第十一話 綺麗な紙ほどいろいろなものを包み隠せる
ジャン=バティスト・ド・シャトノワは、いつものように疲れた顔でやって来た。
王宮記録局の文官らしい地味な上着を着ている。
袖口は擦り切れていないが、華美でもない。
鞄にはきちんと書類が収められていた。
彼が玄関広間に入ってくると、クラリッサは待っていたように便箋を差し出した。
「ジャン、読みなさい!」
「挨拶より先に命令が来るのは、君の悪い癖だよ」
「幼なじみに遠慮は不要ですわ」
「遠慮がないことと、礼儀がないことは近いけど同じではない」
「では、ごきげんよう。読みなさい」
「礼儀を薄く塗ったね」
ジャンは便箋を受け取った。
読み始める。
クラリッサは彼の表情をじっと見ていた。
褒め言葉を待つ犬のようだった。
ただし、犬よりはずっと高価そうな顔をしている。
「どうですの?」
「字は上手い」
「字?」
「紙もいい」
「紙?」
「香りが強い」
「ジャン、あなたは詩というものを理解していませんわ」
「理解しているから、慎重に避けている」
ジャンはもう一度、便箋の最初から最後まで目を通した。
そして、ほんの少し眉を寄せた。
「クラリッサ」
「何ですの。ようやく、わたくしの魅力を讃える言葉が出ますの?」
「この詩には、君の名前がない」
クラリッサは瞬きをした。
「名前?」
「クラリッサとも、ラ・ギーズとも、一度も書かれていない」
「でも、これはわたくし宛てですわ」
「封筒はね。詩そのものは、誰にでも送れる」
クラリッサは、便箋を奪い返すように受け取った。
改めて読む。
たしかに、名前がない。
あなた。
君。
美しき人。
夜明け。
星。
湖。
薔薇。
月。
それらしい言葉はいくらでもあるのに、クラリッサという名前は、どこにもなかった。
「これは……」
彼女は眉を寄せた。
「奥ゆかしさではなくて?」
「便利さとも言える」
「便利?」
「誰にでも使えるからね」
モルガナが横から覗き込み、淡々と言った。
「よくできた文でございますね。相手の名を入れず、相手だけが自分のことだと思えるように書いてあります」
「モルガナまで」
「お嬢様。恋文は、名前を呼ばれてからお喜びくださいませ」
クラリッサは便箋を握りしめた。
「でも、テオバルド様は詩人ですわ。詩人というものは、普遍を歌うのでしょう」
ジャンは少しだけ肩をすくめた。
「普遍を歌うのは構わない。でも婚約候補に送るなら、相手が誰かくらい覚えていてもいい」
クラリッサは黙った。
その沈黙には、昨日の椅子を見た時とは別の種類の棘があった。
指輪の時は、誰かの残り物にされた。
椅子の時は、置き場所を決められた。
そして今度は、名前がなかった。
だが、クラリッサはまだ認めたくなかった。
薔薇の香りがする手紙と、美しい文字と、夜明け前の湖に落ちる星という言葉を、簡単に捨てるのは惜しかった。
彼女は胸を張った。
「会って確かめますわ」
「会うのはいい」
ジャンは便箋を返した。
「ただし、詩だけで相手を信じないこと」
「ジャン、あなたは夢がありません」
「夢を見るのは自由だ。署名のない夢を契約に使わないでほしいだけだ」
モルガナがうなずいた。
「ジャン様のおっしゃる通りでございます。紙は綺麗ですが、綺麗な紙ほど包みやすいものもございます」
「何を?」
クラリッサが聞いた。
モルガナは、少しだけ口元を動かした。
「都合の悪いものを」




