↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
4/14

手に道をつける

「無理だよ」


 伝令が出ていったあと、トキさんは台所の椅子に座ってそう言った。


「四十人だ。うちは、多くて十人の宿だよ」


「鍋は」


「え?」


「鍋は、いくつありますか」


 トキさんが僕を見た。


「……大きいのが二つ。小さいのが四つ」


「豆と、干し肉と、麦は」


「蔵にある。半月ぶんは」


「なら、足ります」


 僕は袖をまくった。


「足りないのは、僕がここを知らないことだけです」


    ◇


 トキさんは、しばらく僕を見ていた。


「あんた、なんでそんなに落ち着いてんだい」


「落ち着いてないです」


「そうは見えないよ」


「四十人ぶんの皿なら、洗ったことがあります」


「いつ」


「去年の、王都の祝いのときに。あのときは、二百人でした」


 トキさんが、口を開けた。


「洗ったのは、僕ひとりです」


「……作ったのは」


「作るのは、料理人がやります。僕は、渡して、洗うだけです」


    ◇


「トキさん」


「なんだい」


「給金の話ですけど」


「三日たってからだって言ったろ」


「半分、預かっててもらえませんか」


 トキさんが眉を上げた。


「なんでだい」


「いつか、自分の台所を持ちたいので」


 言ってから、また少し恥ずかしくなった。


 二度めだった。二度言うと、少しだけ本当になる気がした。


「……ふうん」


 トキさんは前掛けで手をふいた。


「じゃあ、四十人ぶん、ちゃんとやりな」


    ◇


 その夜、僕は台所のものを、全部いっぺんに片づけた。


 塩の壺を持ちあげて、流しのわきから、棚の三段目へ。そしてすぐに、流しのわきへ戻す。ふちから、指二本ぶん。


 玉じゃくしを鍋から出して、壁の釘にかけて、また鍋に戻す。柄を右に倒して、ふちに引っかける。


 桶をどけて、戻す。戸口から三歩め。


 意味のない作業に見えると思う。


 でも、そうじゃなかった。


 片づけるというのは、元がどこにあったかを手が一度なぞるということだ。四年ぶんの道は、そうやってできた。毎朝、同じところを通ったから、手が勝手に歩けるようになった。


 なら、一晩で四年ぶんを通ればいい。


 同じところを、何度も。


    ◇


 小さい鍋を四つ。玉じゃくしを三本。木のさじを十一。皿を六十二枚。椀を四十。塩、こしょう、干した香草の束が五つ。麦の袋、豆の袋、油の甕。まな板を二枚。包丁を四本。


 持ちあげて、置く。持ちあげて、置く。


 三度めまでは、数えていた。


 四度めから、数えるのをやめた。数えると遅くなる。


 同じところを何度も通っても、はじめは道が見えない。土を踏んでいるだけだ。


 でも、二十度、三十度と通ると、草が寝る。


 そこから先は、暗くても歩ける。


 途中で指がすべるようになった。皿のふちで、右の親指の付け根が切れていた。


 布を巻いて、また持ちあげた。


 窓の外が青くなってきたころ、僕は最後の一枚を棚に戻した。


 目をつぶって、手をのばした。


 塩の壺があった。見なくても、そこにあった。


    ◇


 昼から、人が来た。


 荷馬車が三台。徒歩の行商が六人。子ども連れが二組。橋を渡るはずだった人たちが、みんなここで止まった。


 トキさんが火の前に立って、僕はそのうしろで動いた。


 塩を出す。玉じゃくしを渡す。空いた鍋を下ろして、次を上げる。皿を出す前に布で拭く。子どもの椀だけ、先に少し冷ましてから出す。


 トキさんが手をのばした先に、いつも僕の手があった。


 一度も、ぶつからなかった。


 四年、それをやってきた。


 ガレスが手を出す前に布を渡して、ユキが探しはじめる前に外套を出した。


 礼を言われたことは、あまりない。言われるようなことだと、僕も思っていなかった。


「あんた」


 三度目に鍋を替えたとき、トキさんが前を向いたまま言った。


「昨日の晩、寝てないだろ」


「はい」


「馬鹿だね」


 そう言って、玉じゃくしを僕に渡した。


「味は、あんたが見な」


    ◇


 子ども連れの母親が、椀を返しにきた。


「これ、うちの子が全部食べたんです」


「はい」


「この子、豆を食べないんですよ。四年、一度も」


 僕は、椀を受け取った。


「冷ましてから出したので」


「え?」


「熱いと、においがきつくなるので」


 母親はしばらく僕を見て、それから頭を下げて戻っていった。


 そう言われたのは、たぶん、はじめてだった。


    ◇


 夜になって、最後の客が二階へ上がった。


 六十二枚の皿を洗い終えたとき、指の布は赤くなっていた。もう一度巻きなおして、僕は荷物からコップを出した。


 右手のとどく、ほんの少しだけ奥。


 置いた。


 湯気のにおいが、した。


 あの宿のスープじゃなかった。


 豆と、干し肉と、香草の。今日、四十人が食べたやつだ。


 僕はそこに手をかざした。


 あたたかかった。


 しばらく、そうしていた。


 四年かかると思っていた。一晩でよかった。ただし、こういう一晩を、これから何度もやることになるんだろう。


 それでもいい、と思った。


    ◇


 外で、馬の足音がした。


 三頭。門の前で止まった。


 僕は椀を置いて、裏の窓から表を見た。


 いちばん手前の馬の鞍に、鞄がくくりつけてあった。


 濃い茶色で、留め具が片方だけ新しい。去年の冬に、僕が付け替えたやつだ。


 四年間、毎朝おろして、毎晩積んだ鞄だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。