第十三話 薔薇ではないがトゲばかりある令嬢
帰りの馬車は、薔薇の香りがしなかった。
それだけで、クラリッサは少し気分が良かった。
だが同時に、妙に腹立たしかった。
テオバルドが自分を馬鹿にしたことにも腹が立つ。
だが、それ以上に、一度は喜んだ自分にも腹が立つ。
「ジャン」
「何だい」
「わたくし、馬鹿だったかしら」
ジャンは少しだけ彼女を見た。
いつものように即答しなかった。
クラリッサは顔をしかめた。
「そこで黙るのは、肯定よりひどいですわ!」
「いやあ……」
ジャンは窓の外へ目を向けた。
「美しい言葉を喜ぶのは、馬鹿ではないと思う」
クラリッサは意外そうにした。
「では、何が馬鹿ですの?」
「美しい言葉だけで、相手が美しい人間だと思うこと、かな」
クラリッサは黙った。
馬車の中で、車輪の音だけが続いた。
モルガナが静かに言った。
「お嬢様は、言葉に弱うございます」
「褒め言葉に弱いだけですわ」
「ほぼ同じでございます」
「違います」
「では、違うということにしておきましょう」
クラリッサは膝の上で手袋の指先をいじった。
「でも、名前がなかったのは、やっぱり失礼ですわ」
「ええ」
モルガナは即座に答えた。
「そこは、間違いなく失礼でございます」
クラリッサは少し顔を上げた。
モルガナは続けた。
「手紙に名前を書くのは、さほど難しいことではありません。難しくないことを省かれた時ほど、人は粗末に扱われております」
ジャンは頷いた。
「名前を呼ぶのは、一番簡単な個別扱いだからね」
「個別扱い」
クラリッサは、その言葉を口の中で転がした。
「わたくし、別に星や湖になりたいわけではありませんもの」
「なれと言われても困る」
「薔薇も嫌ですわ。棘があるからわたくしに似ているなどと言われたら、腹が立ちます」
「そこは少し似ている」
「ジャン」
「悪かった」
モルガナが言った。
「お嬢様は薔薇ではございません」
クラリッサは少し機嫌を直した。
「そうでしょう?」
「薔薇は、黙って咲きますので」
「モルガナ!」
ジャンが珍しく笑った。
その笑い方は、テオバルドのものとは違っていた。人を酔わせるためではなく、ただおかしかったから笑っただけの笑いだった。
クラリッサはそれを見て、なぜか少しだけ胸が落ち着いた。




