は早くも荒れ模様でございますね」


「どういう意味ですの」


「言葉通りでございます」


 オルタンスは、娘をじっと見た。


「クラリッサ」


「はい」


「見るだけでは済まないでしょう」


 クラリッサは、少しだけ微笑んだ。


「それは、見てから考えますわ」


 ベランジェは、ほとんど泣きそうな顔になった。


「ジャン君を早く! 早く呼んでくれ!!」


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