表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
昔からこうなんですとのことでしたので  作者: 九葉(くずは)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
9/9

第9話 昔から通りに

 謝る人の声は、思っていたよりずっと小さかった。


 小さいから、こちらは聞き返さなければならない。聞き返すと、二度目はもっと小さくなる。謝罪というのは、そういう手順を踏むものらしい。


 名を呼ばれたあと、ヴェンティス様は何か言おうとした。


 私は先に、ハーヴェル様のほうを向いた。


 この方は泣きやんでいた。泣きやんだあとの顔は、泣いている顔より見ていられない。目のまわりが赤くて、それでも背筋はまっすぐだった。


 私はこの方に、一度も嫌なことを言われていない。それは最後まで本当だった。


「ハーヴェル様」


「……はい」


「昔からこうなんです、とのことでしたので」


 この方が顔を上げた。


「私の方が、昔から通りにいたしました。数えて、書いて、黙って退く。オルドリンドの女は、そうしてまいりましたから」


 ハーヴェル様の口が動いた。


「あたし」


 それだけだった。続きは出てこなかった。


 この方は言葉を探していた。探しているのが分かった。閉架の棚を一段ずつ拭くときと同じ丁寧さで探して、見つからなかったのだと思う。


 ハーヴェル様は何も言わなかった。


 謝らなかった。言い返さなかった。黙って、私を見ていた。


 この方は最後まで、自分が何をしたのかを言葉にしなかった。たぶん、本当に分からないままだったのだと思う。


 分からないままでいられるということが、この方の持っていたものの中でいちばん高価なものだった。


 学園長が筆を置いた。記録はそこで終わったらしい。


 卓の茶は、もう湯気を立てていなかった。三つとも冷めていた。誰も二杯目を注がなかった。角砂糖の皿は、私が取った三つの分だけ減っている。


「オルドリンド」


 ヴェンティス様が言った。


「はい」


「……すまなかった」


 それだけだった。


 この方は言い訳をしなかった。気づかなかったとも、悪気はなかったとも、あいつは昔からこうなんだとも言わなかった。ここまで来て、ようやく言い訳をしない人に戻った。


「わかりましたわ」


 私は言った。


「お受けいたします」


「外套は、こちらに置いてまいります。奥様がお誂えになったものですから」


「……ああ」


「洗いに出されるときは、樟脳と薔薇でお願いなさいませ。柑橘は、落ちるまでに三度かかるそうです」


 これは意地だったと思う。言ってから、少しだけそう思った。


 ヴェンティス様が私を見た。この方が私の目をきちんと見たのは、顔合わせの日と、この日だけだったと思う。


「レミィ。……いつから、君は俺を」


「あなたを好きになったのは春でございます。あなたを信じるのをやめたのは、その前の冬でした」


 ヴェンティス様は、何も言わなかった。


 私は立ち上がって、椅子を戻した。手帳を持って、外套は卓の上に置いた。


 あれは返すものだ。


 扉のところで、学園長が扉を開けてくださった。


「オルドリンド子爵令嬢」


「はい」


「記録は、連署が不要になった旨のみ残します」


「ありがたく存じます」


 この方は最後まで、誰も裁かなかった。記録を取るのが仕事の人だ。裁く仕事は、たぶん誰の仕事でもない。


 廊下は長かった。石の床で、靴の音がよく響く。


 振り返らなかった。意地ではない。振り返っても、あの部屋には三人いるだけだ。


 廊下の窓は西向きで、この時刻がいちばん明るい。歩いていると、床の石の継ぎ目が数えられる。


 私は数えなかった。


 数えなくてよいと思ったのは、久しぶりだった。


 階段を降りたところで、一度だけ足を止めた。止めた理由は自分でも分からない。それから、また歩いた。


 中庭の白い花は、まだ咲いていた。


       ◇



 一年が経った。


 ハーヴェル様は閉架の写本係になった。学園長への推挙は、私が出した。三年目に地方の写字工房へ移られたと聞いている。筆跡は今も美しいそうだ。


 王立図書館の司書補には、別の方が就いた。


 ヴェンティス様は領地に入られた。水路をやっていると聞いた。堰は二つ動いたそうだ。三年かかると仰っていたのに、二年で済んだらしい。


 オルドリンド領には、年に一度、染料の注文が届く。ヴェンティス伯爵家の名で届く。手紙は入っていない。注文の紙だけが入っている。


 ヴェンティス伯爵夫人は、香水商を変えなかった。グリンデルの主人が、去年の暮れに教えてくださった。相変わらず同じお調合でございます、と。


 学園は、その年から寮の仕上げを一種類にした。理由は公にされていない。値の高いほうに揃えたのだと、おかみさんが手紙に書いていた。うちは楽になったよ、とも書いてあった。


 温室の使用簿には、同席者の名を書く欄が増えた。誰が言い出したのかは知らない。


 グリンデルの主人には、今年もお納めに伺った。見立てのことは、二人とも一度も口にしなかった。


 ドルセ男爵令嬢は、宿り木という言い方を今も使っている。別の方に。


 あの方は語彙が少ない。


 洗濯場のおかみさんには、冬に礼を書いて送った。返事に「あの襟飾りは直しといたよ」と書いてあった。誰の襟飾りなのかは、書いていなかった。


 イネは仕立て屋の二番手になった。


 姉から、一通だけ手紙が来た。中身は書かない。返事は出した。


 ハナは今も私の髪を結い直す。緩めるところは、私も覚えた。


 手帳は、あの春の分で終わりにした。理由の欄はずっと空いている。


 埋めないことにした。


 宿り木は、宿主を枯らさない。枯れるのは、宿り木をかばった木のほうだ。


       ◇



 庭の東屋のそばに、白い小さな花の株がある。学園の温室から持ち帰ったものだ。領地の土のほうが合ったらしく、こちらでは毎年咲く。染めに使うのは葉なので、花は咲いても仕方がない。


 仕方がないものを、私は抜かないことにしている。


 庭に、花が届く。


 オルドリンド領は染料と香草の土地なので、花を買うことはあまりない。それでも年に何度か、王都から染料用の花が届く。届けに来るのは同じ人だ。


「ノエルです」


 初めて名乗ったときと同じ言い方をする。何度目でも同じだ。


 この方は温室のことも、洗濯場のことも、あの小応接のことも知らない。訊かれたこともない。私が学園で何をしていたのかを、たぶん今も知らない。


「その株、花が多いですね」


「土が合ったのですわ」


「たぶん、日の当たり方だと思います」


 この方は、私の言ったことをよく訂正する。悪気はない。植物のことだけは、はっきり言う人だ。


「今年のは、根が細いです。土が合っていないと思います」


「では、灰を足しますわ」


「はい。それがいいと思います」


 花の話と、天気の話をする。それだけだ。


 今日は、椅子を勧めた。


 この方は座った。


 窓から、春の終わりの光が斜めに落ちている。卓の上に、湯気の立った茶器が二つ。


 庭のカモミールで淹れた。姉は濃く淹れる人だった。私も濃いほうが好きだ。


 今日のは、少し濃すぎた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ