エスカレートする日常
三週目に入ると、季節は一月下旬、一年で最も寒い時期を迎えていた。
しかし、私の内面には奇妙な変化が起きていた。
あれほどつらかった寒さと空腹が、どこか「惰性」のようになっていたのだ。
もちろん、寒さは寒いし、お腹はすく。人間の体がそれに完全に慣れることなどない。
だが、私の心は、その苦痛を燃料にして動き始めていた。
気がつけば、クラスだけでなく学校中の友達が、私のこの「奇妙な挑戦」を知るようになっていた。
真冬に丸坊主、ランニングシャツに半ズボン、裸足で、朝早くから正座をし、放課後に黙々と校庭を五十周走る狂気。
それはいつしか、子供たちの間で「すごいことをしているやつ」という、ある種のヒーローに対するような目線へと変わっていった。
親友からは、親しみを込めて「ランニング」や、坊主頭をからかう意味で「ハゲ」などと呼ばれたが、そこには悪意はなかった。
自分の中ではこれを「罰」と呼び続けていたが、先生の言う通り、いじめに対する「反省」のフェーズはもう終わっているという自覚もあった。
実際、それ以降私は誰のこともいじめていなかったし、いじめてしまった彼とも、放課後にはすっかり元通りに仲良く遊んでいた。
これはもう、いじめの罰というより、修行のような感覚だった。
◇
歪んだ高揚感に突き動かされた私は、もっとハードな苦痛を求めるようになっていった。
学校のない土曜日や日曜日には、自主的に行う校庭のランニングを「百周」に増やした。
約二時間、十五キロメートル近い距離だ。
走り終えると足が棒のようになりくたくたになった。
さすがに長時間の正座は足がもたないと判断し、正座の時間は三十分のまま据え置いていた。
平日は四時下校というルールの壁があったため、平日は「罰」を強化することはできなかったが、週末の私は完全に自分を追い込むことに没頭していた。
時には数え忘れたことにして百周以上走っていた。
そうして、当初約束していた三十一日間が、ついに終わりを告げようとしていた。
実は、この期日が近づくにつれ、私の心の中には「三十一日をきっちりやり遂げたら、これで全てを綺麗に終わらせよう」という気持ちが、本来は確かにあった。
これだけやったのだから、もう十分だろう、と。
最終日の放課後、私はすっきりと晴れやかな気持ちで、職員室の先生の元へと向かった。
一か月間、一日も欠かさずやり切ったという報告だった。
先生は、改めていじめの重大さについて私に諭し、「これに懲りて、もう二度とあんなことはしないように」と言った。
そして、私の剥き出しの腕を見つめながら、
「ごくろうさん。で、一か月やってみて、どうだった?」
と、優しく問いかけてくれた。
私は少し考えてから、本心をそのまま口にした。
「つらかったけれど、楽しかった」
罰を「楽しかった」などと言ったら、不謹慎だと怒られるかと思った。
しかし先生は、私の目をじっと見つめた後、「……そうか」とだけ言って、静かに頷いてくれた。
「明日からは、もう普通の格好をして、普通に過ごすんだぞ」と言ってくれた。
その言葉を聞いた瞬間、私のあまのじゃくが、またしても最後の最後で首をもたげてしまった。
「給食抜きと、トイレ掃除はやめます。でも、服装と放課後の過ごし方は、僕の自由ですよね」
◇
その日の夜、私は自室の布団の中で、明日からの生活について一人で深く考えていた。
本当を言えば、自分の中ではまだ、給食抜きやトイレ掃除も含めた「すべての行為」をこのまま継続したい、という強い衝動が渦巻いていた。
ここで全てをやめてしまうのが、どこか惜しいような、奇妙な執着が生まれていたのだ。
しかし、昼休みの給食の時間に私が頑なに食べようとしなかった時、先生がどれほど困惑し、苦慮していたか、その顔が脳裏をよぎった。
(これ以上、あの先生を困らせるわけにはいかないな……)
それは、暴走する私の意固地さの中で、辛うじて働いた子供なりの理性であり、先生への配慮だった。
だから、給食抜きとトイレ掃除だけは、本当にやめることにした。
けれど、あの丸坊主と、ランニングシャツ、半ズボンの三点セットを脱ぎ捨てるのは、どうしても嫌だった。
クラスにはいなかったが、他の学年を見渡せば、真冬でも半袖半ズボンで過ごしている「薄着自慢」の奴らは数人いた。
だが、「ランニングシャツ」は私だけだ。
あいつらの半袖よりも、俺のランニングの方が一段上だ、という奇妙なプライドがあった。
さらに、もっとハードなことをやりたいという前週からの渇望も残っていた。
よし、罰は終わった。ここからはさらに「強化した日常」として続けよう。
私は、自分への要求をさらにエスカレートさせた。
毎朝五時に起床し、自宅の庭のコンクリートの上で三十分間正座をした後、近所を一時間ランニングする。
学校から帰った夕方にも、再び一時間のランニングを行う。
これを土日も含めて毎日行うという、狂気じみたルーティンを自らに課したのだ。
◇
この頃になると、流石に雨の日に服を濡らして帰ってくる私の姿が、母親に見つかった。
怒られる、止められる、そう身構えた私に、母がかけた言葉は意外なものだった。
「……濡れたら、何枚でも洗濯しなさいね。風邪だけはひかないように」
呆れ果て、引き止めても無駄だと悟った母なりの、それが最後の「見守り」の形だったのだろう。
それからの私は、濡れて震えながら帰宅しても、堂々と着替えて洗濯機に服を放り込めるようになった。
なぜ親がそこまで反対しなかったのか、今でも完全には分からない。
ただ、反対すればするほど意固地になる私の性格を、一番近くで愛し、諦めていたからなのだろう。
結局、この丸坊主、ランニングシャツに半ズボン、裸足に靴という生活を、私は小学校を卒業するまで、毎日、一日も欠かさず続けることになった。
五年生の一月からだから、期間にして一年余り、日数にすれば四百日を超える。
春が来て、夏が来ると、この格好は非常に快適だった。
夏は暑かったが、朝夕の涼しい風を感じながら走る一時間は、むしろ心地よいスポーツのようだった。
子供の足での一時間なので、距離自体はそれほど大したことはなかったかもしれないが、私の体の一部になっていた。
しかし、季節は巡る。
六年生の冬が、再びやってきた。
二回目の冬は、一回目よりもある意味できつかった。
なぜなら、五年生の時のように「いじめの罰」という大義名分や、周囲からの「ヒーロー視」による新鮮な高揚感はすでに消え失せ、ただの「自分が決めたから続けている日常」になっていたからだ。
完全に惰性だった。
(どうして自分は、こんな冷たい風の中で裸足で走っているんだろう)
何度もそう思った。
けれど、「卒業までは絶対に途切れさせてはいけない」という執念だけが、私の足を前へと動かしていた。
やめるという選択肢は、私の辞書から完全に消え去っていた。
第5章をお読みいただきありがとうございました。 罰がいつしか「薄着自慢」のプライドにすり替わり、日常のルーティンとなっていく奇妙さ。そして、黙って洗濯をしてくれた母の無言の愛。気がつけば400日が過ぎていました。 次回、最終章「長い冬の終わり」。この奇妙な修行に、どのような結末が訪れるのか。ぜひ最後まで見届けていただけますと幸いです。




