第1話 茶器は三つ
窓から、春の終わりの光が斜めに落ちている。卓の上に、湯気の立った茶器が三つ。
小応接の卓は四人掛けだった。私たちは三人で、空いた椅子の背もたれにだけ、午後の光が長く当たっている。
誰も、その椅子について何も言わない。なぜ今日この席が設けられたのかも、誰も説明しない。学園長の名で呼び出しの紙が届いて、私たちは三人ともここへ来た。それだけだ。
膝には畳んだ外套を置いている。人からお預かりしたものだ。返すつもりで持ってきた。
紅茶は南方の茶葉で、香りがいい。焼き菓子には杏の砂糖漬けが載っている。私は朝から機嫌がよかった。
「オルドリンド様、お砂糖いくつ入れます?」
「三つ、頂戴いたしますわ」
「三つ! 甘党なんだ、意外ー」
ハーヴェル様が私の器に角砂糖を落とした。ひとつ、ふたつ、みっつ。落ちるたびに小さな音がして、私はそれを数えた。
数を数えるのは昔からの癖だ。直しなさいと母に言われたこともある。
直さなくて、よかった。
「クー、襟」
ハーヴェル様が身を乗り出して、ヴェンティス様の襟飾りに手を伸ばした。指が二度、同じところをつまんで直す。ヴェンティス様は動かなかった。動かないことに慣れている人の、止まり方だった。
まあ、器用な指。
「ありがとう」
「いいって。曲がってると気になるんだもん」
私は紅茶を一口飲んだ。悪くない。今日の茶葉は当たりだ。
銀の匙で器の底をひとまわりさせる。角砂糖が三つとも溶けきったのを確かめてから、匙を受け皿に置いた。音が少し高く鳴って、ハーヴェル様がこちらを見た。
「オルドリンド様って、いつもそんなに丁寧なんですか」
「そういうわけでもございません。今日はゆっくりしたい気分ですの」
「へえ」
ヴェンティス様は黙って茶を飲んでいる。この方は、話すことがないときに何かを話そうとしない。それは美点だと思う。少なくとも私は、そう思っていた。
隣の部屋で扉が開いて、また閉まった。足音は聞こえなかった。ただ、椅子を引く音だけが壁越しに届いた。
ヴェンティス様がそちらを見る。それから、私を見た。目が合ったのはほんの一瞬で、この方はすぐに視線を茶器に戻した。
……相変わらず、下手な方。
私は気づかなかったふりをして、二枚目の焼き菓子に手を伸ばした。杏がよく煮えている。学園の厨房は、こういうものだけは丁寧に作る。
「先日、王都の茶葉商に注文を出しましたの。夏の分を早めに押さえておきませんと、良いものは残りま「オルドリンド様って、そういうの全部ご自分で決めるんですか?」
「ええ。家の者に任せますと、いつも同じ茶葉になってしまいますから」
「すごーい。あたし、そういうの全然わかんない」
「わからなくても、困りませんもの」
ハーヴェル様が笑った。悪意のない笑い方だった。この方はいつもそうだ。
「あの、オルドリンド様。あたし、前から言おうと思ってたんですけど」
「はい」
「あたしとクーのこと、変に思ってません? あたしたち、昔から」
扉が開いて、給仕が三枚目の皿を運んできた。ハーヴェル様の言葉はそこで途切れて、続きは出てこなかった。給仕が下がって、扉が閉まっても、出てこなかった。
あら、残念。
私は膝の上の手帳を取って、卓の隅に置いた。革の表紙は角が擦れている。秋からずっと持ち歩いているのだから当然だった。
「それ、日記ですか?」
「いいえ。覚え書きですわ」
「見ていいです?」
「どうぞ」
ハーヴェル様は手を伸ばしかけて、やめた。ヴェンティス様が何も言わなかったからだと思う。
私は表紙を開かなかった。開く必要がない。中身は全部、覚えている。
卓の上には、湯気の立った茶器が三つ。空いた椅子には、まだ光が当たっている。
さて。
◇
話は、前の年の秋にさかのぼる。
庭の薔薇が最後の一輪を残していた頃、私は婚約者に初めて会った。ヴェンティス伯爵家の次男。年は一つ上。両家の顔合わせの日、この方は私の目をきちんと見て挨拶をして、それきり何を話せばいいのか分からない顔をしていた。
悪くない、と思ったのを覚えている。父の選んだ相手にしては、と付け加えるほどではなかった。
その晩、私は手帳の一行目に日付を書いた。
理由の欄は、空けたままにした。
◇
その茶が冷めるまでに、すべては終わる予定だった。




